佇むは プリオシンの岸辺





外で呑みましょうか、と、言い出したのは、珍しく天蓬の方だったのを、はよく覚えている。

あの日は、本当に降るような星空で、彼が言いださなかったら、彼女の方からそう提案していただろう。
酒器を持って外に出てみると、夏の名残の虫の音が、控えめに聞こえていた。中秋の名月はとうに過ぎており、外で酒宴などと風流を気取るのは、彼ら2人だけだった。
そして天を仰げば、中天にくっきりと横たわる、輝く光の帯。

「天の川が奇麗だわ」
「ああ、そういえばそうですねぇ」
「今、気が付いたの?。貴方がそんな事でいいのかしら。天河水軍の将、天蓬元帥」

が笑いながら指摘すると、天蓬は不服そうに眉をひそめた。

「あんなのは名誉職ですからね。僕の特技は、水軍だけじゃないんですよ」
「そうそう。権謀術数の方が、お得意なのよね」
「頭脳派はお嫌いですか?」
「いいえ。大好きよ」

お互いに、にっこりと冷酒を干す。
その頭上、遥かに輝く流れから、また星が、1つ2つと流れ落ちていく。

「ああ。北十字がみえますね」
「駅や線路は?」
「そりゃ無理ですよ。切符持ってなくちゃ銀河鉄道には乗れないんですから」
「だって貴方、天の川の管理者でしょう?」
「ですから肩書きだけですってば〜」

両手を挙げた天蓬に、はくすくすと笑った。
彼女が差し出した瓶子の酒を盃に受けると、天蓬は、また空を見上げてしみじみと呟いた。

「僕としては、管理者権限で海岸の発掘現場に入れてもらえたら嬉しいんですけどねぇ」

彼らしい事だ……と、は苦笑した。

「我々は天界人よ。切符を貰えるかどうかだって判んないわ」
「なら、鳥取りみたいにあの川辺で時を過ごし続けるのも、悪くは無さそうじゃないですか」

彼は、ゆっくりと瑠璃の盃をかざし、満天の星空を透かした。

「ほら。『僕らはもう、すっかり天の野原に来ましたよ』」

その姿は、銀河の川辺に次の住いを探しているように見えた。は、何かが胸をちりりと焼いていくのを感じた。

「皮肉なものね。定命の、しかも夭折した下界人のほうが、もしかしたら我々よりも遠くまで到達しているのかもしれないわ」
「いいじゃないですか。僕らにだって資格が無い訳じゃ無いでしょう」

天蓬の服が風に煽られて、白い旗のように翻る。

。その作者自身が、銀河鉄道に乗った日は、いつだか知ってますか?」
「あら。いつだったかしら」

彼は、こちらへゆっくりと手を差し伸べた。

(……この人なら、連れて行ってくれるかもしれない……)

その手をとりながらは考えた。
天蓬の背後でまた星が流れる。


「彼が旅立ったのは9月21日。今日ですよ」


彼は子供のように微笑んだ。
その無邪気な笑顔と言葉も、彼女の記憶に、後々までずっと焼きついていた。







◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆







「だって、誕生日なんてお祝いするような歳じゃありませんよ〜」

予想通り渋る八戒を、連れ出したのはである。行き先は、村の外れの川原。
当の本人は絶対に嫌がるだろうと判っていたので、ただ、散歩するだけのようなそぶりで誘ってやっと2人きりになることに成功したのだ。だから、察しの良い彼が何か言う前に「プレゼントは無いけど、いいわよね」と、釘を刺した。

外は満天の星。残暑がやっと立ち去り、川を渡る風は涼しかった。

とりあえず、言外に、貴方がなんと言おうとお祝いする為にここに来たのだと宣言してしまうと、はやっと八戒の手を離した。

「お誕生日って言うのはね、年齢に関係なくお祝いをするものなのよ」
「貴女くらいの御歳になってもですか?」
「殴るわよ」

言葉と裏腹にけらけらと笑うと、はいきなり靴を脱ぎ、浅い川の中にじゃぶじゃぶと入っていった。

「気持ちいい。ああ、星がきれいだわ」

仰ぎ見る空にも、白く流れる河が一すじ。

「天の川って、Milky Wayとも言うでしょう?。『乳の流れる河』と考えられてた事もあるんだって」
「そうでしたね」

ひとしきり水と戯れてから、はゆっくりと岸に戻ってきた。
そして、裸足のまま、彼の隣に腰を下ろした。

「ねぇ、八戒」
「何です?」
「子供ってね。何処の誰からも、本当に誰1人としてその子が生まれてくることを望んでいないと、決して産まれてこれないのよ」
「…………」
「貴方がこうしてここに居るって事は、誰かが、貴方が産まれる事を待ち望んでいたって言う事なの。だから、お誕生日って言うのは、待っていた人と待たれていた人とのお祝いなのよ」

八戒は、自嘲気味に笑った。

「僕は孤児院育ちですよ。母親の顔も知らない子供だったんです」
「そうね。『母親だけは必ず子供を愛してくれる』とか、きれい事を言うつもりも無いけどね」

は空を仰いだ。川を渡る風が高く上がっていく。

「貴方には間違いなく居たじゃない。生まれ落ちたときから、貴方を待ち望んでいた女性が」

八戒が、大きく息を吸う音が聞こえた。それを吐き出しながら、彼は小さく呟いた。

「……か…なん?」

は答えるかわりに僅かに微笑むと、また、立ち上がった。
八戒は、静かに1つ息をつくと、川の水を足先で跳ね上げている彼女の背中に向かって、言った。

、1つ聞いていいですか」
「なあに?」

は振り返った。八戒はその顔を正面から見つめて、静かに問い掛けた。

「『花喃は僕をゆるしてくれるでしょうか』」

八戒の緑の眸から、今にも、星の光が零れ落ちていくように見えた。
はくるりと背を向けると、再び水音を立てながら河の半ばまで分け入り、またこちらを向いた。

「聞いてみれば良いのよ。自分自身で」
「彼女はもう、この世には居ませんよ」
「あら、平気よ」

は言った。両手を広げて、両の踝を白い水がさらさらと洗っていくのを感じながら。

「私たちは今、天の岸辺に居るのだから」

八戒の顔に、やっと僅かな笑みが浮かんだ。そして、彼女の「ほんとうの幸せ」は、ぜんたい何であったのだろうと考え、そしてまた、目の前に居る女性のことを思い直した。

「じゃあ、貴女にもう1つ聞いていいですか?」
「いいわ。なあに?」
「貴女も、僕を待ち望んでいてくれたんですか?」

彼女の楽しそうな声が、水音を飛びこえて来た。

「勿論よ。待ち遠しかったわ、本当に」


下界から見る星も、やはり、地へ降るように流れていた。










――貴方が産まれ、彼の人が召された、秋の日に――










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