promise




彼は誰時。
東の空が白く明けはじめ、でもまだほの暗い闇が名残惜しげに漂う時間。悟浄はむっくりと起き上がっ た。同じベッドに横たわるの寝顔をうかがうと、その眠りを乱さないように静かにベッドを出て服を身に つけていく。
デザート・ブーツを履きおえ、ぎっとバンダナを額に巻く。煙草を咥え、火をつけようとしたところで手が止 まった。夕べさんざんから「ベッドで煙草を吸わないで」と文句を言われたことを思い出したからだ。 今はまだ眠っているこの女は、香玉などを扱っているせいか、匂いにはやけに敏感だ。
悟浄はぱちりとライターを閉じて、ポケットにしまいこんだ。

―そろそろ行かねぇとな―

足音をしのばせながら部屋の扉に手を伸ばす。その動きをの声が絡めとった。

「行くの?」
「悪りぃ。起こした?」


軽い笑いを浮かべながら悟浄が振り替えると、青灰色の瞳がこちらを見ていた。は薄い部屋着を羽 織りながら、あくび交じりにベッドから出た。
乱れた髪をかきあげながら、素足のままで悟浄に近づく。悟浄からニ、三歩はなれたところで立ち止まる と、はぽってりとした唇を動かしてつぶやいた。

「行かないで……」
「へ?何言っ…」

聞き返す間もなく、は悟浄の胸にすがりついた。

「行かないで。あなたに何かあったら…私…」

自分の胸に顔を埋めてそう言うに、悟浄は戸惑った。

「お、おい……?」

まさか彼女からこんなセリフを聞くとは思ってもみなかった。互いに割り切って付き合っている。そう思っ ていた。

「どうしたんだよ。あんたらしくもねぇ」
「………」

返事はない。ただ背中に回された手に力がこもった。胸に伝わるの息の熱さと小刻みな肩の震え が、ますます悟浄を困らせる。

「おい、
―泣いてんのか?まさかコイツが…―

女に泣かれるのは苦手だった。とにかく宥めようとの肩に手をおく。

「その…さ。こんなイイ男と離れるのが悲しいのは分かるけどよ」

の肩の震えが、こらえるような笑い声に変わった。と思うと、まとわりついていたの腕がするりと ほどける。つっと身を引くと、は納得したような顔で頷いた。

「よし」
「はぁ?」
「一度やってみたかったの。こういうの」
「なんだよ、そりゃ」

あっけに取られる悟浄に向かい、はけろりと言う。

「遊郭にいたころ、同輩のコ達がこう言うの聞いててね、どンな感じがするのかなぁ、って」

悟浄はがしがしと頭を掻いた。つまりからかわれたというわけか。

「で、ご満足して頂いたワケ?」
「ん〜。思ったよりつまンない」
「おいおい。人を付き合せといて、そりゃねぇだろ」
「だって……ねぇ」

はくるりと悟浄に背を向けると、窓辺に歩いていった。

「行かないでって言ったら、行かない?」

窓辺に寄りかかって立つ。差し込む朝日が逆光になり、の表情は見えなくなる。

「死んだら泣くからね」
「……」
「泣いて泣いて泣いて……忘れちゃうからね。私」
「冷てーの」
「死んだ人のこといつまでも憶えていられるほど、余裕のある人生じゃないのよ。私は」

悟浄はゆっくりとした足取りで窓辺に寄ると、の隣に立った。

「死なねぇよ。俺、死に方は決めてあんの」
「どんなの?」
「美人の上で腹上死」

呆れて肩をすくめるを、そっと抱きしめると悟浄は耳元で囁いた。

「だからさ、帰ってきたら、ヤらせてくれる?」

は苦笑いしながら頷いた。

「思う存分ね」
「んじゃ」

悟浄はの頤に手をかけ、軽く唇を合わせた。そのまま片手を上げると、鼻歌を歌いながら部屋から 出て行く。
まるでちょっとそこまで、煙草を買いに出かけるような気軽さで。

「あーぁ」

残されたはしばらくぼんやりしていたが、やがて自分の荷物を改め始めた。

「えーっと止血剤は足りるわね。包帯とガーゼも大丈夫。あとは…」

足りないものを頭の中にリストアップしていく。

「思いっきりしみる消毒薬、買ってこよ」

カミサマを袋叩きにしようとする奴らが相手だと、女はなかなか悲劇のヒロインではいられないのである。






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