東 風 吹 か ば桜の木の下には死体があると言うが、梅の木の下には何があると言うのだろう。 人ならずとも唯一の森の住人は視界に入った景色を見て、ぼんやりと頭のどこかが言葉を発したと思った。 無論、そんなものは泡沫の夢幻。仮にそんなものが聞こえたとしたら即効で医者の世話になるべきだろう。 「!」 ただし、こちらに気が付いて笑顔を向ける少年が帰った後ならばと言う注釈が付く。 「いらっしゃい、悟空」 人里離れた、いずことも知らぬ森の中に時折現れるのは様々な者がある。 空を飛ぶ鳥もあれば、地を這う獣。決して一人引きこもりの様に過ごすには優雅とはほど遠いのが森での一人きりの生活と言うものだが、それでも何とか生きてきているのは偏に運と偶然だろうと少女は思う。 悟空、と呼ばれたのは少年。遥か西方を目指して旅する玄奘三蔵一行の一人だ。 、と呼ばれたのは少女。名も無き土地にある森の中でただ一人で生きている。 ただし、どちらも見た目と中身が同じだと思えば様々な意味で裏切られる事はこの上ないのだが。 「なあ、ここにはどんな子がいるのか知ってる?」 何処とも人ならずとも知らぬ森に、不意に現れる少年。 彼は人ではなく、世間的には妖怪と分類されている…が、実際にはもっと異なる存在である事をは知っているが言わない。なぜなら、だからと言ってにも悟空にも何の関わりもないからだ。 「それは…どういう意味、なのかしら?」 ことりと首を傾げたと、真似をするかの様にことりと首を傾げた悟空の身長はそれほど変わらない。恐らく、どちらも市井に出れば少年少女としてほほえましく見つめられる事だろう…とうてい、二人の真実など誰にもわかる筈もない。 「今泊まってる宿に、自分は桃の木だって言う女の子がいたんだ」 普通ならば信じたりはしないだろう、子供の戯言や夢と片付けられるだろう。 「そうなの」 しかし、は違った。 に言うまで、恐らく悟空は囲から梅の木の話と女の子の話をしても信じてもらえなかったのだろう。見るからに目が輝いて居る様な気がする……。 話を聞けば、泊まっている宿には一本の梅の木がある。 その宿はもともとは地方の領主が納めていた割には小さいが風情のある建物で、今では時期になると客がごった返すほどの人気の宿だと言う。中庭にぽつんと佇む梅の木へふと視線を向けると、そこには女の子が居たというのが悟空の言い分だった。 女の子は、自分は宿が領主の館だった頃に当時の領主に植えられた梅の木だが相続争いに敗れた領主が身分を剥奪され追い出されてしまった。悪い事をする人ではないし可愛がってもらった事を悲しんでいるのだと言う。 「それで……悟空はどうしたの?」 果実の木の種類などそうそうわかる物ではないだろうとは思ったが、そんな事情があれば梅の木の下で佇んでじっと見つめているのは判らなくもない。 ただ、問題は沿ういう事があったと言うのではなく。その後にどうしたのかと言う事だ。 「会いに行けばいいのにって言ったら、その子が泣いちゃったんだ」 気まずそうに言うのは、女子供が泣くのを由としない輩が一向に居るからだろう…どういう意味でかは別だが。 「自分は木だから、動くことなんて出来ないって言うんだ」 だから、他の木にどうしたら会いたい人の所へいけるか聞こうと思って色んな気に声をかけてみたのだと語る悟空を見ながら…旗から見ればともかく、内心では三蔵一行に僅かな同情心を向けかけてばっさりと切り取る。 なぜなら、にはどちらの言い分も判らなくはないからだ。 悟空は嘘をつく存在ではない…存在のあり方、育ちから嘘や悪意を苦手だからとも言える。加えて彼は人ならざる存在…不可思議なものの多少やべらぼうに関わったとしても何らおかしなことなどないのだ。 三蔵一行に同情しないのだとて、そのあたりを踏まえているのだから余地なしと言うのが上げられる。 「大丈夫よ、悟空。 梅の木が本当に主を思うのであれば、梅の木はどんな事をしてでも主の下へ旅立つでしょう。けれど、そこまで思うわけではないなら、いつまでもその中庭に捕らわれ切り倒されてもなお土地に縛られるだけの話」 だが、問題がないわけではない。 悟空が梅の木の話をした時、宿の人達は笑って「そんな事あるわけないし、そんな領主は聞いたこともない」といったと言う。 つまり、可能性は二つ。 遥か昔の事として、すでに領主だった男が存在していないか。 それとも、土地ぐるみで隠しているかの二択になる。 前者ならばまだ良い、梅の木がいつか倒されるまで求め続けるのは哀れではあるが選ぶのもまた、梅の木自身の話で済むからだ。しかし、厄介なのは後者だ。下手をすれば妖怪が絡んでいる可能性もあるし、絡んでいなければいないで面倒な事になるだろう。下手をすれば悟空の保護者達が面倒を引き寄せないとも限らない…自他共に認めたり認めなかったりする保護者達は敵味方に分かれながらも、何だかんだと行動の帰結が一緒だ。 ある意味に置いて人生をかけた引きこもりのでも、きな臭い世間の面倒は想像が付いた。 場合によっては、梅の木に宿っている何か…妖怪や精霊と呼ばれる存在かも知れない者も、よくも悪くもその状態に加担しているのか、それとも加担させられているかのどちらかと言う可能性がある。 可能性だけを考えていけばきりがないが、はさほど心配はしていなかった。 目の前で「そっかあ…そうだよな、本当に会いたいなら会いに行けばいいんだって言ってやらなくちゃな!」と握りこぶしで今にも駆け出しそうにしている少年と仲間は、恐らくそのうちの一人は可能性について思考していないとも限らないし。仮に、存在するかも知れない敵が本性を現して三蔵一行に害をなす行動に出たとしても力技でそうそう負ける様な人たちではない…否、大半がそもそも人ではないのだが。 「ありがとう、。俺……!」 「これから戻るとしても、少し休んではいかがかしら?」 「……食べる」 今にも弾丸よろしく、走り去ろうと思っていたのだろうが…が判っているだけで様子を見る限り暫くは梅の木の下で佇んでいた筈だ。もしかしたら、声をかけたりとかした後なのかも知れない……となれば、悟空の無限の食欲は3歳児のごとく大騒ぎしているだろう。 そう思ったのは、あながち間違いではなかったようだ。 「、これ食っていい?」 散々っぱら食い尽くした……ちなみに、にしてみたら一か月分の食料が僅か半時で底を付いてしまった。これは、思ったよりも長く待たせていたのかも知れない。別に待ち合わせなどをしていたわけではないが。 「梅の実は…完熟しても甘くならないのだけど…?」 正直なところを言えばこれから加工するつもりだった。煮詰めてジャムにしても良いし、ジュースにしておいても良い。お酒に漬けて置くのも使い勝手が良いのは言うまでもない…が、流石に生で食べると言う発想はない。 「そうなのかあ……あ、俺じゃなくてさ。宿の梅の木にやろうと思って」 「梅の木に、梅の実を……?」 なんだそれは嫌味か、と普通ならば思うかも知れない。 「もう何年も梅の木は梅の実をつけてないんだって。昔、偉い人が宿に居た頃には沢山実をつけたって言うんだけど……実をつけられないってことは木に元気がないって事だろう?だから、梅の実を食ったら元気になるかなって思ったんだ」 それは……共食いを推奨するという事なのだろうか…? 普通ならば、かなり問題視される発言ではあるのだが。 残念ながらと言うかなんというか、そういう存在は居なかった。 「そう……ならば、沢山持っていくといいわ」 僅かに微笑んだは沢山の梅の実を持たせてくれたが、その後を知ることはない。 ただ、とは思う。 梅の木に語られたと言う言葉が心の支えになっているのであれば、それで良いのではないだろうかと。 それに、きっと悟空はまた来るだろう。ならば、に出来る事と言えばそれまでに僅かでも良いから少しでも保存できる食料を増やして置く事だけなのだから。 東風吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ − 菅原道真 |