Before The Party




 一本増えた三蔵の眉間の皺に、そろそろ限界が来たか、とは思った。
 時は夕暮れ。そろそろ冬の気配を孕み始めた風はひやりと冷たく、古い建物に巻きついた蔦の葉や、街の外れに見える木立にも、夕焼けの太陽よりも鮮やかに紅い色が乗っている。弁当を持って郊外へ紅葉狩りとしゃれ込むには、とてもいい季節だ。もっとも、今からそうするには、些か時間が遅過ぎるけれど。
 今日は十一月二十九日。本人は忘れているようだが、他でもない、三蔵の誕生日である。
 本人以外の四人で計画したサプライズパーティのため、は、主役となる三蔵を宿の外へ連れ出し、準備のための時間を稼ぐ、という大役を仰せ付かっていた。
 だが。

「おい。てめぇ、何考えてやがる。用も無ぇのにこうしてぶらついて、何が楽しい」

 適当に理由を付けて外に引っ張り出した所までは、巧くいった。が、その後がどうもいけない。この男は元々出不精で、散歩という趣味を持っていないのだ。
 加えて、今滞在しているのは、山あいならどこにもでもあるようなありふれた小さな街。
 特に珍しい物や観光名所がある訳でなし、道を行き交う人々の姿も、平々凡々といった風情である。ちょっと表通りの店を冷やかして歩こうにも、軒数が少なくてすぐ行き尽くした。裏通りに酒場や賭場があっても良さそうなものだが、片田舎故に更に数が少なく、またパーティ前に酒を飲ませる訳にもいかない。故に、そこで暇を潰そうにも潰せない。
 それで、一度道の端まで行き着いた所でUターンして、もう一度通りをゆっくり歩こうとしたのだが――そこで、三蔵の我慢に限界が来たようだ。
 さてどうするか。内心あれこれ悩みながら、は、くるりと体ごと向き直り、思案をおくびにも出さない笑顔を浮かべて、言った。

「せっかく平和なんだから、たまにはショッピングに付き合ってくれてもいいじゃない。別に、他に用がある訳じゃないんでしょ」
「何がショッピングだ。ただ歩くだけで、何にも買い物してねぇだろうが」
「じっくり見て回るのも、買い物の楽しみの一つよ」
「だったらてめぇ一人で行け。俺を巻き込むな」

 心底不機嫌そうな顔をして、三蔵が踵を返した。
 まずい。あと一時間は、宿に帰ってもらっては困るのに。慌てたは、通行人の視線もお構いなしに、はしっとその腕を掴んだ。
 悪鬼のような形相で、三蔵が振り向く。射殺さんばかりの眼差しに一瞬たじろぎつつも、も負けじと見つめ返した。

「……もうちょっと付き合ってよ。おねだりなんて考えてないから、その辺の心配は要らないわよ。だから」
「何が、だから、だ。大体、ここにある店は大抵行き尽くしただろうが。買う物も無ぇのに、これ以上うろうろしてどうする」
「買う物は、……ああそうそう、貴方、膝が破れて履かなくなったジーンズがあったわね。
 ちょうどいいわ。新しいの買いに行きましょ」
「ンなもん、サイズが分かってれば、お前一人でも用足りるだろうが」
「メーカーによっては、微妙に寸法が違うじゃない。それに、貴方の正確なサイズなんて覚えてないわ。
 その場で試着してくれれば、後で交換なんて手間も省けるし」
「いつもお前か八戒が洗濯してんだろうが。サイズくらい覚えてねぇのか」
「そんな細かい所、いちいち見てるはずないでしょ」

 道の往来で余所者の男と女が言い合ってれば、嫌でも周囲の視線を集める。それも、片方が聖職者となれば尚更に。会話が喧嘩腰とはいえ、こんなあからさまに女が坊主を引き止める図は、夜の歓楽街でもそうそう見られるものではなかろう。
 一体何事かと、周囲が不審がるように二人をじろじろ見る。その視線に気付いて、の手が僅かに緩んだ。その隙に、まるで埃でも払うかのような所作で、三蔵が素早く腕を離した。
 二人の間に、微妙に気まずい雰囲気が流れる。こらえ切れず、がつっと視線を逸らした。

(せっかく、いい考えだと思ったのに)

 当日になったというのに、はまだ、誕生日プレゼントを――パーティに持参必須だと指定されていた訳ではないが――何も用意してなかった。一応お祝いだから、という気持ちがあったにも関わらず。
 何しろ、この旅の出資者は三蔵である。三仏神名義のゴールドカードは無敵だし、曲がりなりにも仏門の最高位とあって、元より金銭には不自由していない。加えて、物に執着したり、拘りを見せたりする性質ではないので、贈る側にとってはかなりの難敵である。
 故に、当初は何気ない思いつきとはいえ、破れたジーンズの事を思い出したのは、我ながら偉いと思った。
 なのに。

(皆、ごめん。これ以上は、私には無理そうだわ)

 目をきらきらさせながら、サプライズの準備に思考をめぐらせていた悟空の顔が、脳裏をよぎる。
 この企てが発案された時も、彼が一番乗り気だった。時間稼ぎ役を最初に買って出て――食い倒れも程々にしろと叱られて、あまり時間が経たないうちに帰って来ざるを得なかった点はともかく。
 どうしよう。八戒や悟浄に呆れられるのはまだ耐えられるが、悟空の落胆した姿はかなり堪える。出来れば避けたい。避けたいが、これ以上はどうにもなりそうにない。
 諦めて、はさっと三蔵から離れると、訝る視線から逃れるように、くるりと体ごと反対を向く。
「もういいわよ、嫌々付き合ってくれなくても」そう吐き捨てたのは、本心を隠すべく口にした強がり。悔しい気持ちなんて、絶対にこの男には見せたくない。
 ごめん、皆。心の中でもう一度謝りながら、はそのまま、店の並ぶ通りをもう一度歩き始めた。
 一陣の風が吹き抜けて、足元に、紅く染まった枯葉が数枚舞い落ちる。踏んだ足元で、かさりと乾いた音がした。
 辺りはいよいよ暗くなり、店先に吊るされた提灯の明かりが増えてきた。飲食店では酒も出し始めたようで、扉や窓越しに、賑やかな話し声が聞こえてくる。往来を行く人の中にも、ほんのり赤ら顔の者がちらほら出てくるようになった。
 そんな風に、ぼんやりしながら歩くことしばし。背後に、誰かが付いて来る気配がある。
 まさかと思って振り向くと、そこには、ひどく面倒くさそうな顔をして立っている三蔵の姿があった。
 思わず、の目が丸くなる。

「……宿に帰るんじゃなかったの?」
「帰るついでだ。あと少しだけ付き合ってやる」
「別に、嫌々一緒に来てくれなくてもいいわよ?」
「煩せぇ。せっかく行ってやるって言ってんだ。てめぇは素直にはいとだけ言ってろ」
「悪かったわね、素直じゃなくて。でも、それはお互い様じゃない。付いて来るなら来るって、最初から言えばいいのに」
「誰がてめぇに付いて行くと言った。てめぇが、俺に付いて来るんだろうが」
「何よそれ。今、後ろを歩いてるのは、私じゃなくて貴方じゃない」
「………………」

 途端、三蔵が、を抜き去るかのように足を速める。
 そしてすれ違いざまに、小声でぼそりと、

「何の企みかは知らねぇが、今回だけは乗ってやる。感謝しろ」

 と言った。
 の目が、更に大きく見開かれる。その様を見て、三蔵はもう一度、ふん、と馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
 俺に隠し事が出来るものか。こちらを見る眼が、言外にそう告げている。が、正直に答えるのも面白くない。「何の事かしら」とそらとぼけてから、三蔵の隣へと並んだ。
 微妙な間合いを取りながら――巷の男女のようにくっつかないのは、暗黙の了解のようなものである――、二人、もう一度街の通りを歩き始める。
 屋台で美味しそうに蒸された点心を目にし、準備は順調だろうか、と思いを馳せながら。




 そうして何軒か店を見て回って、新しいジーンズを一本買って――三蔵が訝しがるのを横目に、当初の予定どおりが代金を支払った――、宿の近くまで来たところで、悟空が、中から飛び出して来た。

「二人ともお帰り! 三蔵、今日のメシは部屋で食おうぜ!」

 悟空は、ちらりとに目配せしてよこすと、ぐるりと三蔵の後ろに回って、その背中をぐいぐい押し始めた。
「馬鹿力で押すんじゃねえ」案の定、三蔵が文句を言ったが、喜色満面の悟空にはあまり効果がなかったらしい。その勢いのまま、一階の食堂兼酒場を抜け、宿泊受付にいる親父が奇異に満ちた目で見るのも構わずに、そのまま階段口まで押し通した。も勿論、その後を付いて歩く。
 早く早く、と尚も急き立てる悟空に、三蔵が「いい加減にしろ」と雷を落とした。そこで悟空も背中を押すのを止めたが、しょぼくれた表情の中にも、悪戯を実行する子供のような輝きが潜んでいる。傍で眺めているにも、自然と笑みが伝播した。
 先立って、ちょっとどころではなく落ち込む出来事があった故に――感受性の強い性質だけに、精神的なダメージは半端でなかった――、その元気な表情は大変喜ばしい。
 あの時の表情は沈痛極まりないものだったし、を含む他の面々も、一様に暗い空気を引きずっていた。あんな出来事だった故に、それも当然ではあったけれど。だから今回のサプライズは、一同の憂さ晴らしも兼ねていたのだ。
 うまく行って良かった。心の中でそう呟いて、ほっと安堵のため息をつく。一時は、本当に危なかったが。

も早く早く!」
「騒ぐなっつってんだろうが、馬鹿猿」

 先を行く悟空が、階段上から大声でを呼ぶ。即座にハリセンで殴られたが、それでもめげず、ぶんぶんと大きく手を振っていた。
「すぐ行くわ」と笑顔で答えて、も急ぎ階段を登る。
 後ろ手でこっそり、新品のジーンズを入れた紙袋に、予め用意した小さなお祝いカードを放り入れながら。




 程なく開かれた誕生日パーティでは、八戒が腕によりをかけて作った料理と、悟浄が特に念入りに選んだ酒が、テーブルいっぱいに並んでいた。
 場の彩りにと添えられた紅葉や秋の花は、悟空が街外れの森で摘んできたものらしい。紅葉はともかく花は、秋も終わりに近いのによく見つけてきたものだと、は密かに感心した。
 が、お祝いムードがあったのは最初だけ。案の定、いつも通りに大騒ぎの酒盛りへと発展し――今日の主役だからとさんざ皆に弄ばれた三蔵は、「今更誕生日などめでたい訳あるか」としきりに毒付いていた。
 こちらには特に被害が及ばなかったので、特には気にしない事にしたけれど。










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