こわい





季節は夏。
時刻は真夜中。
人は二人、悟浄と
雨上がりの降るような星空の下、二人は言葉もなく佇んでいた。草むらからは虫の音が流れ、それが一層静かさを感じさせる。
昼の熱気をまだ残る夜風に、漂う香りは毎日香。月明かりに浮かぶのは墓石の群れ。
どこかの寺で撞く鐘の音が陰々と響く。
鐘の余韻が闇に溶けて消えた頃、ようやく悟浄は口を開いた。
「なんで俺らココにいるの?」
「付き合ってくれるって言ったじゃない」
それは言った。確かに言った。
『悟浄。今夜ヒマだったら付き合ってくれない?』
冷えたビールをグラスに注ぎながら、にっこり笑うにそう言われて、嫌だと言う筈がない。ふたつ返事でついて来たのにこの展開はどういうことだ。
「デートにゃムード無さすぎじゃね?」
「そういうンじゃなくってね、この奥に用があるの」
そう言うとは悟浄の手を引いて、そろそろと歩き始めた。
「墓場になんの用だよ」
「キノコ狩り」
「あぁ?」
が言うには、この墓地の奥に孔多茸という珍しいキノコが生えているらしい。それは夜中に地中から顔を出し、一夜で成長を果たして朝には枯れてしまうのだと言う。
「枯れる前に収穫して、干して粉にするとね、なにかとお役立ち物なのよ」
「へー」
悟浄の返事はそっけない。つまり期待したような展開にはなりそうないわけだ。と言って、はいさようならと帰るわけにも行かず、悟浄はに腕を取られたまま、墓地の奥へと進んでいった。
湿った夜風が頬を撫でる。
街外れのその墓地は、中途半端に荒れていた。草に覆われ墓石も見えなくなっている
墓がある。かと思えば、磨かれたばかりの墓石が水を含んで月明かりにてらりと光っている。その前には花と白い灰になった線香。
苔むして刻まれた名も失われ、ゆっくりと土に返っていく途中のものは、もう墓なのか石なのかも分からない。
―埋まってんだよな―
一つ一つの墓石の下に。もしかしたら今歩いているこの地面の下にも。時の流れの中で人の身体は大地に返っていく。肉はとろけ骨は砕けて土に混じる。だったら今、踏んでいる地面は、積み重なった死体と同じだ。
幽霊は見たことが無いし感じたことも無い。だからいないのと同じだと思っていたが、旅の連れが悪かった。
三蔵は坊主だ。幽霊がどうのと言ったところで、鼻で笑われて終りだ。
悟空は猫と同じだ。時々、金茶の目を瞬きもさせずに、何も無いはずの所をじっと見ていたりする。
八戒は微妙だ。だが彼の怪談話を聞くのは二度と御免だと思う。
よく『生きてる人間のほうが怖い』と言われる。だが死んでる人間の方が怖いと思う。生きてる奴は、見えるし触れるし殺せる。泣いている女は抱いてやれるし、絡んでくる男は殴りとばせる。
だが死んでいる奴には何もできない。
―嫌だね―
じっとりと汗がにじむ。首筋にへばりついた髪を払おうとしたら、右腕が動かない。
横目で見ると、が縋り付いていた。
「怖ぇの?」
「わっ・・・悪い?」
睨み返すだが、その腰は引けている。
「意外な一面」
「だってここ、出るって評判なンだもの」
「おい・・・」
悟浄の足がぴたりと止まった。
「出るってのは、蚊とか痴漢とか」
「ううン。幽霊」
嫌な予感はなぜ当たるのだろう。
「帰るわ、俺」
踵を返した悟浄の腕に、が必死にぶら下がる。
「なによっ、妖怪が幽霊怖がって、どーすンのよっ!」
「そういう分け方するんじゃねぇっ!」
逃がしてたまるかとばかりに全身の体重をかけて、は悟浄を引き止める。その顔が不意にこわばった。
「い、今なんか笑い声が・・・」
「はっ、そんな手にゃ・・・」
笑い飛ばそうとした悟浄の勘が何かを捕らえた。二人を取り巻く暗がりから立ち昇るものは、霊気ではなく妖気。
「離れろ、
張りつめた気配を読み取って、はすっと身を離す。
「女連れとは余裕だな、沙悟浄」
草むらから木陰から、手に手に得物を持った数人の妖怪達が、姿を現した。
「こんな場所に女連れで来るたぁな」
「張ってた甲斐があったぜ」
妖怪達はニヤニヤと笑いながら二人を取り囲んだ。
「自分がモテねぇからって、他人の邪魔してんじゃねぇよ」
悟浄はを背後に庇った。は袂に手を入れると、中に忍ばせていた物を握りしめる。
「心配するな。その女は俺らが可愛がってやらぁ・・・てめぇを殺した後でなっ!」
妖怪が悟浄の頭上に剣を振り下ろす。刹那、悟浄の手の中に召喚された錫杖が、硬い音をたててそれを受け止めた。
「へっ、てめぇらにゃ勿体無いぜっ!」
勢いをつけて妖怪を跳ね飛ばし、悟浄は錫杖の刃でその身体を斜めに薙ぐ。
「ぎゃっ!」
右肩から左腹へとざっくり斬り下ろされて、妖怪の一人が地面に転がる。
「畜生っ!」
「殺っちまえっ!」
襲い掛かってくる妖怪達の間隙を縫って鉄鎖がうねる。月の刃が閃く度に、悲鳴と血飛沫が上がる。
ほどなく最後の一人になった妖怪は、逃げ道を探すように必死に辺りを見回した。その血走った目が、邪魔にならないようにと物陰に身を潜めていたに止まる。妖怪はに飛び掛ると、その右腕を掴んで背中に捻り上げた。
「この女の命が惜しかったらっ!」
「残念でした」
恐れ気の欠片も無いのセリフに、一瞬妖怪の気がそれた。それを見逃がさず、は袂の中で握りしめていた物を、妖怪の顔面に突きつける。しゅっと音を立てて、の手から霧状になった液体が妖怪に降りかかった。
「ぐはぁっ」
忌避剤をまともに吸い込んで妖怪が仰け反る。その剥き出しになった喉を、飛来した刃が真一文字に切り裂いた。
皮一枚で繋がった首から、血は噴水のように噴き出した。まだ腕を捕らえられたままのを紅に染めて。が腕をもぎ離すと、命を無くした妖怪の体はころりと地面に転がった。
っ!」
駈け寄ろうとした悟浄の足が止まる。の青灰色の瞳が血に染まった自分の体と、散らばる死体とを順に見つめていた。そしてその目が悟浄を捕らえて、丸く見開かれた。
無理はない。目の前で大量殺戮をやられて怯えない訳がない。いくらが旅慣れていて、多少の修羅場をくぐっていたとしても。
耳の奥が痛くなるような静けさは、どのぐらい続いたのだろう。気がつくとまた虫の声が戻っていた。
「あ・・・」
の唇が震えながら開く。泣くか、喚くか。宥めるように上げた腕のやり場に迷って、悟浄はの前に立ちつくす。
はその瞳に映した物を振り払うように二三度瞬きすると、ふぅっと息を吐いて言った。
「穴、掘りましょ」
「穴ぁ?」
「埋めなきゃ」
細い指先が示すものは、無言で地に横たわる死体達。

幸いなことに、雨が降ったばかりで地面は柔らかかった。錫杖の片側、箆状の刃を使って、悟浄は墓地の隅に穴を掘り始めた。そのへんに落ちていた棒を拾い上げて、も土を掻き出していく。
力を込めて錫杖を地面に突き立てるたびに、草の根が刃に当たってぶちぶちと切れた。割れた瀬戸物、服の切れ端、時々出てくる骨の欠片。そんな物を無視して掘り続ける。
「休んでろよ」
は手を休めずに、ただ首を横に振った。頬に付いた泥はねが乾いて白い。
「付き合うこたねぇって」
こんな汚れ仕事に。
「怖くないもの」
何が?
血が?死体が?人殺しが?
「悟浄だったら、生きていても死んでいても怖くないもの」
怖がれよ。俺は究極の安全牌か。
頭を動かすより身体を動かす方がてっとり早くて、悟浄は穴を掘りつづけた。
「けど・・・死んじゃったら見たり触ったりできないから、ちょっと寂しいかもね。私、霊感ないし」
「へー奇遇。俺もねぇの」
穴が充分な大きさになったところで、妖怪達の死体とその一部を中に落としていった。穴の上から二人で土をかけ、盛り上がった上から踏み固める。
は草むらから二三本の花を折ると、出来たばかりの墓に供えた。手を合わせると、目を閉じて軽く頭を下げる。
「じゃ」
は手をはたいて泥を落とすと、微笑んで言った。
「気をつけて、なるべく死なないようにしましょか。お互いに」
「そだな」
悟浄はタバコを咥えると火を点けた。

変な女。
死体があっても埋めねーぞ、普通。逃げるか悲鳴の一つもあげて、震えながらしがみ付いて来るもんだろ。
大体この女、計算高いわ、口は悪いわ。自分も他の男と付き合うくせに、俺が他の女を見るとうるせぇし。自分勝手で気が向いた時にしか会いに来ねぇし。香玉売りったって、妙なモンも扱ってるし。そーいやキノコ狩りはどうなった。
あー体中が血生臭せぇ。

小さく欠伸をすると、は髪をかきあげて呟いた。
「嫌だ、髪がゴワゴワ。帰ってシャワー浴びよっと」
悟浄の返事も待たずに、はすたすたと歩き始める。しばらく行ったところで振り向いて叫んだ。
「ぐずぐずしてると、本っ当にお化けが出るわよーっ」
悟浄はタバコを地面に落とすと踵で捻った。錫杖を肩に担いで歩き出す。
「だーれが怖がるかよ」


怖くない、あんたなら。
生きていても、死んでいても。


前を歩くの後姿が、墓石の間に見え隠れする。髪も服も血まみれにして、真夜中の墓場を鼻歌混じりに歩く女。


怖くない・・・・・・たぶん。









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