問い掛け。




「ねえ、神様っていると思う?」
「……さあね。たくさんいるんじゃないの?」
 日々変わらぬ修行に明け暮れるは、少年の問いに素っ気無く答えた。


 山奥での、たった一人の修行。
 式鬼を使役する『式鬼遣い』の家に生まれて、初めて家を出て。
 黙々と続く修練の日々の中、生まれて初めて家族以外の人間と会った。
 まだ十歳くらいの少年。
 金髪が綺麗だけど、顔に巻かれた包帯が痛々しかった。


「お姉ちゃん、遊ばない?」
 始めに、そんなことを言ってきた。
 特に断る理由もなく、は微笑んで頷いた。
「いいわよ。何して遊ぶの?」
「鬼ごっこ」
 と、彼は素早い身のこなしで走り出した。
 も、その後を追う。
 山奥は、森も深い。木々はうねるように幹を太くし、枝を伸ばしている。
 にもかかわらず、少年の動きには全く乱れがなかった。
 対するも、負けじと木々を飛び移り、少年の後を追う。
 その息は、少しも乱れてはいない。
 地理的には、に分がある。すでに数ヶ月の修行を送る彼女にとって、ここは庭のような所なのだ。
 だが仕掛けてきた少年は、全くハンデを伴うことなく地を駆け、軽やかに跳ぶ。
 ――負けるもんですか。
 は、纏め上げた髪を揺らしながら枝を蹴った。

「お姉ちゃん、速いね」
「あんたもね」
 陽がとっぷりと暮れて、鬼ごっこにひとまずの終止符が打たれた頃。
 二人は笑い合って、お互いを賞賛した。
「おれ、女の人には負けない自信あったんだけどな」
「そうね、ここがあんたのよく知ってるところだったら、負けてたわね」
「この辺り、人が少ないのかな」
「ん。山に詳しい男でも、この辺りは迷うらしいわ」
 そんな物騒な山奥に、よくぞ修行に出させるものだ。
 は、父親に対して苦笑いを浮かべた。
「お姉ちゃん、名前は?」
「あたし?……
「綺麗な名前だね」
「ありがと。綺麗な名前って言われたのは初めてだわ」
 自分の名前を褒められて少し照れ臭いが、悪い気はしなかった。
「それに、その髪も綺麗だなあ」
「そうかな?」
 小さく笑みを浮かべながら、自らの髪を一房つまむ。
 艶やかな栗色の髪は、紛いものなのだが。
「そういえば、あんたの名前は?」
「ん?……内緒」
 そう言って悪戯っぽく笑う少年の顔は、何故か哀しそうだった。


「あ、先生!」
 少年が声を上げた。も、つられて顔を上げる。
 黒髪に黒い瞳の男だった。白い法衣を身に纏い、頭上に掲げられた金冠。
「……失礼致しました」
「ああ、畏まらなくってもいいよ。お嬢さん」
 丁寧に言って深く頭を垂れるに、彼はなんでもないように笑って言った。
「先生、このお姉ちゃんに遊んでもらったんだ」
「……法師様の御弟子とは露知らず、大変失礼を致しました。
 わたくしも、まだまだ修行が足りませぬ」
「ああ、この子は寂しがりなんでね。遊んでくれてありがとう。気にすることもない」
 さて、と小さく言ってから、法師はちらりと少年を見る。
「そろそろ行こうか。……ところで」
「はい」
「君も来る?」
 思いがけない言葉に、は少し迷って。
「……勿体無きお言葉ですが、謹んでご辞退申し上げます。法師様」
「どうして」
「我が一族に伝わる技は、闇に住まうものを使役する術。
 その身が、仏門を通れることは適いませぬ」
「そうかあ、残念だね」
 は、その時初めて法師の顔を見た。
 仏門に帰依するものとは明らかに違う、その口元に浮かぶ笑み。
「じゃあ、またね」
 そう言って、彼は少年を連れて去っていった。

 その後、は。
 父親から、『無』を司る高僧がいることを教えられた。
 名は烏哭。
 も、その時だけの話として胸にしまった。


 ――そして。
「……うわ。これはまた凄いわ」
 は、瓦礫の山を前にして頭を掻いた。
 近隣の村人たちから、カミサマと呼ばれている人物を探して欲しい、と依頼があったのだ。
 方々手を尽くし、この辺りの城に住んでいるとの情報を突き止め、向かったはいいのだが……。
「この辺りに建物っつったら、この辺しかないし……」
 それでも、瓦礫の山に足を踏み入れようとすると。
「おや、お嬢さん」
 声がした。低い男の声。
 咄嗟に振り返ると、白衣を着た優男が瓦礫の上に立っていた。
「……ここで、何をしているの?あんた」
「いや、ちょっと野暮用で」
 尋ねると、彼は肩を竦めて答えた。
「あ、そう。……にしても、参ったなー」
 最後の方はひとりごちるような呟きだったが。
「彼なら、いないよ」
 男の突拍子もない言葉に、は顔を上げた。
「いないの?」
「うん。姿はくらましたみたいだね」
「……うーん、こりゃ、神隠しにでも遭ったとか言った方がいいかも」
「そうかもねえ」
 言いながら、男が近づいてきた。
 が再び顔を上げたとき、間近に迫っていて。
「ねえ、彼女は……神様って、いると思う?」

 何でもない問いかけなのに。

『ねえ、神様っていると思う?』
『さあね。たくさんいるんじゃないの?』

 あの時の少年とのやり取りを、思い出した。

 暫く考え、はやがて薄い笑みを浮かべた。
「そんなの、神様に聞いてよ」
「はあ。神様に」
「そ。一番よく分かってるのは、神様本人じゃない?」
「なるほど」
 小さく言って、彼は笑った。


「さて、と。そろそろ行くか」
「おや、どちらへ?」
 素早く離れて軽く伸びをしたに、男が尋ねてきた。
「すぐ近くの街よ」
「僕でよければ、付き添ってあげようか?」
 何か別の意味を含んでそうなその言葉に、思わず吹き出す。
「結構。あたしはこれでも、連れがいるんで」
 謹んでご辞退した。
 くるりと踵を返し、ちらりと肩越しに男を見やって。
 は言った。
「それじゃ、何処かで会えるでしょう……『法師様』?」








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