Drinking Song





ご酒を召すかた 花なら蕾
今日も咲け咲け 明日も咲け

ひやりとした夜気の中に、絹の帯がたゆたうような歌声がながれる。よく通るくせにどこか耳元で恨み言を囁かれているような響きで。それでいて、途切れると急に寂しくなるような余韻をふくんで。
街外れの宿の二階。ほろ酔い加減のは窓辺で弦を爪弾いていた。時おり小ぶりのグラスを取り上げて、甘酸っぱい果実酒で唇と喉を湿らせる。
そこに誘いをかけるような口笛が鳴った。

「相変わらず、いい声じゃねぇの」
「ありがと」

は声の主を見つけてふっくりと微笑んだ。
夜もふけて人通りの絶えた路地には、いつのまにやら男が一人。冴え冴えとした月明かりに照らされた髪は艶やかに紅い。

「上がってらっしゃいな、悟浄」
「いーの?怖いお兄さんがいたりすんじゃねぇ?」
「いない、いない」

は羽織った薄ものの袖をぱたぱたと振る。

「んじゃ」

悟浄は宿の塀に足をかけた。ひょいっと上に跳ね上がったかと思うと、次の瞬間にはもうのいる窓辺にたどり着いていた。

「お邪魔しますっ・・・と」
「はい、いらっしゃい」

猫科の身のこなしで部屋に入り込んだ悟浄は、挨拶代わりにの頬に唇をよせる。
それを受け流してはグラスを示した。

「飲む?甘いけど」
「ん、いーわ」

路地裏の安宿だ。一脚しかない椅子にはがかけている。悟浄はベッドに腰を下ろした。尻の下でスプリングが錆びた音できしむ。

「久しぶり」
「山越えで足止めされてたの」
「へー」
「東の方に雪の山があったでしょ。あそこで妖怪が暴れてるとかでね」

楽器を抱えなおしながらが言うのはただの世間話。
山の奥でこっそりと妖怪の子供達を匿っていた男の妖怪がいたという。例によってその妖怪は暴走し、村人を殺害して行方をくらましているのだと。

「危ないからって、ずいぶん村で引き止められちゃって」
「そんで・・・匿われてたガキ共は、どうなったって?」
「さぁ。たぶんその暴走した妖怪がコロしちゃったンだろうって言ってたけど?」

は気ままな様子で弦を弾きつづける。

「ふーん」
「まだあの山のどこかにいるのかしらねぇ。その妖怪さン」

悟浄はベッドに両手をついて天井を振り仰いだ。

「いねぇよ、もう」

青灰色の瞳が物問いたげに悟浄を見る。

「殺したから。俺が」
「そう」

悟浄は腕の力を抜いて、ずるずるとベッドの上に横たわった。
蝋燭の炎がかすかな夜風にゆられ、しみの浮かんだ白い天井にはおぼろな影が映る。
踏みにじられた雪。
ちいさな墓石の群れ。

「暴走、したから?」
「さぁな」

子供達を守りながら、一人ずつ殺していくしかなかった男。
矛盾を抱えた雪山の隠れ家は、春を待たずにあっけなく壊れた。

「なんでかな」

男が守りたかった子供達は、自分達の家族を守りたい村人に殺されて。村人を素手で引き裂いた男を殺したのは自分達。
暴走していたかどうかは関係ない。
男が血に濡れた爪と涙で濡れた牙とで攻撃してきたから。獣じみた咆哮を上げながら、その目は痛いぐらいに正気だったから。

「いい奴だったぜ」

だから殺した。
は何も言わない。唇に笑みの形を留めたまま、弦を弾きつづける。やがて途切れ途切れの音は、どこかで聞いたような調べを奏ではじめた。
話したいなら話しておゆき。私はここにいるからさ。
酔ってほんのり紅がさした目元は、そう言っているようだ。

「薪割りがうまくてなー」

殺すのは最初でもなければ最後にもならない。
殺した相手の墓を一つ二つ作って善人顔をしていたら、今まで殺してきた妖怪の皆様方の立場はどうなる。
が手にした楽器を横に置くと、窓辺から立ち上がった。悟浄から少し間を空けてベッドに腰を下ろす。薄いマットレスがの重みで少しへこんで、悟浄の頭がそちらに転がる。

「殺さずにすむンだったら殺さないでしょ。人も妖怪も」
「俺が実は妖怪だったらどーするよ」

そんなことを言ってしまったのは、の口ぶりがあんまり普通だったからだろう。
はすっと目を閉じると顔をふせた。

「ごめんなさい」

髪に隠れての表情は見えない。

「今まで言わなかったンだけど・・・私・・・本当は・・・人間なの」

小刻みに肩が震えたと思うと、は顔を上げてころころと笑い出した。

「へー初耳」
「知らなかったでしょう」

悟浄は体の向きを変えて、のひざに頭を乗せた。柔らかな腿の丸みがしっくりと頭に合う。

「酔ってんだろ、あんた」

は答えずに微笑むばかり。そして傍らのテーブルからグラスを取り上げると、半分ほど残っていた中味をのみほした。グラスを置くと、空いた手で悟浄の髪に指をからめて梳き始める。白い指から赤い髪をさらさらと流しては、またすくい上げる。
幾度もいくども繰り返し。

「酒、くれない?」

悟浄が手を伸ばす。

「残念、もう飲んじゃった」
「あるだろ、ソコに」
「え・・・」

悟浄の両腕が伸びて、少し前かがみになったのうなじを捕らえた。そのままゆっくりと自分の方に引寄せる。の長い髪が紗のカーテンのように二人の横顔を隠していく。
まだ果実酒の香りが残るの唇がうすく開いて、煙草の匂いのする悟浄のそれと重なった。


咲いた花なら 散るのは定め
どうせ散るなら ぬし様ふたり








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Material from "Depraved Tastes"