夢と現の旅立つ鳥




 明け方の夢は正夢だと、昔誰かが言った。
 あまりにも忘れている事が多すぎて、もう何を忘れているのかもわからなくて。
 そうして、少し泣きそうになる。決して涙を流したりはしない、もう見られるわけには行かないから。
 沈黙の内に目覚め、扉を開ける。窓も無い小屋は、天気が悪くなければ一つしかない扉を開けていても大した問題にはならない。
 近くを流れる川まで出向き、水を汲み、昨夜用意して置いた食事を取る。食事と言ってもメインは乾燥させた木の実を練りこんだ薄いパン状の物質をあぶったもので、そこに油分も入っているから栄養価は問題がない筈だ。
 小屋の中は大して物がないから掃除をする手間を感じる事はないけれど、それでもしないわけには行かない。誰の為ではなく、自分の為に……その他には小屋の修繕や、最近凝っているのは料理だ。
「あら、いらっしゃい。悟空」
 凝っているとは言っても手間のかかる、宮廷料理などは作れない。ちょっと大きな店の調理場ほどの大きさもない小屋では、手間隙かかって採算度外視とか言う派手な料理は作れないし、何より作る必要もない。
ぁ、腹減ったんだけど……いいかなあ?
 困ったような顔で笑うのは、黄金の瞳と黄金の輪を額に持つ少年。孫 悟空。
 彼は、ここ暫くの住む小屋に訪ねてくる最も確立の高い人物だ。時に行商人な女性達が尋ねたり通りがかったりする事もあるけれど、彼女達とでは格段の差が幾つもある。
「ええ、暫く待ってもらう事になるけど……時間は大丈夫?」
 悟空は、旅をしている。
 彼の仲間は全部で3人と1匹、誰も口も素行も悪いが人として悪いわけではない。加えて本人の意思があるからこそ、誰もが旅を続ける事を悪し様に言う「人」はいない。人ならざる存在「妖怪」の中には彼らに悪意を持つものもあるし、彼らが旅をする理由である「天界」と呼ばれる者の中にも良い顔をしない者もある。
「大丈夫! 即効で帰るから!」
「そう……では、急いで作るわね」
 あちこちに旅行く彼らの中で、悟空は度々この「森」に訪れている。主に空腹になると、仲間達には何と言ってここまで来ているのかは正直知らない。知りたいとも思わないから、悟空には聞かない。
 何か言われてるかも知れないけど、言って聞くような相手でもないから何も言われていないのかも知れない。
「いっただっきまぁすっ!」
 ほどなくして、ほかほかの肉まんが出てくる。
 悟空にしてみれば、どうしていつ来ても必ず食べ物が出てくるのか不思議でならない。しかも常に用意してあるとしか思えない、屋台よりは多少時間がかかるのはどうしようもないが……一度訪れた事のある八戒が「あまりご迷惑をかけてはいけませんよ」と言っていた事があったからの疑問だ。
「味付け、失敗していなければ良いんだけど……」
「そんな事ない、すっげー美味い!」
 褒めている言葉は、決して嘘ではない。嘘ではないが、は大抵苦笑を持って返す。
「お茶もきちんと飲んでね? 喉に詰まらせてはいけないから……この後はシュウマイで良いかしら?」
 出されたものにケチをつけるほど、悟空は決して物知らずではない。だから、わざわざ作って貰った上にくれるのに文句を言った事は一度もなかったのはとて知っている筈。
「私……あまり人と接しないから。機嫌を損ねてしまったらごめんなさい」
 つい、不安になってしまうのだと言葉の外側で言うが。それが伝わっていてもいなくても関係ないと思っている節がある……にとって、この悟空と言う外見少年と会う時間は嬉しくて、そして別の感情を呼び起こすものだと言うのはすでに知られている事だ。
「ねえ、悟空。また旅の話を聞かせて欲しいのだけれど……でも、今日はあまり時間ないのよね……」
「うん……ああ、ええと……」
「良いの、次に来た時にもっと沢山聞かせてくれれば嬉しいわ。
 少し包んでおいたから、お土産に持って行ってね」
「サンキュー……あ、そうだ。見てたら思い出した」
 くすくすと笑う悟空の姿は、いつもと違う感じに見えた。
 それは、気のせいだろうか?
「夢を……見たんだ」
 悟空の表情は、少し。幸せそうな笑顔に見えた。
 それだけで、内容を聞かなくても十分な気がした。笑顔で居てくれるだけで十分、だから説明なんて不要。
 本当は、そう言いたかった。でも言えなかったのは、聞く必要があると思ったからだけではない。
「俺、すっげえ自由だった。空とか谷とか山とか、ちょっと跳んだだけでどこまでも行けちゃう気がして。町とか村の人達もこっちを見て笑ってて、苛められたり困ってる人とか居なくて。いや、たまには居たりしたんだけど……」
 取り留めない言葉は、悟空が世界を巡る様子を表していた。
 話が前後したり、気になったことは直ぐに戻されたりしてメモでも取らなければ時間軸などは判らなかったかも知れないが。そもそも夢に時間軸を求めるのが間違いなのだと思えば、意外とむかつき度数も上がらないものだと言う事がよく判る。
「……悟空、話はとても面白いし続きも気にはなるのだけど。そろそろ帰らなくて大丈夫?」
 帰ると言う言葉を自ら口にして、は胸に痛みを感じる。
 決して、物理的に感じるわけのない痛みではあるけれど。調べても誰にも何にもわかるはずのない痛みだけれど、それでも確実に存在する。痛み。

 夢の中で、見た。
 悟空の見た夢は、自由に跳ぶ夢……恐らく、それは跳ぶではなく飛ぶだったのだろうとには判る。
 風よりも早く、山よりも高く、海を一っ跳びなど出来るはずもない。悟空たちが今旅している速度から考えてみたら、そんなのは翼竜にだって不可能なことを悟空は気が付かない……。
「同じ夢、なのに……」
 悟空が居ない間、は滅多に声を出さない。その必要がないからだ。
 通りすがる行商人の中には、があんまりしゃべらないから口がきけないのではないかと思う者が居るくらいだ。それでも問題がない程度にはコミュニケーションが取れているのだから、も相手も気になどしないが。
「随分と……違うの、ね……」

 見た、夢。
 夢だとわかるのは、それは中から見た夢だから。
 囲いの中で誰かが居る、愛でられるだけの毎日。
 籠だと言うのは、判る。与えられる物が食事と水、決して外に出ることはない自由などありはしない。
 たまに外に出されたかと思えば、伸びて来た羽を切る時だけ……外に出てもそこに自由はない。籠の囲いの外にあるのは少し広がっただけの囲いがあるだけで、最後には必ず捕まって戻される事が判っているのだから。
 けれど。
 必死になって、逃げたのを覚えている。
 どれだけ躍起になって、懸命になったのかなど判らない。それは長い間だったのかも知れないし、ほんの短い時間だったのかも知れない。
 それこそ、夢に時間軸を求めるのは無駄な話だ。

「でも……違う……私では、な……い……」
 夢は、何かをもたらすけれど何ももたらしはしない。
 見た本人を指し示すものもあるが、それ以外の人を指し示す場合もある。
 には、それが判った。
 空を飛ぶ夢は願いがあり、想いがあるから。空を飛べないのは抑圧されているから、その解放を指す。
「来る……あの方と関わりのある、者が……」
 悟空と同じ、けれど真逆の夢を見た存在。それが近づいてくる事を感知したと言う事実。
 理由など判りはしない、誰なのかも……今は。けれど。
「させは、しま……せん」
 決して「森」から出る事の叶わぬ身の上であろうと、出来る事を成す。それくらいしか出来ないけれど。
 故には、出来る事を成す。








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Material from "Silverry moon light"