かくれんぼ天井に近い細長い窓から、日は射し込んでくる。斜めの光の中に漂う埃を、ぼんやりと目で追う。見失って目を閉じる。目蓋の裏に四角い光が残る。それがだんだん崩れてぐちゃぐちゃになっていくのを、閉じた目で見ている。頭の中がうすぼんやりした光でいっぱいになったから目を開く。 部屋は真っ暗になっていた。 コンクリートの壁に寄りかかった背中が冷たい。胸元はシャツが、口の中には舌が張り付いている。タバコを探して手探りしたが、見つからない。 ベッドにずるずると横になる。くたくたのシーツは、汗と煙草と女の匂いがした。 ―女?― 左腕を持ち上げて見る。薄明かりの中でそれは他人の腕のように見えた。ゆっくりと指を握りまた開く。指先から掌、腕にかけて柔らかな感触がよみがえる。 ―誰、だっけ― 少し赤みがかかった金色の髪をすいたときの指先の感触。 汗ばんだ肌の吸い付くような手触り。 俺を呼ぶ少し掠れた声。 ―俺?― 開いた掌を額に押し当てる。 「ぁ・・・」 干からびた喉に声が引っかかる。 ―俺・・・は― いきなり部屋の灯りがついた。眩しさに目をおおった指の隙間で女が微笑む。 「ただいま、悟浄」 「よぉ、」 そう・・・だ。俺は悟浄でコイツはだ。なんで思い出せねぇんだよ、馬鹿か俺は。 「ごめンなさいね。遅くなっちゃって」 は手にした袋からペットボトルの水を出して俺に渡した。 「サンキュ」 フタをねじ切って一気に飲み干す。喉から胃に冷たい水を流し込んで、やっと少し目が覚めたような気がした。 「食べる?」 差し出されたのは赤い林檎。 「今いらねぇ、それよりアレは」 「売り切れだったの」 「んだよ、またかよ」 「なンかねぇ、妖怪が襲ってくるせいで、仕入れができないンだって」 ごんごんと頭で壁を叩いてみる。あー吸いてえ、ハイライト。最後に吸ったのはいつだっけ。 「とりあえずコレで我慢して頂戴な」 が放ってきたタバコを受け止めて封を切った。急ぎすぎて指先が震える。一本取り出して咥えたところで、がさっと火を点けた。 「やけにサービスいいじゃねえの」 「たまには、ね」 煙を深く飲み込んで肺に落とす。ひと息置いて吐き出すと、じわっとチョコレートのような味が喉の奥からにじみ出る。 ―コレはコレで悪くないけどなー 赤い箱の見慣れないタバコは、ここ何回かが買って来るやつだ。濃い癖にまろやかで、かすかなスパイス臭が癖になりそうな。 「美味しい?」 「結構イケる」 は俺の横に腰を下ろした。二人の体重でベッドがきしむ。腕をかけて引寄せると、は素直に胸にもたれてきた。 珍しいな。いつもはタバコを吸うなら外に行けってうるせぇのに。そういや、俺がココに来てからは妙に優しくねえか。それとも前からそうだっけか。 ・・・・・・前って・・・・・・。 「なぁ、俺らいつからココにいたっけ」 剥き出しのコンクリートの壁に囲まれた部屋。窓もドアも一つっきりで、ベッドも椅子も一つしかない。灯りといえば切れかけた蛍光灯。安宿にしても愛想がなさすぎる。 「ちょっと前から」 「その前は・・・」 俺の腕の中からはすっと抜け出した。空になった胸が寒い。 「どうして聞くの。そンなこと」 んな、ダンボールの中の捨て猫みてぇな顔すんなよ。 「どうしてっ・・・つーか」 言葉を探してまたタバコを咥える。頭ン中がくらくらしやがる。このタバコ、口当たりがいいくせにキツいぜ。 「なんか・・・あっただろ」 この部屋で一日ぼんやり過ごして、の帰りを待って。喰って、寝て、また起きて。ここでこうしているのも悪くねぇけど・・・前もあった・・・はずだろ。 畜生、頭痛ぇ。両腕で頭を抱え込んで目をつぶる。 ちかちかする残像は赤く丸くなって、砂漠に沈む夕陽になった。 背中から尻に、覚えのある振動が這い登ってくる。車でひどい道を飛ばした時のような。 悟浄、せまいじゃんか。もっと向こうによれよ。 文句を言う顔がぼやける。 うるせえ。殺すぞ糞河童。 金色の髪の後姿。 誰だよ、お前ら。誰だったんだよ。 悟浄。タバコの灰、ジープに落とさないで下さいね。 ひんやりとした声と笑い顔。 「はっ・・・・か」 もう少しで掴みかけたものは、やんわりとした感触に押し流された。 「悟浄」 掠れた声が、俺をこの部屋に呼び戻した。 「悟浄」 赤い唇が目の前にある。腕がからみつき、胸が押し付けられて、俺はベッドに押し倒されていく。柔らかくて甘ったるい匂いのする肌に包み込まれて、もうどうでもよくなっていく。 「思い出さないで」 探りあう手と足が絡まりあって、体温が上がる。 「行かないで」 熱い。 天井に近い細長い窓から、日は射し込んでくる。斜めの光の中に漂う埃を、ぼんやりと目で追う。見失って目を閉じる。目蓋の裏に四角い光が残る。それがだんだん崩れてぐちゃぐちゃになっていくのを、閉じた目で見ている。 話し声が聞こえて目を開いた。 一つきりの窓に脚が二人分見える。ベージュの綿パンツに男物の革靴と、細い素足に華奢なサンダル。 「ううン、見てないわ。そうね二週間ぐらいは」 「そうですか。僕らも探しているんですが・・・」 聞き覚えのある男と女の声。 「なぁに、また家出?」 「にしては、心当たりがないんです。また厄介事に首を突っ込んでるんじゃないかと」 「大丈夫よ、あの男のことだもン。二三日すれば、ひょっこり帰ってくるわよ」 「だといいんですが。じゃあ失礼します」 歩きかけた革靴が立ち止まった。 「その煙草は?」 「これ?お客さん用の特注品なの」 「そう、ですか」 革靴は踵を引きずりながら歩いていって見えなくなった。サンダルは少ししてから急ぎ足で革靴とは反対の方向に歩きだす。軽い足音は一度遠くなってからまた近づいて、ドアの向こうで止まった。 鍵が開いてドアが開く。俺が一日中待っていた瞬間。 「ただいま、悟浄」 「おかえり・・・・・・」 「っていうの、私」 扉を開けた女は少し悲しそうな顔をした。 「おかえり」 「ただいま悟浄。はいコレ」 女は俺の手に、赤いタバコの箱を置いた。 「サンキュ」 指先が震えて包みが開けられない。そんな俺を見かねたのか、女は俺から箱を取り上げて、包みのセロファンを外した。一本取り出したタバコを俺の口に咥えさせて、親切に火まで点けてくれる。 水に溺れかけた時のように、深く煙を飲み込む。飢えて焦れる体中に行き渡るように。甘くて懐かしいような香りがじわじわと染み込んでいく。 いい・・・気分だ。身体全部が柔らかいクッションに、ずぶずぶ沈んでいくみてぇ。女の唇が動いた。ごめんなさいって何だよ。 一瞬何かを思い出した、ような気がした。重い腕を持ち上げて、女の頬に手の甲でさわる。 せっかく奇麗に入れてたマスカラが、ぐちゃ混ぜんなってるじゃねぇか。 あぁ分かってる、分かってるよ。どこにも行かねぇ、ずっと一緒にいる。だから、もう泣くなよ。 あんたが誰だか知らねえけど。 |