君に響く鈴の()




 明らかに粗末な小屋で、身なりはこざっぱりとして質は良いものなのに製法の段階あたりから問題なのか、やはり粗末に見える服を着て、一人で眠り、起き、生活をしている。
 ただ、そこに存在していると言うのが相応しい。
 見かけは悟空とさほど変わらぬ年齢の様に見えるが、その表情や瞳の奥に見え隠れする「何か」がを見かけ通りの年齢ではない事を知らしめてくる。それでも、出向けばお茶や食事やお菓子を振舞ってくれるし、話を聞いてくれるのが嬉しいと思う。だから、踏み込むような事は何も聞かない。
 怖いのかも知れない、と想像する事もある。森の中に居る間だけ。
 普段の日常では、欠片もと言えば嘘になるが滅多に思い出す事はない。それでも、何かに呼ばれたかの様に森へ出向く事があれば何時だってはそこに居る事がわかっているが故の安心なのだと、理解した時はにやけてしまった事もある。
 どこのどんな森からでも、の住む小屋に通じると言う不自然な事はあるけれど。悟空は自然な事として受け止めていたから、だから安心していたのかも知れない。

 小屋の中で、泣いている人がいる。
 見た目は、小屋の外で隠れるように立ち尽くしている自分自身とさほど変わらない程度に見えるのに。彼女の周りに漂う空気と言うか、雰囲気に関しては全く違うのだと思い知らされる。
 あえて言うのなら、男とか女とか、大人とか子供とか、そう言うものから切り離されてしまったとでも言えば良いのだろうか? 確認したわけではないから判らないけど。
 いつもならば、こちらが現れる前にお茶の支度も軽い食事の支度だって終わっている筈なのに……別に、それだけが目的ではないけれど、ここ暫くのは元気が無くて。心配と言うよりも不安を覚えて、けれど森から出ればそんな事は夢よりも遠い出来事に思えていたのも本当でいて、それの繰り返しが自分自身で嫌だと思って。
 だけど、誰も教えてくれなかった。
 と言う少女が、床に座り込んでいた。
 頭を垂れて、じっとうつむいて、見えない何かに堪えているのは何に対してなのだろう? 自分自身の肩を抱いて、叫ぶでもなく涙を流して、嗚咽を漏らさぬように必死に声を殺して、時折。その唇から漏れる謝罪の言葉を、どうしたら良いのか……こんな時、他の仲間達ならばどうしただろう?
 三蔵は、そもそも泣いている女の子を慰めるなんて手段はどう見てもとらないだろう。悟浄はおろおろして役に立たないイメージがあるけれど、それ以前に年齢対象外と言う前提がつくからイメージがしにくい。かと言って、八戒なら頭でも撫でて暖かいお茶とか出したりするのだろうか? いや、でもこの小屋はの小屋だから勝手に台所と言い切るのも粗末な台所を使うのもどうかと言う気もする。
 ああ、役に立たない……。
 勝手に頭の中で×印をつけて、それでも一番役に立っていないのはこの場に居ない面々ではなくて。この場に居るのに中に入れない、勇気の欠片もない自分自身だと言うのを痛いほど感じていて。
「俺、判らないから!」
 我慢出来なかったのが、一体何に対してなのかなんて判らないし考えなかった。
「……悟、くう……?」
 明らかに全神経が固まったと思われるが、それでも疑問系とは言え名前を呼べたのは。どう見ても条件反射のなせる技だと思うけれど、それでも普段は穏やかでありながらどこか超然としていると思わせるが。無条件でぽかんとした顔をしたのを見て、そのおかげで一瞬でも泣いている事や流している涙を忘れさせたのを見ただけで、なんだか満足していた。
 それで満足してしまうのは、本当はよくないのだろうけれど。
がどうして泣いてのかとか、最近は会うたびにすごく元気なさそうだとか、本当はすっげー心配してるけど口にしなかったとか、そう言うのあるけど!」
 言い始めてしまってから、言ってしまってから、実はないも考えては居なかったのだと言う事を思い知ってみたけれど、始まってしまったものは停まらないわけで。
「でも、判らないから!」
 仲間達には……たまに、戦うべき敵にすら「考えなし」とか「もっと考えてから言動しろ」とか言われるけれど。そのおかげで困った事とか、仲間にぶっ飛ばされる事とかも結構あったりするけど、それ以外の理由でぶっ飛ばされる事の方がずっと多いわけで。
 だけど、停まらないのだ。どうしとうもない、思った事を感じた事を、その全てを、例えば誰かにとって間違っていたり困ったことになったりする事だと後で考えて結論付けたとしても。
「言ってくれないと、俺には判らないから!
 助けられるとか、助けたいとか、そう言うのあるかも知れないけど……出来ないかも知れないけど、何か出来るかも知れないけど、だけど……が言ってくれなかったら、俺。
 何も……出来ないから」
 だけど、停まらない。止められるのならば、きっと人生の数パーセントは得している事だってるのだろうけど。
 だが変わりに、人生の何十パーセントも損している事になる。もっとも、損得勘定だけで割り切れる問題ではないのだと言うのも、判ってはいるのだけれど。
「……あ」
 ぎくっと、した。
 言われるのだ、悟浄あたりには「思った事をぺろっと言うのも良し悪し」だと。八戒もやんわりと言う事もあるし、三蔵は言葉よりも態度で示す事のほうが多い……拳銃を向けて一々発砲するのはどうかと思うのだが。
「ありがとう」
 どんな、言葉が来るかと思った。
 怒られるかも知れない、帰れと言われるかも知れない、二度と来ないでくれといわれるかも知れない。その可能性があった事を考えてから、ずいぶんと頭の中はパニックになっていたのだと思う。
「私……私は、言わなくてはならない、事が……あるの」
 まだ、涙は完全に止まっていない。嗚咽の混じった声は、それでも何か伝えるべき言葉を繰り出そうと努力して、そして必死に自分自身の体を抑えていた両腕は強張りを見せながらも外されてゆく。
 必死になって、何かに。
 こう言う戦いもあるのだと、悟空は言葉ではない部分で思った。
「だけど、まだ言えない。言いたいの……に、言わなくては……ならないのに……なの、に……」
 再びこみ上げて、あふれ出す涙をどうしたら止められるのだろうかと考えてから。同時に、心の奥底で涙を止めたくないと考えている自分自身が居て、その事実に戸惑いとか考えとか反射を見せる前に。
「うん」
 答えて、いた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……言いたいの、言わなくては、ならないの。
 言えば、きっと悟空の為になる。皆さんの力になれる……なのに……!」
 何度も何度も、もしかしたら今だけではなくてずっと。
 吐き出したかったのは、その「言わなくてはならない事」と共に「想い」なのだろうか?
 何が邪魔をしてを苦しめているのか、当人でもない悟空には想像もつかない。
「言えない……言えないの……」
 ぼろぼろと涙を流している姿は、いつもと違う姿だ。
 年相応と言う言葉があるが、まず悟空自身が年相応とは無縁の存在だ。そして、常のもそう言う存在だ。
「うん、でも俺。大丈夫だよ?」
 しゃくりあげてきたから、もうそろそろ泣くのは終わりだろうとか。そう言う事は一切考えなくて、以前の問題として計算とか策略とかを、めぐらせるつもりもなくて。
、俺は一人じゃないから。皆居るから。
 三蔵も八戒も悟浄も居るし、色んな人達、いるから」
 その中には、当然の事して様々な事情から戦わなくてはならない敵なんかも含まれていたりはするのだけれど。
「泣いてもいいから」
 どうしたら、女の子が涙を流すのかなんて知らない。
 どうしたら、女の子の涙が止まるのかなんて判らない。
「でも、俺は大丈夫だから」
 ぐしゃぐしゃな顔を、普通ならばきっと「汚い」の一言で済むのだろうと思うけれど。
 だけど、この涙は……違うから。
 困るとか、嬉しいとか、嫌だとか、そう言う気持ちが浮かんだり入り込んだりすることは今すぐにはないけれど。それは後からじわじわと押し寄せてくるんだろうと言う気も、するのだけれど。
「いつか……さ」
 考えなんて、何一つなくて。
 本当は、してはいけないことなんじゃないかと思って。
 けど、そんな風に考えたり思ったり思い返したりするより。
「いつかで、いいからさ」
 始めようと思うのが、日常で。
「ずっとじゃなくていいから、にだって都合とかあるだろうし」
 それから、考えてもダメなんじゃないって。
 まだ間に合う筈だって、そう思いたい幻想かも知れないけれど。
「一緒に行かない?」
 森の中に閉じこもってるからとか、そう言う事ではない。
 この森はとても居心地が良いし、だって一人で生活するのは大変なんじゃないかと思う事もあるけれど。それでもたまに、行き交う人がいるんじゃないかと言う気がする。お茶などもそうだし、お香がふんわりと匂ってくる時だってあった……常にと言うわけではないし、森のむっとするほどの臭いとか風に飛ばされたりとかで、本当に極僅かだったりするけれど。
「わ……た、えと……?」
 でも、の服が変わっていたり。一人で捌いたりするのは無理そうな肉料理が出たりすると、本当に居心地よく生活しているのだろうと言う気がして、もっと人里に近い所に出たらどうかと言う話とかなんて思いも付かなくて……案外、外の世界は妖怪とかが多いから逆に森の中の方がみたいな人種には安全なのかも知れないと思う事も一度くらいあった。
「外にさ、森の」
 言ってから、無理かも知れないと言う気もした。
 悟空だって森から離れる時は、少し寂しさを覚える。何も考えずにたらふく食べて、眠って、それだけで過ごしたいと言う気がする時だって、ないとは言わない。それでも、今はやるべき事ややりたい事なんかもあるから、その欲求の方が強いから出て行く気になれる。
「……はい」
 流れる涙を止めず、それでもさっきより硬直した体から力が抜けて。
「いっとくけど、嘘とかじゃないから。今すぐってわけにはいかないけどさぁ……」
 微笑んだから視線を逸らしてしまったのは、この場所を。森を今はまだ確保しておきたいという気がしているわけで、聞かれたら「そんな事ねーよ」くらい言うかも知れないけれど、それは考えていないからこそ出る言葉だと言うのがわかっているから、考えたくないだけの話。
「けど、本気だから」
 視界の端の方で、一生懸命になってが袖口で涙をぬぐっている姿を見て。
 こんな時、どうしたら相手が喜ぶのかなんて判らなくて。
「はい」
 間違ってるかも知れないとか、これで本当に正しいのかとか、そう言う事を考えなくて初めてしまったけれど。
 の涙が止まったから、良いか……と感じて。
「今は、まだ言えないの。ごめんなさい」
「それは……!」
 思わず反論しようとした悟空に、がなんとか涙を止めた姿で遮った。
 腕の一振りで言葉を封じたの姿は、今まで出会ったの。どの姿とも似ていない様な、それでいてやっぱりなのだと思って。
「だけど、きっと言うから。いつか」
 頬を染めて、目を赤くして、こちらを見つめる眼差しはまだ完全に元に戻ったとは言えないけれど。
「……うん。判った」
 言えない事があって、言いたい事があって。
 でも、いつか時が来たら言ってくれるのだと言う事が判って。
「なんか、ほっとしたら腹へったよぉ」
 今は、それだけで十分だと思った。
 悟空もも、今はその時ではないことを知っているから。
 ならば、それはいずれ来る約束なのだ。
「少し時間がかかるけど……待っていてくれるのなら、美味しいと思ってくれるものをこしらえるわ」
「うーん、でもの出してくれたのって美味かったのしかなかったからなあ……」
「それは……嬉しいわ、ありがとう」

 が何を言いたくて言えなかったのか、そして悟空がに約束した事が。
 それがどんなもので、どんな結果をもたらす事になるのか。
 また、それは別の話となる。








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