帰るべき場所





 が、金山寺に辿り着いたのは夕刻。
 彼女の目の前には、修行中の坊主たちが行く手を遮っていた。

「ご報告したいことございまして、参った次第なのですが」
「だが、用はないと申されておる。即刻立ち去られよ」
 何度も繰り返される問答に、はいい加減うんざりしていた。

 簡単なことだ。
 の父、桜雷(おうらい)がこの寺の法師と旧知の知人で、それが縁で報告に来たわけだが。
 目の前の若い修行僧たちは、聞く耳を持たずに帰れと突っぱねている。
 ただ、それだけなのだが、本人にも意地があった。

「法師様には、前もって書状をお送りしてございます。どうか、お目通しをお願いできませぬか」
「ならぬ」
 こうなれば、の最後の手段を切り出したものの、さっくり反対されて、は面食らった。
「そなたからの書状とやらは届いてはおらぬ。さあ、帰られよ」
 淡々とした、それでいて見下すような口調に、思わずかちん、とくる。
「何故ですか。わたくしは確かに、書状をお送りしました。届けさせた使いのものにも、そのように伺っております」
「使いのもの?」
 修行僧たちはそれぞれ顔を見合わせて、にやにやと笑う。
 その態度に、は完全にぶちぎれそうになった。
 が、ここは仏の御前。じっとこらえるしかない。
「主の使いのものなど来ておらぬ! さあ、早々に帰らぬと仏罰が下るぞ」
「そうですか」
 ついに目が座ったは、一言命じた。
「おいで。通鬼」
 と。
 修行僧たちは、その異様な光景に恐れ戦いた。
 西日を浴びて伸びた彼女の影から、小さな動物ほどの鬼が出てきたのだ。
 とはいえ、その見た目は大変愛らしく、影から出てくるなりの肩までよじ登り、きゅるきゅると鳴いて頬擦りをする。
「通鬼。お前、確かにこのお寺に書状を届けたね?」
 優しい声で問い掛けると、鬼は何度も大きく頷いた。
「そっ、そんな嘘が通用するか!!」
 完全にビビっている修行僧の一人が、錫丈を構えて叫んだ――が。

「ああ、確かに届いていますね」
 門の内側から、涼やかな男の声が聞こえた。
 続いて、門が重い音を立てて開かれると、は膝をついて頭を垂れる。
「お久しぶりですね。さん――でしたか」
「はい。お変わりなさそうで、何よりでございます」
 長い銀髪の、柔和な顔立ち。白い法衣をまとい、柔らかく微笑むこの人こそ。
 の父の友人、光明三蔵法師であった。


「以前、こちらに来られたのはいつ頃でしたか」
「まだ、修行を始める前と記憶しております。あの時は10もいかない子供でございました」
さん」
 未だかしこまった口調のに、優しい声で光明が言う。
「私はあなたのお父上の友人です。そんなにかしこまらなくてもいいのですよ」
「……ごめんなさい。法師様」
 は結局、光明三蔵の自室に通された。
 悔しそうな修行僧たちを横目に、法師の後についていくことが何と小気味のよかったことか。
 それはまあ、いい。
「ところで、今回のご用は何ですか?」
「あ、はい。
 わたし、この度、式鬼使いとしての修行を終え、旅に出ることが決まりました」
「おや」
 キセルをぷかりと吸いながら、穏やかに微笑む光明。
「お父上は……桜雷は、反対しましたでしょう」
「それはもちろん。でも、わたしの力がどこまで人の役に立てるのか、やってみたくて。
 それで、1週間くらい説得して、父を負かしました」
「負かしましたか」
「はい。頑張りました」
 笑みを絶やさぬ光明に、はつられて笑みを浮かべた。
 本当は、もっと、違う。
 でも、こちらの方が法師様を心配させずに済む。
 は、そう思った。


 幼い頃から、は両親の愛を受けて育った。
 だがその光景は、親戚一同には厄介者としか映っていなかっただろう。
 彼女が、禁忌の子供だから。

 幼いは、何故親戚の子供たちと遊んではいけないのか、父に尋ねたことがあった。
 答えはこうだ。

『何を言ってる。俺は、遊んではいけないと言った覚えはないぞ?』
 すべては、親戚の大人たちの仕業だった。

 親戚――分家の大人たちが自分を忌み嫌っていると気がついたのは、まだ5つにも満たなかった。
 表向きは笑って接していても、影で傷つくようなことを言われているのも感づいていた。
 だから、はいい子でいることを覚えた。
 髪を染め粉で栗色に染めたのも、分家の人たちにも認めてほしかったから。
 
 そんなささやかな努力すら無駄だと悟ったのは、弟の黄雷(こうらい)が式鬼遣いの修行を始めることを知ったとき。
『これで家は安泰だ』
『あとはあの化け物の娘を始末すれば、我々も安心できる』

 その言葉を聞いたとき、とうとう彼女は泣き出した。
 泣いても始まらない、そう思っても、涙は止まらなかった。
 そして泣くのを止めた時――は、式鬼遣いとして生きることを決めた。


「――さん、さん」
「は、はい?」
 光明に、何度も呼ばれていたらしい。は思わず大きい声で返したが、面白いくらいに裏返ったそれに顔を少し赤らめる。
さん、何か考え事でもしていましたか?」
「いえ、そんなことはありません」
 優しい声に、必死にごまかして首を振る。
 そうだ、分家の人間に忌み嫌われていることは、法師様は知らないはずだ。
 だから、このまま知らないほうがいい。
 そうすれば、父様にも迷惑をかけない。
「……さん、いいですか?
 あなたには、お父上がいる。優しいお継母上がいる。そして、頼もしい弟たちもいる」
「え、ええ。まあ」
 突拍子もなく切り出した言葉に、は大きく頷く。
 その表情に、光明は穏やかな口調でゆっくりと告げた。
「だから、もしも辛くなったら、迷わず帰っていいと思いますよ。あなたの帰るべき場所は、一つしかないのですから」
「……法師様」
「なんですか?」
 相も変わらぬのほほんとした笑顔を浮かべ、光明は立ち上がった。
「さ、そろそろ夕食の支度でしょう。さんもいかがですか?」
「あ、はい。
 ……えっと、頂いていいんですか?」
「あなたは、私のお客さんですからね。遠慮なく頂いていきなさい」
 その言葉と笑顔に、は満面の笑みで頭を下げた。


「お師匠様、夕食は、どうしますか?」
 引き戸を開けて、まだ若い修行僧の声が尋ねてきた。
「おや、ちょうどよかった。このお嬢さんにも夕食の支度を」
「はい」
「さて、さん。私は、ちょっと失礼します。
 面倒なんですが、もう一仕事してこないと」
「あ、はい。あの、あたしは」
「いいんですよ、ここで待っていなさい」
「わかりました」
 光明が立ち去った後、は立ち上がったものの居場所に困って、仕方なくその場に正座する。
 と。
 ゆるやかな曲線を描くものが飛んできて、は慌ててそれを受け止めた。
「……?」
『カロリーメ○ト チーズ味』
 黄色く細長い箱には、そう書かれていた。
「やるよ。貰ったもんだがな」
 先ほどとは打って変わって、憮然とした声で修行僧は言った。
「え」
「それの匂いが嫌いだからな。お前にやる」
 しばし修行僧と箱を交互に眺め、やがては小さく言った。
「――ありがとう」
「ん」
 坊主頭ではなく金色の髪をした修行僧は、少し皮肉げな笑みを浮かべた。


「……しっかし、よく見つけたもんだな、江流」
「何が?」
「これだよ、これ」
 大柄な男の手には、ぐしゃぐしゃに丸められた後の書状が一枚。
 丁寧にしわを伸ばしたものの、無残な姿のそれは、あの少女が光明三蔵法師に宛てて送ったものだった。
「別に、大したことじゃねえ」
 江流と呼ばれた少年は、髪をかき混ぜるように掻いて呟いた。
「あいつらが、寄ってたかって笑い者にしてたからな。
 だから、拾ってやった」
「ふーん」
 書状を広げてみると、丁寧な女の子らしい文字が整然と並び、挨拶をしたいといった旨が綴られている。
「お前だって、俺と同じだろう? 朱泱」
「――まあな」
 肩をすくめて応える男に、彼は。
「だろう?」
 金糸の髪を揺らし、紫暗の瞳を細めて、皮肉っぽく笑ってみせた。



「……ご馳走様でした」
 箸を置き、丁寧に手を合わせる。
「お粗末さまでした」
「いいえ。わたし、こういうの大好きですから」
 にこやかな表情の光明に笑顔で応えると、すっくと立ち上がった。
「おや、どうかしましたか?」
「はい、そろそろ出ようと思います。
 法師様にこれ以上ご迷惑がかかるのはよくないから」
「何を言いますか」
 申し訳なさそうに言うと、光明がにっこりと笑顔を浮かべた。
「旅立つのは明日の朝でもいいでしょう。それに、女の子の夜歩きは危険です。
 今日のところはゆっくり休んで、明日からの旅の英気を養いなさい」
「で、でも。これ以上……」
 言いかけて、は光明の笑顔を見た。
 にこにこ、にこにこ。
 ひたすら優しい笑顔を浮かべる彼に、思わず苦笑する。
 この人には、一生かかっても敵わないんだろうな。
 はただ、そう思った。

 案内された離れの一室には、すでに布団が一式敷かれてあった。
 用意されていた寝巻きに着替え、布団の中に潜り込む。
 ふ、と息をついて、はぼんやりと天井を眺めた。
「……帰るべき場所、か」
 法師様の言葉を反芻して、家族の顔を思い浮かべる。
 いい加減いいおっさんなのに、妙に気だけは若い父、桜雷。
 おっとりと優しく、いつも微笑みを絶やさないらんらん――もとい、継母、蘭華。
 しっかり者で真面目、でも実は結構オタクな趣味を持つ弟、黄雷。
 学者の為の勉強にばかり熱心で、式鬼遣いは嫌だとよくこぼす次男、赤露(しゃくろう)
 ミーハーで明るく、式鬼遣いよりもアイドル歌手になるんだと五月蝿い三男、明龍(みんりゅう)
 甘ったれでいつもくっついて歩き、大人の女には受けのいい末っ子、風笙(ふうしょう)――。
 三男あたりを思い浮かべた時にはちょっと頭を抱えたくなったが、みんな自分の大切な家族。
 ふと、無意識に微笑んでいるのに気がついて、は恥ずかしそうに布団を抱え込んだ。
 
 明日は気分よく旅立てるだろう。
 何の脈絡もないけれど、そんな予感がした。










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