一つの石〜1.the Bible〜ペテロ第1の手紙 第2章6節 干上がった川のほとりに、一台のオートバイが止まった。 倒れぬよう慎重にスタンドの場所を定め、外したヘルメットをホルダーに留めた人物は、土煙を上げて川底に下り立った。 乾いた砂の上を歩き回り、幾つかの石を拾い一箇所に集める。その中の幾つかはハンマーで叩いて割り、断面を確かめている。金属のような、キン、キンという音が、断続的に辺りに響いた。 数刻の間、平原の中で動くのはその人物の影のみであった。が、暫くして、徒歩の二人連れがゆっくりと川に近づいてきた。小柄でしなやかな所作の優男と、幅のある巨漢。2人とも、西の異国の衣装に身を包んでいる。優男の方が、川縁にしゃがみこんで愛想良さげに声をかけた。 「こないな所で石ころなんか集めはって、危のうおまへんか。何してはりますのん?」 川底で屈みこんでルーペを覘いていた人物は、上を見上げて叫び返した。 「調査です。川底の岩石も、今なら楽に採集できますから」 その人物の言うとおり、この川は、いつもは飲料に耐える水が充分に流れている川だった。その川が、この2、3日で突然干上がってしまったのである。 「はぁ、そうどすか。けど、なんぼ水が流れとらん言ぅても、この川は妖怪の村が水汲みに使こうとったんでしょ。そないな所で、あんさんみたいな女の人が一人でいてはるなんて、あんまりええことと違いますえ」 言われた彼女はけらけらと笑った。 「お気遣いなく。女だてらにずっと一人旅をしているのですもの。ある程度の護身の術は心得ておりますわ。……ヘイゼル司教様?」 役職名付きで名指しされた優男は、少しも慌てず微笑み返した。 「はぁ、ようやらはりますわ。おなごの本性は分からんとは、よぅ言うたもんやねえ。ところで、名前、訊いてよろしおすか?」 「 と申します。未だ洗礼は受けてはおりませんが、教会に繋がりが無いわけではありませんので、司教様のお噂はかねがね……」 慇懃に世辞を言うわりには、彼女は調査現場から動こうとしない。ヘイゼルは「ほお」と口の端を上げた。今まで通過してきた村落の民とは、どこか違う反応だ。 相手は構う事無く言葉を続けた。 「お隣においでなのは、ガト様でしょう。西の大陸のネイティブ、大地の民の出身と聞き及んでおります。お会いできて光栄ですわ」 「…………。」 慣れない賞賛に、ガトは返答もせず固まった。 ヘイゼルは畳み掛けるように質問する。 「そんで、こないな辺鄙な所の川っぺりで、何の調査ですのん?」 「地質の調査です。普段、流水が流れる川には、ここより上流の山の岩石が流れ着いてきます。また、浸食で抉れた川底にも、今なら直接触れることが出来ます。この転石や岩盤の組成を調べて、この大地が形成されるに至った歴史を調べるのです」 「はぁ、そないな事調べて、どないしはりますか」 皮肉に微笑んだヘイゼルに対して、もにっこりと笑い返した。 「別にどうもしません。何か世の中に貢献するような物凄い発見でも無い限りは。」 「金とか見つかったりしよりませんか?」 「まあ、十中八九ありませんわね。それに、資源の発見は我々にとっては鬼門です。無学の輩が大挙して押し寄せて、研究対象を滅茶苦茶にされてしまうんですもの。ですから、見つかったとしても公表なんかしませんし、持ち出しもしません。出所を調べられるのも嫌ですから」 「なんとまぁ、おもろいお人やねぇ」 ヘイゼルは軽く肩をすくめ、ガトも顎を掻いた。 2人が生まれた西の大陸では、金の鉱脈の発見といったら最大のニュースだった。 ヘイゼルは、何もなかった原野に人が集まり、あっという間に町が出来ていくのを見たことがある。 ガトのようなネイティブにとっては更に事情は複雑で、鉱脈の存在が公に知られると、それが高値で交易されるメリットと同時に、政治的にその土地を奪われるようなリスクも出現した。 そんな魔力を持つ“金”に、彼女は殆ど価値を感じていない。なのに、危険を冒してまでも、こんな辺境の土地を掘り返すという。 「どないもせえへんのに、何でそないに熱入れて調べはるんどす?」 「強いて言うなら、“知りたい”からです。私の望みは、この目で見られるもの最大限目に収めて、この身で知れることは可能な限り知りたいのです」 ヘイゼルは「ふうん」と、目を眇めた。 「……主なる神は、ヒトは知恵の実を食べたらあかん言ぅて、禁じてはりましたんやけどねぇ。 そない何でもかんでも知ろうとしはるんは、どないどすやろ」 「ならば、私は罪の深い女です。審判の際には、主の御慈悲にすがるしかありませんわ」 はまた、笑った。恐れを知らぬ幼子のように。 「それに、川原の石も『石ころ』などと侮ってはいけませんわ。『石工に捨てられた路傍の石が、隅の頭石になった』と書かれております。それに、聖ペテロは教会の礎、『岩』の象徴でございましょう?」 「確かに。よう知ってはりますやんか」 ヘイゼルも再び、口の端に笑みを浮かべた。 どこか複雑な微笑が行きかった後、思い出したように、が言った。 「そうそう。それより私、ヘイゼル司教様に一度お聞きしてみたかったことがあるんです」 「はぁ、何どすやろ」 は、その意味有りげな笑みのまま、言葉を放った。 「復活の御技は、神のみによって行われるのではなかったのですか?」 一陣の風が、黄色い砂塵を含んで彼らの間を通り過ぎた。 ノイズのような帳がやっと掃われた時も、ヘイゼルは、まだ、哂っていた。 「聞いてどないしはりますのん?」 「どうもしません。ただ伺ってみたかっただけですわ」 は微笑んだまま、ヘイゼルを見据えた。 通り過ぎた砂塵が陽炎の彼方に消えて行く。その向こうから、誰かが近づいてくる。 遠目の利くガトの目には、その人影の白い衣と金の髪がはっきりと認められた。 彼は、川底の女性と睨みあって動かない主(あるじ)に囁いた。 「……ヘイゼル」 「わかっとるわ」 今の彼らの、“連れ”はかなり短気だ。殊更にへつらう必要も無いが、あまり待たせると、弾丸か、ここの人間にしては芸術的なハリセンが飛んでくる。 ヘイゼルは帽子を直す仕草で顔を隠した。僅かに見える口元が、に言った。 「ああ、すんまへんなあ。連れが来てまいましたわ。もしお時間あるんやったら、オアシスのほとりにある人間の村に来てくれはりませんやろか。そしたら、ゆっくり話できますさかいに」 「…………。」 は是とも非とも言わず、ただ深々と頭を下げた。 大男と、小柄な優男は、そこから静かに歩き去った。 は暫くの間、川底から、2人が消えた方角を見つめていた。そして、その姿勢のまま、誰にとも無く呟いた。 「残念ですわね。きっと、答えをお伺いできるのは今だけでしたのに……」 彼女は屈んで、川底の拳大の石を1つ、拾い上げた。 ハンマーを振り上げると、辺りに乾いた音が響きわたった。 割れた石の間には、美しい螺旋を持ったアンモナイト、太古に絶滅した生物の痕跡がくっきりと浮かんでいた。 捨てられた、路傍の石。 神の家の礎になった石。 躓きの石。妨げの岩。 一つの 石。 |