絶対佳人





「で、少しは気が済んだ?」

背後から不意に、がそう尋ねてきた。
あの正体不明のカミサマの城から戻ってきて、三蔵がジープから降りようとした、まさにその時のことである。
後部座席の定位置から、助手席に向かって。先に降りた悟空や悟浄、八戒には聞こえない、ひどく小さな声で。

「……何が言いたい」

振り返りもせずに、三蔵がそう応じた。
言外に不機嫌さを存分に孕む、非常に憮然とした口調である。眉間に二本増えた縦ジワと相俟って、その不快感を露骨に表していた。
そのような三蔵の反応に、背後で、小さく笑う気配がする。

「別に。ちょっと訊いてみただけよ」
「下らねぇな」
「でしょうね。私も、そう思うわ」

そんな会話を交わしながら、がす、とジープから降りた。
はこちらに背を向けたまま、三蔵の顔を見ようともしない。多分、わざわざ見る気もしないのだろう。そんな可愛げのない女であることには、とっくの昔に分かっている。
ぼろぼろに破れて汚れた服や、身体の至る所にある無数の傷。血や埃で汚れて重くなった髪が、背中にべったりと張り付いていた。少し前屈みになっているということは、肋骨の一、二本でも折っているのだろうか。
満身創痍なその後姿を、三蔵はふん、と忌々しげに鼻を鳴らしつつ見つめる。

――癪に障る女だ。

向ける視線はそのままで、三蔵は袂から煙草を取り出し、口に銜えて火を点けた。ふう、と吐き出した煙草の煙が、夕暮れ色の空に溶けてゆく。
あの戦いが、まるで泡沫の夢のような。そんな錯覚さえ感じてしまう。身体の至る所に負った傷の痛みは、間違い無く現実のものではあるけれど。

終わったことは、もうどうでも良い。今更、考えようという気も起きない。

いつもよりやけに苦い味のする煙草を、三蔵が黙々と燻らせているのにも構わずに。は前を歩く悟空を追い、その隣へと並び立った。
傷ついた身体を引き摺りながら、それでも二人は、明るい声で笑い合う。

「あーもぉ、腹減り過ぎてまじでやべーよ、俺。早くメシにしよーぜ」
「ダメよ、悟空。先ずは怪我の手当しなくっちゃ。食事はそっちが済んでからよ」
「ええーっ、でも俺、もぉ腹ぺっこぺこで、まじ死にそうなんだけどぉ」
「だからって、その怪我放っておく訳にもいかないでしょ。我慢よ、我慢」
「でもさぁ、――」

血みどろの壮絶な姿と相反する、そんな他愛もないやり取りが、三蔵の元まで聞こえてくる。こちらが「煩せぇな」と思わずぼやいたのにも、二人は全く気付いていないようだ。
呑気に笑い合う様はまさに普段通りで、些かの曇りも異変も見受けられない。つい先程まで、命賭けの死闘を繰り広げていたというのが、まるで嘘のような明るさである。
あまりの騒がしさに閉口した三蔵が、黙れ、と怒鳴ろうとした――その時、

「なぁなぁ三蔵っ、早く行こうぜっ!」

悟空と、二人が同時に振り向いた。
黄金色の瞳と、深青色の瞳。ひたむきな眼差しと、挑むような眼差し。対照的な二対の瞳が、揃って三蔵の姿を映している。
夕暮れ時の赤く大きな太陽の光を、その身に存分に浴びながら。瞳の色だけは黄昏に染めずに、至極当たり前といった風に、それぞれの笑みをたたえている。
揺らぐことなく真っ直ぐに、三蔵ただ一人だけを見つめて。

その様は、満身創痍である他には、いつもと何ら変わりが無い。
憎らしいほどに。

――馬鹿面が二つ、か。

斜に構えていた紫暗の瞳が、つ、と僅かに細くなった。
絡み合う視線と視線の狭間で。銜え煙草から立ち昇る細い煙が、揺れる。

「……煩せぇぞ、お前ら」

暫しの沈黙を置いて、三蔵がぼそり、と呟いた。
が、言われた当人たちはまるで気に病む様子はなく、揃ってにこにこと笑っている。三蔵のその反応も、予想通りと言わんばかりの顔だ。二人の間でちらり、と意味ありげに交わされた視線が、何となく腹立たしい。
そんな二人のその様に、三蔵は更に苦い顔をしながら。ジープの助手席からゆっくりと立ち上がり、吸いかけの煙草をぽい、と投げ捨てて足で踏み消した。
火を消すべく踏みしめるその足元で。潰された吸殻が砂利と混じり、じり、と小さな音を立てる。

自分に付いて来る馬鹿は、猿一人で充分だ。そう思っていた筈なのに。

「行くぞ」

と悟空の間を突き抜けるようにして、三蔵が歩き出す。
そんな三蔵のその台詞に、悟空が至極嬉しそうな顔をして、ぱたぱたと前へ駆け出した。一人先走りするその後姿に、歩きながら三蔵が「馬鹿猿が」と舌打ちをすれば。後ろから付いて来るが、くすり、と小さく笑い出した。

これもまた、忌々しいくらいに「いつも通り」な場面。
いつからこれが「当たり前」になったのか、はっきりとは分からないけれど。

間違っても隷属せず、でも決して裏切らず。
この女もまた、自身の在り様をずっと保ったままで、地獄の果てまででもこうして付いて来るのだろう。
「三蔵法師の愛妾」等という下らない風評が、時々自分の耳にも入るけれど。そんな生ぬるい関係だけを望む女なら、最初からこんな所に居ないだろうし。もしも傍に居たがったとしても、こちらからとっとと追い払っているに違いない。
特に邪魔にならないから、そのまま傍に居させている。ただ、それだけの関係。

そう云えば――こんなふざけた状況を、心底羨んでいた奴が居たような。
何がそんなに羨ましいのか、さっぱり理解出来ないし。理解しようとも思わないが。

と、その時、

「ねえ三蔵、一つだけ訊いてもいい?」

後ろを歩くが、笑いながら尋ねてきた。
遠慮もなく、気遣いもなく。ちょっと好奇心が湧いただけ、とでも言いたげな口調である。

「何だ。下らねぇこと訊いたら、殺すぞ」

わざわざ振り返る気もしないので、背を向けたまま三蔵が素っ気無く答える。
すると。はくすくすと笑いながら、更にこう問いかけてきた。

「今夜の夕食は、本当にマヨネーズ入り塩ラーメンにするの?
 悪いけど私、そんなとこまでは付き合ってらんないわよ」








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