晴れ、時々雨


written by Mis.小摩木(KOMAKIX)



雨の日、人はユーウツになりやすい。
イライラする全ての原因を、雨の所為にできたらどれ程楽だろうか。

雨音と踏み切りの音が小さく広がる小さなマンションの3階、の自室。
雨で薄暗い夕方で灯りも点けずにソファで体育座り
その視線が見据えるのは目の前のテーブルの上の、シルバーの二つ折りの携帯。
もう、どれ程そうしているのか。
モゾモゾと動く素足のつま先が部屋が冷えている事を教える。
は静かに、ゆっくりと携帯から視線を外すと、
「バカ三蔵…」
そう呟いて頭を前へ倒した。

2時間ほど前は、まだ雨音もこんなには強くなかった。
が居たのはこの部屋ではなく、三蔵のマンションだった。
極々ありふれた休日。
が昼食を作り、レンタルして来た映画を見て、他愛も無いお喋り。
滅多に時間の取れない二人には十分すぎる穏やかな一日になる、ハズだった。
正確には途中までそうだった。
他愛の無いお喋りがケンカになるまで然程時間は必要無かった。
発端は小さな小さな衝突だったが、負けず嫌いでプライドの高い両者は引く事を知らない。
「いちいち下らねぇ事に拘ってんじゃねぇよ」
「下らない?何が下らないのよ」
ケンカも長丁場になると発端など全く関係の無い所に飛び火する。
いい加減にしろ、時間の無駄だ」
「あぁそう、下らない時間を作ってスイマセン。」
互いを視線だけで睨むと、しばし沈黙。
は机の上に置いてあって携帯をわし掴んでバッグとコートをまとめて持つと、ドカドカと玄関へと歩いていった。
「サヨウナラ。」
「勝手にしろ」
によって勢いよく開け放たれたドアは、皮肉にもドアクローザーのおかげでゆっくりと静かに閉まる。
喧騒とは正反対の静かに音を立てたドアを一瞥すると、三蔵は煙草を取り出して腹立たしそうに火を点けた。
一気に静けさを取り戻した部屋に、紫煙とタバコ焦げる音、雨音が広がる。
煙草も半ば短くなりかけた頃、三蔵も落ち着きを取り戻していた。
一定の音を奏でる雨音、車両の往来を知らせる水飛沫、時計の無機質な音だけが三蔵の聴覚を独占する。
軽い溜息を一つ、灰皿に煙草を押し付けると、不意に視線が机の上のマグカップを捉えた。
冷えて行くだけの残りまだあるコーヒーとカップの縁に薄っすらと残る口紅の跡が、その本人が居なくなった事を責め立てているように見えた。
「チッ…」

二本目の煙草に手が伸び、火を点けて間も無くそれまで静寂が一瞬にして崩れた。
聞き慣れない甲高く軽快なメロディと、ガラスの机上で振動する音。
その突然の騒音の訪問に三蔵は体をビクリとさせて、思わず煙草を床に落としてしまう。
咄嗟に煙草を踏みつけてはみたが、運悪くフローリングの床に黒い焦げ目。
不快度MAXで焦げ目からその原因たる物へと視線を移して睨む。
そんな三蔵の殺気に関係無く、未だ騒音をのん気に繰り返すシルバーの二つ折りの携帯。
三蔵が携帯を手に取り、背面ディスプレイを見ると、
―着信♪沙悟浄―の文字に三蔵の片眉がつり上がる。
「っのバカが!」

そろそろ日も沈みかけ、雨も激しくなる中、
それでも薄暗く冷えた部屋では携帯と睨めっこしていた。
「バカみたい…鳴らない電話を何時間気にしてるのよ」
普段でさえ三蔵から電話がかかってくる事は少ない。
ましてや八戒曰くチョモランマよりもプライドの高い三蔵が謝るという事など天変地異にも等しく有り得ない。
「いつもどうやって仲直りしてたんだっけ…」
遂にははソファに仰向き着に倒れこむ。

激しくなった雨音がまるでテレビの砂嵐のように聞こえ始め、
まるでこの先には何も無い、もう“終りだ”と告げんばかりのその音には両の耳を手で塞いだ。

が、突如鳴り響いた音には飛び上がった。
その音の発信源、それは机の上の携帯。
「あ…れ?」
携帯を見つめて数回瞬きを繰り返す。
目の前で騒いでいるのはバイブで震える見慣れているはずのシルバーの二つ折りの携帯。
が、着信音がのソレとは明らかに違う至ってシンプルな着信音。
携帯を手に取ってマジマジと見るまでも無く、自分のモノでは無い。
そして着信に忙しく点滅を繰り返す背面ディスプレイには―着信 ―。

「ウソっ」
慌てて電話に出ると、が喋るよりも先に、
「このバカ女」
聞き慣れた低い、三蔵の声。
「さんぞ―」
「勝手に人の携帯を持って行ってんじゃねぇよ」
「あ…ゴメ…ン」
そこで会話はどちらからとも無く途切れる。
ケンカした事、携帯を間違えた事、三蔵から電話がかかって来た事。
様々な思いが絡み合っては気持ちの整理がもできず、言葉も見出せずにいた。

沈黙の間、電話からは静かな雨音と踏み切りに音がかすかに聞こえていた。
「…えっ」
が携帯をゆっくりと耳から離すと、そこには雨音と踏み切りの音。
再び携帯の受話器を耳に当て、もう方耳を手で塞ぐと、そこからは確かに同じ音が。
携帯を握る手に思わず力が入る。
堰を切ったようには玄関へと走って行った。
確信はある、なぜなら三蔵のマンション付近に踏み切りは、無い。
勢いよくドアを開けると視界に飛び込んできたのは薄暗い雨の景色。

が息を呑むと、後ろからピッ、タンッと音が。
振り向けば憮然とした表情で壁にもたれる三蔵。
「三蔵」
「忘れモンだ」
そういって三蔵は持っていた携帯を差し出されたの掌に乗せ、の手から自分の携帯を抜いた。
「あのっ…ゴメン…」
自分の携帯の通話を切り、折りたたんでポケットに仕舞った三蔵が視線を上げてを見る。
三蔵にはその謝罪がケンカした事なのか、携帯を取り違えた事なのか察するには余りあった。
が、雨がの心に根拠の無い不安をもたらしていた事は察する事はできなかった。
だから普段まず見る事の無い歳に似合わず幼さを帯びたシュンとした表情のに、
(俺もヤキが回ったか)
三蔵は小さく、口角をつり上げた。
くるりと反転して三蔵はそのままの部屋に入って行こうとする。
その行動を呆然と見ているに三蔵は軽く振り返って溜息をつく。

我に帰ったの目には、靴を脱ぎかけている三蔵の後ろ姿。
「別に、もう怒っちゃいねぇよ」
そう呟いて三蔵はスタスタと部屋の中に入って行ってしまった。
リビングのドアが閉まって三蔵の姿が見えなくなった所で、は笑が込み上げて来た。

今までケンカした事など数知れず。
その時、どちらも謝った事など無かった。
負けず嫌いでプライドが高い二人、だから謝れない。
それでも三蔵とにとってケンカが一段落着けば、仲直りの必要は無くいつも通りに戻れる。
そもそも、ケンカの発端も相手がどんな発言をしたのかも鮮明には覚えていないのだから。
まるで、晴れてしまえば濡れた道路も乾いてしまうように。







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