美 男 蔓 (さねかずら)――――ざわざわと、音がする。 振り返ろうとするが、身体は緩慢にしか動かない。後ろを見るよりも早く、豊かに葉を付けた蔓が幾筋も視野に入ってきた。それは、背後からふわりと包み込むようにを取り囲み、柔らかくその身体を抱きしめた。 冷たくも暖かくも無い、水底のように濃密な、重い空気。むせ返るような植物と土と水の匂い。 蔓は、あとからあとから数を増し、身体に触れ、巻き付いて、優しいほどにそっと、彼女の四肢を絡めていく。 振り払おうという気持ちも浮かばず、ただ、ゆるやかに、前方に差し伸べられたの手の指の先まで、蔓と葉が包み込み、さわさわと皮膚の上を滑っていく。 痛くは無い。むしろ、心地良ささえ感じて仰け反った喉にも、するすると蔓が巻きついて、は小さく溜め息を漏らした。 薄く目を開けると、既に視界の大半が緑の葉に覆われつつあった。 その視界がふわりと揺れ、足下の地面の感触が遠のく。両手が上に引かれ、手首に巻きついた蔓が、一瞬、きつく締まるのを感じたが、やはり、痛みは少しも感じられなかった。 ゆっくりと目蓋の上を、葉片が覆っていく。冷たく、柔らかい手で、そっと目隠しをされているような気がする。 ……誰かの手に、似ている。 「……八戒……」 ……ああ、彼だ。 穏やかで、優しくて、聡い人。いつもいつも、柔和に微笑んでいて、それでいて、誰よりも激しくて、怖い人。 辺りの蔓草が、微かにざわめいた。彼が、静かに微笑んだような気がした。 そういえば、朧な記憶がある。彼の肌にも、こんな風に蔓草が巻きついている光景を、見た気がする。……何処で?。いつ? 記憶を手繰ろうとしても、頭が思うように働かない。 身体に絡む蔓は、次第にきつく、彼女を抱きしめる。気がついた時にはもう逃れられない、彼の手管にそっくりで……。 戒められたまま伸ばした指に、堅い木肌が触れた。そのまま辿っていくと、指先に僅かに触れたのは一筋の――傷。 「!」 は、目を見開いた。 ……そっくりなのではない。この蔓草は、彼、そのものだ。 「何故……。こんな、……?」 ざあっと言う音と共に、の身体が緑の渦に巻き込まれた。身体を余すところ無く、蔓が覆っていく。激しい抱擁に仰け反ると、息が、詰まる。 ある一線を超えた時、彼の激情は周囲のもの全てを飲み込んでいく。止められる人間は多くは無い。私には、無理だ。 「…………だ……め……」 逃げられなくなる。このままでは。 「やめ……て、八戒…」 関節や筋肉はぎしぎしと悲鳴を上げているのに、身体を満たし、指先まで溢れてくる、恐ろしいほどの、快感。 「…………っっ!」 身体の内も外も絡み合う蔓草が充満する。二、三度力なくもがいた後、彼女の身体は、内から、はじけた。 「…………っっ!」 が跳ね起きた振動で、ベッドのすぐ脇の窓のカーテンが、ゆらゆらと揺れた。 息を整えて、窓を見る。もう夜が明けて、窓の外のベランダには、斜めに日が差していた。 枕元の水差しから、一口、水を飲む。 やっと息をつくと、彼女は、夢の内容を思い出した。 「八戒……」 最後に彼らと別れたのは、1ヶ月ほど前の事だ。川を越えるルートを行くといっていたので、山を回っていくつもりだった自分は、そこから別行動をとったのだ。 今までも月単位で会わずにいた事は度々あった。なのに、夢に、彼が出てきたのは初めてだ。ましてあんな……。 「……何が……あったの?」 はベッドから降りて、窓を開けた。早朝の風は心地よかったが、彼らの消息は判るべくも無い。 ベランダの手すりに手を置こうとして、はふと、そこが緑の葉に覆われているのに気がついた。 一瞬、蔦の類かと思ったが、よく見ると複雑に絡み合った蔓(かずら)だった。 血のような赤い実が、そこここに美しく、色づいていた。 さねかずら のちも逢はむと 夢のみに 祈誓(うけひ)わたりて 年は経につつ |