Anecdote at night




 暗がりに、一瞬小さな火が灯って消えて、紫煙が細く立ち昇り始めた。
 人里離れた山の奥、茂る木々の合間に見える空に、半分より少し膨らんだ月が、ぽっかりと浮かんでいる。月夜と呼ぶには少々暗く、しかし無明と呼ぶには些か明る過ぎる、中途半端な夜だった。
 時折、吹く風に揺られて、さわさわと葉擦れの音がする。佇む三蔵の肩に掛けられた経文が、風を受ける度にふわりと揺れた。足元では、赤や黄色に染まって落ちた木の葉が、踏まれる度にがさがさと音を立てる。よく見ると、既に落葉して枝だけになった木もあるようだった。
 時刻は既に真夜中近く。焚き火のそばで繰り広げられていた騒ぎも、収まって久しい。
 今頃は皆、めいめい毛布にくるまって眠っているのだろう。野宿続きだとぎゃあぎゃあ喚いていた声も、聞こえなくなると存外寂しいものだ。口に出すとまた調子付かれるので、表立って認めてやる気はないが。

「………………」

 煙草の煙を肺一杯に吸い込んで、吐き出す。そのままで少し歩くと、少し開けた場所に出た。
 そこにあった切り株に腰を落ち着かせて、再び盛大に煙を吐く。空気が旨いと煙草も旨い、過去にそう言ったある老僧の言葉が、不意に思い出された。そういえば、自分が煙草を吸い始めたのも、あの頃だったか。
 そうして三蔵が物思いにふけっていると、背後から、

「何してんのよ、人が寝てるそばで」

 と、声がした。
 振り向くと、そこの木の根元で眠っていたが、毛布から半分顔を出し、こちらを見ていた。まだ眠いのか、常と違い半眼だ。丸めた体とは正反対に、寝乱れた髪が地面に広く散っている。
 は毛布を払うと、ああ寒い、と言いながら立ち上がった。髪をささっと手ぐしで整え、三蔵の方へと歩み寄る。

「早寝早起きの三蔵様がまだ起きてるなんて、珍しいわね。明日は雨かしら」
「煩せぇ。俺がここにいて悪いか」
「別に。ただ、何してるのかなって思っただけよ」
「見て分からねぇか、このバカが」
「バカで悪かったわね。何よ、人が寝てる所にわざわざやって来て、何するつもりだったのよ」
「自惚れんな。大体、これだけ近づかれてもまだ寝てるなんざ、気が緩んでる証拠だな」
「敵じゃないのに飛び起きたら、体力の無駄じゃない。貴方こそ、何言ってるんだか」

 言い合いながら、も煙草に火を点ける。もう一本、新たに細い煙が立った。
 野宿の際、はいつもこのように、皆とは少し離れた場所で眠る。
 それは、紅一点であるが故に生まれた習慣で、宿でも、可能な限り一人部屋が割り当てられていた。男と女が揉めずに仲間であるためには、引くべき一線があるということだろう。無論、敵が襲って来た時には、すぐに皆と合流するのだが。お陰で三蔵も、変な方向で気を配る必要がなく、四人の頃と変わらず旅を続けてこられた。
 そのは、紫煙をくゆらせながら、時折寒そうに身を竦めている。さっきまで毛布をかぶっていたために、余分に夜風を冷たく感じるのだろう。
 三蔵は、横目でちらりとそれを見て取り――口を開きかけて、やめた。
 寒いかと問うたところで、やれる事など何もないから。

「………………」

 静寂が、場を占める。
 遠くかすかに聞こえる虫の音と、紫煙を吸っては吐く息の他は、何も耳に入らない。三蔵も、も、互いに視線は合わさずに、しかし近い場所で、同じように煙草をくゆらせる。
 と、その時。三蔵が、吸い終えた煙草を足元に落とそうと、手を下げかけた。
 だが、吸殻が手から離れるより先に、が、

「ダメよ、ポイ捨ては。山火事になったら大変でしょ」

 と、自らの掌を差し出した。
 その上には、ちょこんと、アルミ製の小さな携帯灰皿が乗っている。ご丁寧に蓋もちゃんと開けられて、すぐ使えるようにされていた。
 再び、二人の目が合う。見下ろすようにして小さく笑うの表情が気に入らず、三蔵は、ふん、と小さく鼻を鳴らした。
 ひったくるように灰皿を奪って、煙草の火を消す。灰皿にきつく押し付けられた吸殻が、最後の煙を細く上げながら、くにゃりと折れ曲がった。
 そして、顔も見ずに灰皿を突き返すと、続け様に煙草を取り出し、また火を点ける。が「吸い過ぎじゃない?」と口を挟んだが、無視することにした。
 冷たい夜風にさらわれて、吐き出す紫煙が暗がりに散る。すぐそばで、紅く染まった木々の葉が揺れた。

「……そういえば、今日だったわよね。三蔵の誕生日って」

 しばしの間を置いて、がぽつりとそう言った。
 見ると、はいつの間にか、地面に座り込んでいる。どうやら、立ちっ放しはやめたらしい。

「悟空とも相談して、いろいろ考えたんだけど、何にも思いつかなかったのよ。三蔵、何か欲しい物ある?」
「要らん。要る物なら自分で買う」
「可愛くないわね。せっかくお祝いしようって言ってるのに」
「祝いだろうが何だろうが、酒盛りの言い訳にしかならんだろうが。いつもとどこがどう違う」
「いいじゃない。長い旅なんだから、メリハリ付けるのも大事でしょ」
「下らんことで俺をダシにすんな。てめェらだけで勝手にやれ」
「お誕生日祝いに主役がいなくちゃ、様にならないじゃない。ちょっとくらい付き合ってよ」
「断る」
「ケチ」

 掛け合う言葉が、夜の暗がりに吸い込まれていく。
 とっくにフィルターだけになった煙草を、から奪い取った携帯灰皿に捨てて、三蔵がすっと立ち上がった。
 これ以上話すことは何もない。態度でそう示すかのように。

「祝いの押し売りなんざ御免だな。他でやれ。俺を巻き込むな」

 しかし、もただで引く気はないらしい。
 三蔵が投げてよこした灰皿を片手で受け止め、大仰にため息をついた。

「押し売りなんて失礼ね。人の好意くらい、素直に受け止めたらどうなのよ。何かが減る訳でなし」
「要らねぇっつってんだろうが。そんなに騒ぎてぇなら、てめェの誕生日でやれ」
「もう誕生日なんて嬉しい歳じゃないもの。だから、自分のはとっくに廃止してるの」
「人には押し付けておいて、何勝手なことぬかしてやがる」
「いいの、女の子は。男の貴方には分からないでしょうけど」
「分かってたまるか」

 吐き捨てるようにそう言って、三蔵がくるりと踵を返した。
 月は更に空高く昇り、晩秋の夜の冷気で、体がすっかり冷えている。一服したらすぐ戻るつもりだったのに、意外と長居してしまったらしい。叶うなら、寝る前に熱燗が一本欲しいところだ。
 もう寝るか。わずかに身をすくめ、野営場所へ戻ろうとする三蔵に、

「三蔵、次の街に着くまでには、何が欲しいか考えておいてよ。私の出来そうな範囲で」

 と、がもう一度声をかけた。
 まだ言うか。半ばうんざりしながら振り返ると、意外に真剣な眼がそこにあった。

「祝える時には祝わせてよ。大した事は出来ないけど」
「………………」

 たたえた微笑みはそのままで、口調も普段と同じく軽い。
 なのに、眼差しだけは真っ直ぐで。

「死んだらお祝いも何も出来ないじゃない。だから」

 何が、だから、だ。口にしかけたそんな言葉が、喉元で引っかかって止まった。
 一蹴するのがためらわれるのは、お互い荒んだ旅を続けてきたせいか。生と死がいつでも紙一重で、体には常に血の匂いが付きまとう。
 これまでしぶとく生き抜いてきたが、これからもそう出来る保障はどこにもない。それは、こんな旅をしていようがいまいが、同じかも知れないけれど。

「……馬鹿が」

 面倒くさげにため息を吐いて、三蔵がぼそりと呟いた。
 別に、こちらが折れた訳ではない。どうせ酒盛りは頻繁にあるのだから、どうでもよくなったというだけだ。これから、クリスマスだ年末だ正月だと、酒盛りが続く時期でもあるのだし、一回くらい増えようが大して差はあるまい。
 だが、それをいちいち説明するのも癪なので、言葉の解釈は、勝手にさせておくことにした。今更どう思われようが、それこそどうでもいい。
 今度こそ三蔵が足を踏み出しかけたとほぼ同時に、もゆっくりと立ち上がった。足元で、踏まれた落ち葉が乾いた音を立てる。

「じゃ、私も寝るわ。おやすみなさい、三蔵」

 がそう言った、まさにその時――反対側の茂みから、がさがさっと大きな音がした。
 三蔵とが即座に身構える。と同時に、手に手に武器を持った妖怪の一群が姿を現した。確認するまでもない。天竺から来た刺客たちだ。
 こんな夜中にご苦労なこったな。三蔵の呟きが、誰にも聞かれぬままこぼれて落ちる。

「玄奘三蔵! 今日こそ――」

 がうんっ!

 聞き飽きた前口上が、銃声にかき消された。
 先頭の男が倒れるのを見て、刺客たちのたたえた殺気が強くなる。隣で、が剣を抜いた。わずかな月明かりを受けて、鋭い刃がきらりと光る。敵が一瞬ひるんだその隙に、残りの全弾を叩きつけた。うめき声を上げ、更に数人が地に伏せる。
 さっきまで澄んでいた秋の夜風に、濃い血の匂いが混じり始めた。
 全く、あんな会話の後にこの展開は、少々出来すぎではなかろうか。笑い話にもなりはしない。
 が剣をかざして牽制する陰で、三蔵が素早く弾を充填する。その間に、あちらから悟空の呼ぶ声がした。

「三蔵! 三蔵――!」

 銃声を聞きつけて、こちらに向かっているらしい。
 すぐに着かないのは、行く手を敵に阻まれているせいか。暗がりでよく見えないが、派手に暴れている気配がした。その間も、三蔵、三蔵と、何度も名を呼ぶのが聞こえる。
 煩せぇ。三蔵が吐き捨てたのを耳にしたか、が小さく笑ったようだった。全く、どいつもこいつも気に入らない。

「ああ、そうそう。悟空も、誕生日祝いは何がいいかって、ずっと真剣に考えてたわ。
 だから、逃げないで、ちゃんと付き合ってよ。私一人じゃないんだから」

 目線は相手に据えたそのままで、が小声でそう囁いた。
 こんな時に何ぬかしてやがる。そう言い返そうかと思った――が、ふと思いついたので、こう言ってみた。

「マルボロ赤ソフト、一カートンずつ」
「…………それこそ自分で買いなさいよ」

 悟空が飛び込んで来た一瞬後に、も敵の一群へ向かって飛び出した。遅れて、八戒、悟浄も姿を現す。
 静かだった山中の森は、すっかり激戦地へと変わっていた。










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