紅の花その時、雨が降っていた。 森の中だ。 「悟空?」 雨の音。 たたきつけられた雨によって生じる葉ずれの音に混じり、聞こえてきた。 「!」 視界も、当然の事ながら悪い。 人が滅多に踏み込む事のない場所、それでいて手入れがされているわけではない。よく言えば野趣あふれる。悪く言えば手入れの全くされていない場所。 良くも悪くも、人が居ないと言う点だけは明らかだ。 「どうしたの? こんな雨の日に……」 言いかけて、白い服を雨に塗らした少女が口を噤んだ。 少女は常ならば結って居る髪を垂らしている。これは、単に生い茂る森の中で木々で髪を引っ張られるのを押さえる為のもので。悟空と呼ばれた黄金の冠と黄金の瞳を持つ少年の知る限り化粧をしている記憶はない。 もっとも、悟空の記憶にある「化粧」とは歓楽街の夜の蝶の様に派手な色合いと鼻をつまんでもまだ気分が悪くなるような匂いを撒き散らす人達の事だ。 「ごめん、でも出てくる時はぜんぜん雨なんて降ってなかったんだ……」 悟空がしゅんとした態度をしたのは、と呼ばれた少女は常に悟空の身を案じているからだ。 女性であると言う点からも、殺しても死なないと断言出来る仲間達よりは。や知り合った人達から言われた方が数段堪えるのは当たり前だ。 そう、例え悟空とて殺しても死ぬ事がない体であり。 殺しても死なない事を、が知っていて悟空が知らないとしても。 「いえ……いいえ、ごめんなさい。責めてしまったわね。 中へ入りましょう、乾かして暖かいものでも口にしなければ……ね」 「、それ持つよ」 さりげないしぐさではあったが、悟空はに手を差し伸べて籠を受け取った。 中に入っているのは、森で取れる木の実やきのこ、悟空には名も知らぬ草花の数々。 「ありがとう、では中で座っていて。 すぐに支度をするから」 「やだな、俺の方がお礼を言うべきじゃないの?」 笑いながら、はためらいなく。比喩ではなくあばら家の扉を開ける。 「てゆーか、相変わらず無用心だね……」 「あら、だってこんな所までわざわざ盗みに入る様な奇特な人はね。流石に。 でも……そうね、少しは考えた方が良いのかしら?」 「……たずねてくる人、いるんだ?」 「時々、ほんとうに稀な事ではあるのだけれど……」 苦笑を交えたものではあるけれど、自然な笑みを浮かべるの姿は。回数こそ少ないけれど、悟空にとっては珍しい光景だ。珍しいと言えば、家とも呼べぬ小屋には珍しい品が僅かばかり増えているのも不思議なものだ。 「もしかして……結構人、来るんだ? 最近?」 お茶と、すぐに食べられるように用意してあったらしいわずかな焼き菓子だと。悟空の食欲の前には一瞬でなくなってしまう事くらいにも悟空にも判っていた。 普段ならば、きちんとした飲茶を用意するまでのつなぎとして出されるお菓子をちびりちびりと食べる程度の気を使う程度ならば悟空だとてする。もちろん、一口で食べても美味しいものは美味しいけれど、次が待ちきれなくて子供の様に喚いたりはしたくない。 「二人……三人、だったかしら? 一時期だけれど。 今は、もう……きっと、彼女達もどこかへ旅立ったのだろうとは思うけれど。小物は、餞別だと思うから」 本来ならば化粧品などを入れる用途としてあるのだろう、小さな小物入れや可愛らしい柄の茶碗等がある。一見すると男から女へ贈る貢物にも見えてしまったのは、恐らく余計な知識を与えた仲間の一人のせいだろう。その仲間は、別の仲間から「やかましい!」と殴られたりハリセンでぶちのめされたり、拳銃を打ち込まれそうになって逃げて舌打ちをされたり「あんまり余計な事ばかりすると、そのうち本当に怒られますよ。とりあえず、今夜の食事は抜きですけど」と笑顔で落とされたりするが。 「餞別?」 「商人なのか、迷い人なのかは判らないけれど。 けれど、同じ顔ぶれと何度も森の中で会う事は決して多くはないの」 最初に出されたのは水出しのお茶で、その間に湯を沸かしてお茶を入れる。 熱々のお茶を出している間に、同時進行で飲茶のいくつかを手早くこしらえる……としたい所だが、水場が広いわけでもないので一度に出来る作業はせいぜい湯を沸かしながら一つ程度だ。 「『大きくなったら化粧の一つも覚えるべき』と言われ時には、少し笑いたくなってしまったものよ」 幾つに見えたのだろうかと思うけれど、そう言えば悟空もの年齢は知らない。 見た目に反して同じ年齢くらいか、それとも年下だろうかと思っていた程度だ。もっとも、かと言って興味はあっても女性に年齢を聞いてはいけないと複数の仲間達が言っていたのだから、本当に良くないのだろうと思って聞こうとは……聞こう、とは……。 「って、幾つ?」 聞いてしまった。 熱いお茶を、息を吹きかけて冷ましながらではあるが内心は動揺しっぱなしだ。 流石に、仲間達や一部の女性達の様にいきなり昏倒させられそうになったり殺されそうになったり、いきなり切り付けられたり撃たれたり、切々と懇々と訴えかけられたりはしないだろうが……。 「そうね……忘れてしまったかしら。 悟空は? 悟空の年齢も、聴いた事はあったかしら?」 何だか、まるで用意してあった台本を読んでいる様に悟空には思えたが。 かと言って、そこまで思ったわけではなく勘、みたいなものだ。 「んーと……500歳?」 「……ええと、それは……どこまで本気にしたら良いのかしら?」 悟空の目には、本気で少し困ったように見えた。 普通ならば、年齢を聞かれて500歳だと答える人物は存在しないだろう。 「あ、うそ。違うと思う。でも良く判らないけど……あ、でも4月5日が誕生日だから一つ歳取るけど!」 ただし、正確には500歳なのは封印されている間だけの事であってそれ以上。ただし、どれだけ封印されていたのかは判らないので年齢が良く判らないのも本当の事だ。 「まあ、そうなの……では、お祝いをしなければ。 でも残念、もっと早くに知っていれば少しは贈り物を考える事が出来たのに。当日に言うのだもの」 「え、いや。俺、そう言うわけじゃ……」 焦るあまりに余計な事を言ってしまった手前、悟空の動揺は更にひどくなる。 これではまるで、プレゼントを強請りに来たみたいではないか。 「あ、えっと……あれ?」 「誕生日おめでとう、悟空。 産まれてきてくれて、出会ってくれて、こうして元気で居てくれてありがとう」 滑らかな手つきで、は今日採ってきた籠の中から花を一輪。 悟空に差し出してくれた。 それは赤い、紅色の花。 「ありがとうって……どうして?」 「だって、悟空に出会えて嬉しいもの」 受け取る手は、僅かに震えていただろうか? 常に称える僅かな微笑みに対して。 その時の悟空を顔を、悟空が知る事はない。 |