天女の羽衣


written by Mis.彩門 えれな



天災は忘れたころにやってくると言うが、天災よりも想像もしていないことが起こるのが世の中である。
三蔵一行は誰もが予想していなかった災難に直面していた。
照りつける太陽の中、荒野のど真ん中で。
いきなり飛び出してきた車と衝突して、交通事故にあってしまったのだ。


「あー、大丈夫ですか?」
衝突の寸前に竜に変身したジープを心配そうに触る八戒に、悟浄は疲れた声で呻いた。
「大丈夫じゃねえよ、俺たちは!!お前、一体全体どんな運転をすれば、このただっぴろい荒野で交通事故にあえるんだよ!?」
ジープが竜に戻ってしまった為に、三蔵一行は勢い良く宙に放り出されて、相手方の車に文字通り突っ込む形になってしまった。その程度でくたばる連中でもないが、それなりの衝撃を受けている。悟空などはふっとばされてかなり遠方に転がっていた。
「・・・・・・おい。俺達よりも向こうの心配した方がいいんじゃねえのか」
「三蔵にしては人道的な意見ですね。・・・・・・・・あの、生きてますかー?」
まるで緊張感のない様子で横転した車を覗き込むと、八戒は珍しく驚いた声を上げた。
「おや、女性みたいですね」
「何!?」
それまで何の興味を示さず自分の体の傷を確かめていた悟浄が慌てて車にかけよると、車の窓からかろうじて出ていた細い手が力なく動いていた。
「あー、お嬢サン、大丈夫ですか?」
「いいから、早く助けてくれない?」
車の中から聞こえてきた気の強そうな声に、悟浄は微笑んだ。気の強い女は好きだ。
「了解」
助けられた女はふっと一息ついて髪を整えて、初めて顔を上げた。
年齢はおそらく三蔵達と変わりないだろう。色素の薄い茶色の髪に同じく砂色の瞳。
手には小銃。そして、コンバットブーツ。
これだけならただの旅人だが、なぜか真っ赤なチャイナドレスを着ていて、それが恐ろしいほど似合っていた。
黙っているとかなりの美人だったが、女が開口一番に言った台詞がこれだった。
「ちょっと!!弁償してくれるんでしょうね、私の車。言っとくけど高いわよ」
「ちょっと待て!そっちがいきなり飛び出してきたんだろうが」
「はぁ!?あんた、目ついてんの!?そっちがいきなり飛び出してきたんでしょ!こんな暑苦しい髪してるから見えなかったんじゃないの?」
「いうネェ、おねーさん」
「ああ、あんたみたいなチンピラは良いから、責任者は誰!?」
「一目で悟浄が責任者じゃないと見破るあたり、結構良い目してますね」
くすりと笑って言った八戒に、女は視線をやる。
「あなたが責任者?」
女の質問に答えようと仕方なしに三蔵が割って入ったが。
「悪いが、責任者は・・・・・・・って、お前・・・・・・・!?」
残りの台詞を言うことすら忘れて驚愕した。
女は声に振り返ると、同じように一瞬固まる。
「あんた・・・・・!・・・・・・・もしかして、江流?」
三蔵のその呼び名を知る者は少ない。
だが、聞き覚えがある呼び名だったから、悟浄も八戒も黙って事の成り行きを見ていた。
「知り合いなの?三蔵」
流れる沈黙を破ったのは、ようやく身を起こして、てくてくと歩いてきた悟空だった。
「・・・・・・・ああ」
そう答えた三蔵は、嫌悪とも懐かしさともつかぬ感情を持て余しているかのようだった。







「へーっ、って言うんだー、いい名前だよね」
「まあね。あなたの名前も結構いけてるわよ、悟空」
「へへ、そうかな」
「で、三蔵サマとはどんな関係なワケ?」
「んーと、幼なじみみたいなもんかなぁ」
「幼なじみィ?うげっ、嫌な幼なじみっ!」
「まあ、仲良くなかったんだけど。だって、こいつ、ちょー生意気でさぁ」
へーっ、と興味津々で聞いてくる悟空と横でげらげら笑ってる悟浄、そしてあっという間に意気投合して悪びれもせずぺらぺら喋るの会話に、三蔵はめまいがしそうだった。
結局、あの場で言い争っても荒野で野宿する羽目になるだけだったので、嫌だと言い張る三蔵の意見は八戒の笑顔に却下されて、の車をジープの後ろにつけて次の街まで向かうことになったのだ。
三蔵を江流と認めて、開口一番にの言った台詞はこうだった。
「うわ、江流、あんた、三蔵法師してんの?きゃーやめてやめて、似合わなすぎだってば、おっかしー、ああ、おなか痛い」
指差して腹を抱えて笑うの台詞にほかの三人も笑い転げたので、三蔵は発砲する気も起こらなかった。
笑い声の耐えない後部座席に目をやって、八戒は微笑んだ。
「楽しい方ですね」
「俺はもう寝る」
「寝るってまだ夕方ですよ?」
「知るか。馬鹿が増えて頭痛がしてきた」
「でも、幼なじみがいるって、いいじゃないですか」
そんないいもんじゃない。
そう云おうとして三蔵は言葉を止めた。
は金山寺に出入りしていた商人の娘だった。あまり他人に興味がなかった自分が名前を覚えているのは、彼女が先代の三蔵法師のお気に入りだったからだ。
俗世間から離れた寺に出入りする商人への目は冷たいことは想像に難くない。特に物売りの娘となれば、もはや人間として見られてなかっただろう。しかし、先代は彼女にとても優しく、彼女もまた先代を慕っていて時間を見つけては説法を聞きにきていた。
弟子である自分に、嫉妬していたのだろう。彼女はことごとく自分にぶつかってきた。
だが、自分も同じ気持ちだった。
こんな物売りの娘なんかにお師匠様をとられてたまるか、という子供らしい嫉妬心から、よく喧嘩して二人で怒られたものだった。
幼なじみと呼べるものかわからない。ただ、ひとつだけ共有していたのは、あの方への気持ちだ。
バックミラーにちらりと目をやって、笑うの姿に三蔵はため息をついた。
こいつは、知っているんだろうか。あの方がもう居ないことを。
そして、それは――――――――――――自分のせいだということを。






どうにか夜までにたどり着いた町の小さな宿に、も三蔵一行と同様に宿を取った。
別にとってもかまわないけどわざわざ探すのも面倒だし、別行動する理由もない。知った顔もいることだし。
そう言って、からかうように三蔵に笑いかけた。
一人旅も良いけど、たまにはこういうのも悪くないね。
物売りとして旅をしてもう長いけど、旅の醍醐味は旨い料理に思わぬ出会い。さらに旨い酒があればそれでいいじゃない。
三蔵が一人で宿の下にあったバーカウンターで飲みながら、久しぶりだという賑やかな食事の席でのの台詞を思い出していたところに、その本人が現れた。
「一人で飲むなんて、やだ、くっらーい。あ、もしかして、かっこいいとか思ってんの?」
「煩い」
それでもあっちに行けと言わなかったからか、は遠慮なく一人で飲んでいた三蔵の横に腰掛けた。
「へー、マルボロなんか吸ってるんだ。てっきり、パイプかと思ってた、お師匠様の真似っこして」
「お前な」
言いかけて三蔵は言葉を止めた。師匠の話題が出たついでに話すべきなのだろうか。
「あんたが考えてること、わかるわよ。お師匠様のことでしょ」
「・・・・・・・・知ってるのか」
何を、とも言わなかったが、には通じたらしく彼女は無表情に答えた。
「知ってる」
それだけ言うと、はカウンター越しにマスターに酒を注文して、煙草を吸い始めた。
昼間はあれだけよく喋ったというのに一言も話さない。何かいうべきなのだろうが、三蔵は言葉が出なかった。こういう時には気の利いた言葉など、いつもどこかに消えうせてしまう。
「江流」
しばらく続いた沈黙を破ったのはの方だった。話の続きを促さない三蔵をは真顔でじっと見つめて、煙をふうっと三蔵に向かって吹きかけた。
「私は認めないわよ。あんたが三蔵法師だなんて」
「そうか」
「だって、あんたもそんな資格ないって思ってるでしょ?そんな法衣着てたって、自分で認められないもんを他人が認めたって同じでしょ」
三蔵は愕然としてを見た。
この女、馬鹿そうに見えてそうではない。お師匠様もそう言っていた気がするが、そんなことなど今更思い出したところでどうなるものではなかった。
「図星さされたからって、睨まないでよね。あんた、変わらないわねーほんと」
「お前も性格の悪さは変わってないようだな」
「そうそう、その調子。そうでなくっちゃね」
「喧嘩売ってんのかテメェ」
「べっつにー。ただ、可哀相だなぁって思って。無理して三蔵法師やってるあんたも、そんな弟子持ったお師匠様も、それに、あの子達も」
「余計なお世話だ」
「・・・・・・・・・ガキ」
「お前がな」
「あんたがよ」
「フン、馬鹿が。芸のない悪口だな。ガキの喧嘩か」
「その台詞をそのままあんたに返すわよ・・・・」
馬鹿な言い争いで少し軽くなった雰囲気に三蔵はため息をついて、酒をあおった。
本当に馬鹿らしいと思う。
けれど、の言うことは全部当たっているのだ。心のどこか奥底にある一番弱い部分をわしづかみにされるようで、それはとても不快なことのはずなのに、どこか心地よかった。
「あーっ、もう飲んでる!ずりー、俺も誘ってくれりゃ良かったのに」
ばたばたと大きな音を立てて悟空が二階から降りてきたので、三蔵は舌打ちしてに囁いた。
「おい、飲ますなよ」
「お酒、駄目なの?」
「駄目じゃねえけどまだガキだ」
「ガキじゃねーっつの!」
二人の会話に割って入った悟空は、てこでも動かないぞという顔をしていた。理由は簡単。嫉妬しているのだ。そうと知ってかは笑顔で悟空に問いかけた。
「じゃあさ、悟空。私、なんか、この人といると疲れてお腹すいてきちゃってさ。ラーメン食べに行かない?すっごい美味しい店あんのよ、この近所に」
「えっ、ラーメン!行く!」
「おい、まだ食う気かよ」
「ラーメンは別腹」
さきほどの嫉妬はどこへ行ったのか、尻尾ふってについていく悟空に、悪いわね、と小さく三蔵に囁いてからは悟空を連れ出した。




よくもまあこんなに美味しいそうに物を食べるわ、この子。
は悟空の食べっぷりを気持ちよさそうに眺めていた。美味しそうにものを食べる人は好きだ。素直で率直な前向きな人が多いと思う。
だから、決してまずそうに飯を食う人生は送りたくないものだ。
この子といつもご飯を食べられる人は、幸せだろう。
そう思って、は気がつく。そういえば、あの江流はこの子といつも飯を食べているのだ。それなのに、あの不満極まりない面持ちは一体何事だろう。
「贅沢な話よね」
「何が?」
「んーとね。こう、いっぱい物持ってるのにそれに気づかない人って、贅沢だなって」
「ごめん、俺、食べすぎ?」
「ううん。そうじゃないの、食べて。どんどこ食べて。見てて気持ちいいから」
「へへ、って、やさしーね。そんなん誰も言わないよ。三蔵なんかいっつも怒るし」
「ケツの穴の小さい男ね。広げてあげれば?」
「え?」
「いやいや、なんでもない。食べて食べて。麺がのびちゃう」
言われて一生懸命にラーメンに向かう悟空は本当に可愛い。きっと、いい意味で良い家庭で愛されて育ったんだろう。そうでなければ、こんなに真っ直ぐになれない。
「悟空の家族って、どんな感じ?」
「家族?」
「お父さんとかお母さんとか」
「あー、えっとね。俺、家族いないんだ」
「そうなの?ゴメン、嫌なこと聞いちゃって」
「違う違う、うーんと、そうじゃなくて。俺さ、なんでかわかんねえんだけど記憶ないんだ、家族とかの。んで、三蔵に拾われたの。だから、強いて言えば三蔵が家族かな」
は思わずラーメンを喉につまらせた。
咳きこむに悟空は慌てて背中をさする。
「だ、大丈夫?えっと、水」
「う、だ、大丈夫だけど・・・・・・・って、ええ――――――――――――っ!?
じゃ、じゃあ、江流に育てられたの!?」
「まあ、そうだけど」
「信じらんない」
呆然としてはつぶやいた。
何をどうやったらあんな悪魔みたいな性悪男が、こんな天使みたいな純粋な子を育てられるのだろう。
「信じらんない」
もう一度つぶやいた台詞は、悟空は怪訝そうに答えた。
「そんなに変かな」
「うん。だから、一緒に旅してるの?」
「うーん、だからってワケじゃないよ。一緒にいたかったし、それにいなきゃ駄目な気がして」
柔らかくて意志の強い金色の瞳で告げると、悟空は照れくさそうに笑って、また食べ始めた。
そうか。そういうことか。
この子は、あいつの羽衣だ。金色に輝く天女の羽衣。天女の柔肌を守るために必要な、強くて優しい光。
彼はどんな気持ちで自分を守る羽衣を育てていったのだろう。不器用な手つきで愛情という名の柔軟剤で洗っていることも気づかずに。
思わずは涙ぐみそうになった。なんて男だ。彼は、今何をしているのだろうか。まだ待っているんじゃないだろうか。
羽衣を返してほしくば――――――――――――
ふいに思い出したその台詞に、は頭を振った。冗談じゃあない。
「悟空。それ食べたら帰ろう」
「うん」






宿に戻ると、やはり三蔵はまだカウンターの奥の方で一人でちびちび飲んでいた。
ただいまーと笑う悟空に五秒以内に寝なきゃ殺すと告げて、走って階段を昇っていく姿を見送った後、三蔵はに告げた。
「・・・・早かったな」
「待ってると思ったから」
「待ってたんじゃねえ。飲んでただけだ」
「はいはい。ごめんね、あなたの羽衣取っちゃって。返すわ」
「・・・?なんの話だ」
「天女の羽衣って知らない?童話の」
「知ってる。・・・・・・誰が天女だ」
「いえ、ほら、たとえ話で」
「お前があの卑怯な男か?羽衣を返してほしけりゃ嫁に来いって言う」
「いや、だから、返すって言ってるでしょ。私はあんたなんか死んでも嫁に欲しくないし」
「俺も死んでもゴメンだ」
「悟空といるとそんな気持ちになっただけ。悟空って凄くいい子よね。真っ直ぐで。
どんなに愛されて育ったんだと思ったら、あの子、あなたが育てたんだって?
だから。
だから、あなたの素晴らしい羽衣に免じて、認めてあげるわ。
――――――――――――三蔵」 
三蔵。
呼ばれなれた名前なのに、が言うとまだ三蔵にはあの方の顔が浮かんでしまう。
認められても、自分が認めなければ意味がないけれど。それでも。
「・・・光栄だな」
「フン、羽衣持って天国でも何処でもいってらっしゃい」
「・・・・そうするよ」
自分で自分が認められる日が来たらな。
言葉にされなかったその台詞が、の耳には届いたように感じた。
「三蔵」
「なんだ」
はもう一度その名前を呼ぶ。とても、心地が悪い。それでいてその名前は既に彼のものになっていて、それが少し悔しかった。
「私、あなたが好きよ」
「・・・・・!?」
驚愕してを見た三蔵を、しばらくの間じっと見つめた。絡みつく視線。どちらも一歩も譲らない。それは永遠のような一瞬のような、果てのない愉悦感。
永遠にこのまま見つめあっていたい気もしたが、は根負けして噴出した。
「あはは、あんた、今本気にしたでしょ。すんごい顔してるわよ。んなワケないじゃん」
「てめぇ・・・・・・」
「さーてと。そろそろ寝るかな。じゃあ、お先。おやすみなさい」
三蔵の言葉を待たずに、は立ち上がって踵を返した。

贅沢で、馬鹿で、不器用で。
それでいて、なんて幸福な男だろう。
自分で自分を認められるその日が来たら。
彼はどこへでもいけるだろう。

天国でも何処へでも。

早くその日が来ればいい。
同時に永遠に来なければいい。

そんな祈りを抱えながら。
夜の闇に向かって、は少しだけ笑った。

「おやすみ、三蔵法師様」







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