ambiguous「――で、それは一体何の真似だ?」 苦虫を噛み潰したような、何とも形容し難い顔をして、三蔵が尋ねた。 今夜は珍しく、三蔵とが同室である。単に、宿に一人用の空き部屋が無かったから、というだけの理由で、本来は八戒も同室である。が、その八戒も「雑用を片付けてきます」と言って出て行ってしまい、未だに戻って来ていない。 故に。今、この部屋に居るのは三蔵と、たった二人きりである。 「何って、見たまんまだけど。分からない?」 対するは、至って普段通りの表情。言葉の端に、どこかからかうような響きさえ含まれていた。 そんな彼女の首元には、ピンクの細いシルクリボンが結ばれている。ご丁寧にも、「Happy Birthday!」と印字されたミニカードまで添えられていた。 早い話が――『誕生日プレゼントは私自身』という、巷ではそこそこある(かも知れない)趣向だ。 但し。贈り主と受け取り主、双方共に全く似合わないシチュエーションであることは、火を見るよりも明らかである。 「頭沸いてんのか、てめェは。ンなもん貰って誰が嬉しい」 「ちょっと、お年頃な若い女性に向かって、そんな言い方ないんじゃない? これでも一応、いろいろ考えたのよ。私なりに」 「――ふん。ンなもんしか思いつかんとは、大して中身が無ぇんだな、てめェの頭は」 「だってしょうがないじゃない。お祝い、何にも思い付かなかったんだもの」 三蔵が軽く端を引っ張っただけで、首のリボンはすぐに解けた。 「何だったら、これで髪でも結んでみる?」床に放り投げられたリボンを拾い、がひらひらと翻して見せてやると、三蔵はますます渋い顔をして黙り込んだ。 その様を心底可笑しそうに見やりながら、がいけしゃあしゃあとこう言葉を続ける。 「だって折角のお誕生日なんだから、何にもお祝いしないってのも、味気ないじゃない」 「…………」 「で、決めたのよ。日付が変わったすぐ後から、思い付く限りの嫌がらせしてやるんだって」 「馬鹿が」 可笑しげに笑う声を睥睨しつつ、三蔵が経文を下ろして法衣を着崩し、どさり、とベッドに腰を下ろした。 未だひらひらとリボンを振り回すを無視し、煙草に火を点け、膝の上に新聞を広げる。と、眼鏡をかけた顔を目掛けて、ビールの缶が飛んできた。勿論、これもの仕業だ。 「要るんでしょ?」ぬけぬけと言うその笑顔に、三蔵がますます眉間の皺を深くする。 の所業は時々、酷く三蔵の機嫌を損ねたりするのだが、今夜は自ら確信犯だと明言しているだけに、いつも以上に癇に障る。 くすくすと笑うの声と、苛立たしげに吐き出される煙草の煙が、ひんやりとした部屋の空気の中で静かに交じり合った。 誕生日なんざ、面倒くさいだけだ。何日か前から、三蔵は事ある度にそう口にしていた。 それでも「お祝い、何が欲しい?」と正面切って話を持ちかけた勇者は、それこそ悟空くらいのもので。 誰も、表立っては何も言わない。どれだけ念入りに準備をしても、本人には祝う瞬間まで気付かれぬようにと、陰で苦笑しながら細心の注意を払うのが通例であるらしい。 「誕生日おめでとう」とストレートに祝えるのは、悟空を除いてはほぼ皆無だと――八戒や悟浄は、に三蔵の誕生日を教える際に、そんなことを言っていた。 がこんな悪戯を考えたのは勿論、聞いた話を全て踏まえてのことだ。 本人曰く「折角だから、フリルとレースで全身固めても良かったんだけど」とのことだったが、もしも本当に実行されていれば、一体どうなっていただろう。最低でも、ハリセンの一発や二発は飛んできたに違いない。 「――どうした。何、人の顔じろじろ見てやがる」 ふと、自分の顔を凝視する視線に気付き、三蔵が新聞から顔を上げた。 その向かい側では、空いたベッド――今は留守にしている八戒が、今夜ここを使うことになっている――を間に挟み、がぽけっと三蔵を見つめている。自身のベッドに座り込み、両手で頬杖をついてまじまじと相手を見るその様は、まるで子供のそれである。 珍しく、煙草は口にしていない。昼間、八戒に「吸い過ぎですよ」と咎められたのを、少しは気にかけているのだろうか。 「結構難しいな、って思って」 「何がだ」 「貴方を怒らせるのが、よ。折角、目一杯意地悪してやろうと思ったのに、いざとなったら何にも思い付かなくて」 三蔵がぴくり、と眉を吊り上げる様を眺めつつ、が盛大にため息をつく。 微笑みを浮かべたその表情は、どこか作り物めいている。多分それも、彼女の策の一部なのだろう。 「何かあげようかと思っても、貴方の方がお財布が大きいんだし」 再び、が大きくため息を一つ。その拍子に、長い髪が揺れる。 髪の先端を指にくるくると絡め弄ぶのは、癖だろうか。ごくごく偶に、そんな所作を見かける事がある。 「それに今は旅の途中だから、邪魔になったりなくされたりするかも知れないし」 ばさり。 付き合いきれない、とばかりに、三蔵が再び手元の新聞に目を落とした。 こちらもまた、熱心に記事を読んでいる訳ではないらしい。文字を追うその視線が、時折ちらちらとを盗み見る。 「久々に料理しようかとも思ったけど、ここ、厨房は貸してくれないみたいだし」 一本目の煙草を吸い終えた三蔵が、続けて二本目を口に銜えた。 火を、と思いベッドサイドに手を伸ばすより先に、目の前からライターが飛んでくる。これも、が投げたものだ。 「あげるわ、それ。どうせすぐなくすでしょうけど」何処にでも売っていそうな安物のライターには、ラッピングの類は一切施されていない。どうやらも、そこまで悪趣味ではなかったようだ。 ふん、と忌々しげに鼻を鳴らしつつ、三蔵がそれで煙草に火を点ける。新しい紫煙が、部屋に広がった。 「だから何にもしない、ってのも、何となく味気じゃない? だからせめて、って思ったんだけど」 「何故そこでンな結論になる。ここ暫くの暇続きで、頭のてっぺんに花でも咲かせたのか、てめェは」 「いつもは結構怒らせてるのに、いざ狙ってやってみようと思うと、なかなか良いアイディアが出てこないのよね。 ほんっと、参ったわ」 「……少しは人の話を聞け」 何処までが本心で、何処からが冗談か。会話と呼ぶには程遠い、まるで噛み合わぬそれらの言葉に、今度は三蔵がため息をつく番だった。 意図してそんな台詞を口にしたのかどうか、三蔵は勿論知る由もない。が、は三蔵のその様を見ながら、またくすくすと笑っている。腹の内では、改心の笑みでも浮かべているに違いない。 「大体、誰が『祝って欲しい』などと言った。ガキじゃあるまいし、今更めでてぇモンでもねぇだろうが」 「いーのよ、名目は何だって。こんなデタラメな旅を続けてて、貴方は相変わらず俺様で、それでも今日も生きている。 それだけでも十分おめでたいと思うんだけど?」 「……の割には、祝い代わりの嫌がらせとやらも、全然大した事ねぇな」 銜え煙草をくゆらせながら、三蔵がまた、ばさり、と新聞のページをめくる。 眼鏡越しに見える紫暗の瞳は、もうに向けられることはない。いい加減に、相手をする気も失せたのだろう。 ハリセンが飛び出してこないだけ、今日はまだマシかも知れない。 「嫌な言い草ね。……単純に、お祝いしたいだけなのに」 「…………」 小さく肩を竦め、が困ったような、複雑な笑みを浮かべた。 そして。三蔵の傍へと歩み寄ると、背後からそっと首元に腕を回し、しなだれかかる。 「愛してるわ」 甘えるような、縋るようなそのしなやかな腕にも、三蔵の表情はまるで変わらない。 怒ることも、振り払うようなこともしない代わりに、目線は手元の新聞に落としたままである。銜え煙草を悠然とふかし、傍らのビール缶を無造作に手に取るその仕草も、普段とまるで変わりがない。 ぷしゅり。時が静止したかのような静寂の中に、缶を開ける湿った音が響いた。 部屋の薄いドアの向こうからは、階下の喧騒が微かに聞こえていた。 安物ばかり並べていた質素な酒場は、こんな時間でもまだ営業を続けているらしい。随分商売熱心なことだ。 隣室の悟空と悟浄の怒鳴り合いも、まだまだ終わる気配が見えない。 激しく飛び交う罵詈雑言が、壁越しでも一句一句までしっかり聞き取れる。そのうち保育担当が間に割り込み、あの絶対零度の微笑で仲裁するに違いない。もしくは、他の宿泊客か宿の主人が直接怒鳴り込むか。どちらにしても、暫く放っておいて良いだろう。 かたかたと鳴る微かな木の軋む音は、夜風が当たって鳴る窓枠の音らしい。微かに鳴る音が夜気の冷たさと混じり、体感温度を微妙に下げている。 遠くに聞こえる雑多な喧騒と、部屋一杯に満ちる静寂との対比に色を添えるように。三蔵の燻らせる煙草の煙が、薄く拡がる。 長いとも短いともつかぬ沈黙の中。再びため息をついたのは、一体どちらが先だっただろうか。 「――どうした。それだけか」 ぼそり、と呟いた三蔵の一言に、がぱっと頭を上げた。 残念そうな、つまらなそうなその表情は、三蔵の視界には全く入らない。同様に、からも三蔵の顔はまるで伺えない。 互いが、互いの顔を見ないままで。所在無さげに伸ばされた細い指が、無骨な指に絡め取られる。 「なあんだ。今の、全然効いてないのね。……私的には、結構いけると思ったのに」 「――ふん。てめェの仕掛けなんぞにいちいち嵌ってたまるか。 大体、『祝い代わりに嫌がらせ』とぬかす奴の台詞なんざ、まともに相手する訳ねぇだろうが」 「ほんっと、可愛くない人ね」 言葉の応酬が続くその間も、互いの指と指が戯れ合っている。 仕掛けているのは、離さずにいるのはどちらだろう。それすらも定かではない、まるで子供同士のふざけ合いである。 交わす会話の日常的な匂いと、普段ではまず有り得ないその所作とのギャップに、が小さく苦笑した。 「この、お子様」 「ぬかせ」 口にする言葉が、嘘か真か冗談か。その境界線すら曖昧なままに、時だけが過ぎてゆく。 そうして見栄や建前ばかりを唇に乗せ、意地や矜持で完全武装するのは――生き抜くために身につけた、悲しい処世術。 誰だって、この世に生まれ落ちたばかりの頃には、己が心を素直に口にした筈なのに。 『大人』は、結構切ない。 「でも三蔵、お祝いを用意してるのは、私だけじゃないわ。貴方も薄々、気付いてるんでしょ?」 「……馬鹿共が」 虚と真を諸共に抱えたままに、毎日が希望と経験の等価交換の繰り返し。 『誕生日』とは、そうして経てきた年月の長さを測るための目安であり、それ以上の意味など知ったことではない。 けれど。 「いいじゃない。こうして生きてるからこそ、楽しめるんだし」 「…………」 「三蔵。……誕生日、おめでとう」 の発したその言葉と、憮然と燻らされる銜え煙草の煙が、ひんやりとした夜気ににじんで融けた。 |