勲章と言う名前森の中は常にざわついており、もし生命の息吹を感じたりやたらと耳の良い人ならば騒がしさのあまり。たまには発狂したい衝動にかられるのかも知れない……と、森の外側に近い所を歩いている少女は思った。 決意を、胸に秘めて歩く事はそうそうあることではない。 特に、相対する存在の事を思うとうまく立ち回れるだろうかと考えれば余計にそう思う。 時には数日、時には何ヶ月も一人きりで森の中にすごしている身分では。こうして買い物以外の用件で誰かに会うというのは滅多にあるわけではないと言うのに、その割りに苦痛を感じる……近頃では、特定の人物に会うのは苦痛だとは言わないが。様々な理由から複雑な感情を起こしているのが、何とも言えない感触だ。 「これより先、立ち入られるのは遠慮願います」 人と関わることは、好き嫌いの観点から言って答えられない。けれど、得手不得手と言う問題ならばはっきりと答える事は出来る。 不得手だ。 「迷惑をかけるつもりはありません、僕たちは……」 「貴方達には、血臭が強すぎます」 粗末ではあるが、白い服だ。 森の中を歩いてきたと言うのに、その姿に汚れなどはなく。さりとて新品の様な違和感なども感じさせない、着慣れた感じが見える。 少女の風貌をしているが、そのまなざしは少女のものではない。 「強すぎる血臭は、かの御方の御身にも障るでしょう」 服の上からでは判りにくいが、へその上あたりで組まれた手には力が入っている様には見えない。けれど、少女の外見から見える事実と同じように少女の心中を計る事は出来ない。 「うちの猿はそこか?」 「悟空は、貴方の所にいるんですか? さん」 知らない間柄ではない……が、知っているのは名前と。少女が森の中に住んでいると言う事だけで、ただし森そのものは一体どうなっているのか違う森から入っている筈なのに少女と出会う遭遇率がなかなか高いという不思議さはある。 「ええ」 二人の人物は、この世界で最高位の僧である玄奘三蔵。そして、お供の一人と言われている猪八戒……他の二人のうち、片方の居所は知っているので。恐らくもう一人は怪我でも負っているのか別の所を探しているのか、留守番でもしているのだろう。 「では、悟空は……」 「御身は、怪我を負っておいでです」 「ちっ……手間かけさせやがって……」 ひどく、この世界で最高僧と言う位を背負っている男の顔がゆがむ。 何を思って苛立っているのか、原因や理由を知りはしないし知りたいとも思わない……が、想像することは然程は難しい話でもない。 「容態は、どうなんですか?」 焦って様子を聞いて来る八戒と、苦々しい顔で懐を探って。目当ての煙草が見つからなかったらしい三蔵の様子はひどく対象的で、だからこそ即座にと呼ばれた少女を睨みつけるのはいらだたしい気持ちをどこにぶつけたら良いのか判っていない事を自覚しているからなのだろう。 「何です?」 「三蔵!」 言葉にせず行動で示そうというのか、明らかに三蔵はの向こう側へ行こうとしているのが判った。けれど、あえてはそれを自らの体で立ち入る事を許さず、言葉を持って控えさせている様に見えた。 一体、何があったのか……何があれば、常の彼らと違ってここまで余裕のない姿になる事が出来ると言うのか、興味が全く無いと言えば嘘にはなるが。だからと言って、どちらかと言えばそれが対応に必要だからと言う以外に理由はない。 「かの御方と。今はお会いになるは遠慮していただきます、三蔵殿」 睨み付けられて、普通はある程度の実力を持つ妖怪程度ならばひるむ事もある。それは、三蔵の持つ能力と言うよりふてぶてしい態度と法力とが混ざり合った雰囲気に押されるからなのかも知れない。 「三蔵、今は……さん。悟空の容態はどうなんですか?」 本当に、この二人をここまで焦らせる様などんな事が起きたのだろうか? 加えて最後の一人は、どうしてこの場にないのだろうか? 純粋な好奇心は起きないし、やるべき事は何一つ変わらないが。どうすれば素直に帰ってくれるだろうか? と考えを巡らせるだけで、やたらと疲労を感じる事が出来た。 一人で、一人きりで森の中に住んでいれば何もかも自身で行わなければならないのだから。疲れる事も面倒な事も山のようにはあるけれど……だからと言って、精神的な疲れは肉体と違って眠れば治るというものでもない。 何より、今は唯一ある寝台には別の住人が居るのだ。 「かの御方ですら、死はありえます」 どこか的のズレた様な物言いに、三蔵が少し反応した。 逆に、八戒は真剣にの言葉の続きを待った。 「この世にある、全ての生命よりは長く生きられるかも知れませんが……」 いっその事、ここで言葉を斬ってしまおうかとも思ったけれど。 それは、したところで意味がないだろうとは確信して心の中の隅の方で嘆息した。 「少なくとも、それは今ではあり得ません。 あの御方は長い時の果てにお隠れになっていただかなくては、これまでが無駄になっておしまいになる……」 口にして、思わず本音が出てしまったと理解する。 「それでは!」 「もしかしたら……」 ふと、八戒が言葉を途中で止めてしまった。 それくらい、珍しい事が起きていた。 「私は、あの御方を憎んでいるのかも知れない……」 森の中では常に、音がする。 その音は時に優しく激しく、葉ずれの音や生命の奏でる声が音楽の様に聞こえる事もある。 だが、それは必ずしも訪れる人の為ではない。 「ナンだ、それは?」 「……いえ、大した事ではありません。 この、吹く風がごとく峠は今夜あたりになると思われます。 わたくしも全力は尽くします、故に血臭の深き方には近づかないでいただきたいのです。可能な限り、死を近づけない為に」 しなくてはならない事、それは変わらない。 少なくとも今は、本来訪れるべき存在がこの場で快適に過ごす事がのなすべき仕事なのだ。そして、仕事をこなす為には今もこうして内心では焦っている二人の人物をこの場から立ち退かせる事を必要だと認識している。 「悟空は……三蔵?」 「戻るぞ、居所がわかってるならそれでいい」 「ちょっと、三蔵!?」 何か、思ったのかも知れない。あの独白を聞いていたのか……八戒には聞こえていなかったのか、それとも聞いても理解しているだけの余裕がなかったのか、それも判らない。 「もし、あの方を憎んでいるとすれば……わたくしは、沙悟浄殿や猪八戒殿。玄奘三蔵殿をも憎んでいるやも知れませんね……」 傷だらけで現れた悟空に何があったのか、は意識が混濁状態にあるので聞いていない。そういえば、初めて悟空に会ったときも傷だらけだった。 けれど、それから何度か立ち寄るようになった悟空と彼ら。 幾度も傷ついてきた彼らを見ては来たが、それでも彼らは生きている。行き続けている事は憎しみの対象となるのだろうか? そんな事を何度も考えて、その度に幾つもの結論を導き出して……そして、考える事を止めざるを得ないのだと言う結論に達した。 なさなくてはならないことがある、それは常に目の前で起きている事から片付けなくてはならない。なさなくて良い事かも知れないと思う事はあるが、理性と本能がせめぎあうことなく受け入れる事は事実であり、真実だ。 「長い、夜になりそうですね……」 目の前の事を片付けよう、そして次の事は……。 彼が目覚めてから、考える。 今、出来ることがあるとすればそれだけだ。少なくとも、自分達もある程度の傷を負っているのに悟空を探しに来て。そして悟空を任せてくれた彼らに対する、せめてもの。 「ですが、明けない夜はあってはならぬのです。 例え、何があろうとも」 振り向くことはしない、その余裕はない。 紡がれる言葉は届かない、どこかへ届ける気もない。 今、なすべきはソレではないのだから。 そしていつか、彼らに語れる日が来ればいい。 肉体に刻まれた傷の一つ一つの話を交えながら、過去が勲章に変わることがあるのだと言える時が来ることを。 願う事は、贅沢だろうか? その答えは、まだ出ない。 |