silly story




「相変わらず仕事の虫ね、金蝉」

 が声をかけると、部屋の中央の机に就いている部屋の主が、露骨に顔をしかめた。
 そのまま戸口にもたれかかると、身にまとう花の地模様が美しい上衣の朱が、この殺風景な部屋を華やかに彩る。髪に挿した銀の飾り細工が、薄紅色の花簪の隣でしゃらんと鳴った。
 腕には、瑞々しい緑葉を添えた、桃色の牡丹の花を数本抱えている。庭師が丹精込めて咲かせ、朝一番で摘んだものだ。活ける器がないのは分かっていたので、来る途中に会ったこの城の侍従に命じて、花瓶も用意させている。
 飾り一つない部屋の潤い(と主への嫌がらせ)に持ってきた物で、金蝉は案の定、殊更に嫌そうな顔をした。

「昼前に何しに来た。そんな物まで持って」
「差し入れよ」

 せっかく持って来たんだから少しは喜んでよ。口先だけの不満を述べて、は、彼のいる執務机の方へと、ゆっくりと歩み寄る。
 侍従の差し出した細い白磁の花瓶に、牡丹を活ける。予想したとおり、なかなかいい感じだ。
 いつも白基調のシンプルな服装をしているが(数少ない飾り物も揃って金なので、全体的に淡く見える。印象そのものまで薄くならないのは、良過ぎる容姿と、悪過ぎる性格のせいだろう)、日光を集めたような金髪と、やたら麗しい容貌を持つこの男には、こういう豪奢な花がよく似合う。朝露を未だ含んだ鮮やかな花の色と、白い服に金の髪のこの男との対比も、我ながら良い構図である。が、のそんな心中も知らず、本人からは「余計なことすんな」という言葉が投げつけられた。
 その不満を無視し、花瓶を、やはり侍従が持って来た台に置いて飾る。本棚の辺りが、少し華やかになった。どう? と感想を聞いてみたが、金蝉は、ふんと小さく鼻を鳴らしただけだった。

「せっかく持って来たのに」
「頼んだ覚えはねえ」

 ころころと笑うに対し、金蝉はひたすらに渋い顔。いつからこうなったかは覚えていないが、この幼馴染とのやり取りはいつもこうだ。この男の笑顔など、滅多には見られない。もっともも、花などで喜ばれるとは、微塵も思っていないのだが。
 そのまま、くるりと部屋を見回してみる。先ほど加えた花瓶は別として、この部屋には、基本的に余計な物は何もない。豪華絢爛な宮中に慣れたの目には、却って新鮮である反面、些か物足りなさも感じる部屋だ。
 客用の椅子や卓すら置いておらず、机の上も、文箱と筆記用具と判子と朱肉と、山積みになった書類があるだけ。脇にある窓の傍にも、飾り物一つ置いていない。全体的に素っ気なく、主の性格をそのまま反映したようで、それがある意味、主の美貌を引き立てているという皮肉さがある。本人は多分、その事に全く気付いていないだろうが。
 仕事熱心という風情ではない。しかし、周りの事柄全てを遮断するかのように仕事に没頭する様は、倦む程に長過ぎる時間を潰すための、彼なりの手段なのだろうかと、は常々思う。

「つまんないの」
「こっちは仕事で忙しい。構ってる暇なんか無ぇんだよ」

 何気なくつぶやいた言葉なのに、律儀に返事が返ってきた。内容は、全く嬉しくないものだけど。
 たまたま部屋の前を通りかかった侍女に声をかけ、背もたれのない丸椅子を一つ、持って来させる。
 そして金蝉に隣り合うようにそれを置かせ、ゆっくりと腰を下ろした。その動きに合わせて、淡い若葉色の裳の裾と、薄い紅色の紗の領巾(古代の服装の女性や天女などが腕に持つ羽衣のような布)が、ふわりと空気を孕んで広がる。また、簪の銀細工がしゃらりと鳴った。
 がそうして座る間、金蝉は一瞥もしない。ずっと山積みの書類に目を通しては、ペンを走らせ、判を押して、淡々と決裁していくのみ。
 だが、ふと、が己が手元を覗き込んでいるのに気付いて、

「てめェ、人の仕事を邪魔して楽しいか」

 と、鋭い眼差しを向けて来た。
 何がそんなに気に入らないのだろう。ただ、そばで眺めているだけなのに。

「私は何もしてないわよ。どうぞどうぞ、続けて頂戴」
「…………ふん」

 がそう答えると、金蝉は、ふいっと視線を書類に戻し、仕事を続行した。
 しばし、時間が過ぎる。かりかりとペンを走らせる音がするのみで、部屋はしんと静まり返っている。変化といえば、たまに、金蝉が顔にかかる髪を無造作にかきあげるだけ。
 ここにとっては、それが常態なのだろうが、放っておかれたにとっては、当然ながら面白くない。ただ眺めているのにも飽きてきた。
 横で手を振ってみたり、わざと変な顔を作ってみる。けれど、金蝉は一瞥だにしない。
 影絵を作る要領で、指を様々な形に組んで見せた。それでも、反応は無い。
 あれやこれやと試してみたが、そのことごとくが空振りに終わった。

「………………」

 その手元から書類を奪い取ってしまえば、まず間違いなく振り返るだろう。
 だが、そうまでして無理やりこちらに向かせるのは、何となくつまらない。勿論、このまま無視され続けるのも気に入らないが。
 少しだけ、帰ることも考えた。しかし、自室で楽を嗜んだり茶を飲んだりして過ごすのは、とうの昔に飽きている。何より、天帝直系の公主であるに対し、対等に口をきいたり、遠慮なく本音で話す相手はいないのだ。慣れているとはいえ、たまには、気楽に話をしたりしたいのに。
 だからこそ、この幼馴染の所へ来たのだが――

「………………」

 少し考えて、は、金蝉の後ろへ回り込んだ。
 きらきらときらめくその長い金髪を一房、手に取る。ぴくりと肩が動いたが、気にしない。
 ゆっくりと手を下へ滑らせれば、さらさらと髪が流れてゆく。簡素に一つに束ねられただけの髪は、余程質がいいのか、傷みやもつれが全く無く、指触りがいい。男の髪にしておくのが勿体無い程だ。
 さらりと流れる度にきらめく様は、まるで太陽の光を切り取って、極上の糸にしたかのよう。顔立ちも綺麗だし、もし女なら、世の男の羨望を集めたに違いないと、つまらない事を考える。
 実際、本人はまるで相手にしていないが、宮中の女たちの間では、密かに憧れの的になっていたりする。

(性格と口は、最悪だけどね)

 さらさらと髪を触って遊んだ後に、は、再び一房とって、丁寧な手つきで編み始めた。
 質の良い髪は滑りも良過ぎて、雑な所作では、編んだそばから解けてしまう。故に、嫌でも丁寧にならざるを得ない。少し目をきつめにし、すぐには解けないよう慎重に、ゆっくりと編んでゆく。
 そうして、編み目をいくつか作ったところで、

「…………何してやがる」

 と、金蝉が、恐ろしく低い声で言ってきた。
 こちらを振り向いてはいないが、仕事の手が完全に止まっている。背に漂わせる気配も剣呑で、並みの者ならきっと、それだけで恐縮し切ったことだろう。
 だが、は、そんな幼馴染の態度には慣れている。髪を編む手を止めぬまま、平然と答えた。

「たまには、髪型を変えてみてもいいんじゃない?
 私は本職じゃないし、道具もないから、難しい結い方はとても出来ないけど」
「………………」

 小さな舌打ちの後に、先程までペンを持っていた手が、の手を振り払った。
 髪は再び彼の背へと落ちて、下段の編み目がするりと解ける。残ったいくつかの目も、荒っぽい手櫛で解かれた。
「せっかく編んだのに」とが不満を述べると、「頼んだ覚えは無ぇ」と、不興そのものな返事が返ってきた。

「俺は忙しいんだよ。相手して欲しいなら、他へ行け」
「それで、権力目当ての求婚者たちの、歯の浮くような美辞麗句や、全然分かってないご機嫌取りに、大人しく猫をかぶって付き合えって言うの? 嫌よそんなの。つまらないじゃない」
「だからって、人の仕事の邪魔すんな。鬱陶しい」
「いいじゃない、たまには息抜きも必要よ。急ぎの仕事じゃないんでしょ」
「役職一つ持たねぇ奴が、知った風な口をきくな」
「観世音菩薩が仰ったのよ。『ろくに見もせず判を押すだけだから、遊びに行っても構わない』ってね」
「………………」

 ちっと舌打ちの音がして、荒々しくペンが机上に置かれた。
 くるりと振り向いた表情には、あからさまな不興の色。を見る眼差しも、にわかに険を帯びている。が、は意にも介さず、椅子から立ち上がると、くるりとその場で背を向けてやり過ごした。
 再び、沈黙が訪れる。
 今度はが背を向けているせいで、お互いの表情は全く見えない。ただ、静かに時間が流れてゆくのみ。
 部屋の外から、侍女が、遅まきながら茶を運んで来た。しかし、場の沈黙に怯んだか、些か急ぎ気味に机の端に白い蓋碗を二つ並べると、あっという間に出て行ってしまう。「失礼致しました」と頭を下げるその姿に、若干の恐れが見られたような気がする。一応皇族らしく、優雅に微笑みかけてみたが、終始恐縮しきっていた。
 侍女が出て行き、再び静まり返った部屋に、茶の馥郁とした香りが漂う。
 それに誘われるように、は椅子を元の位置に戻し、最初の時と同じように、金蝉と向かい合わせに座る。
 金蝉も、一つ深いため息を吐き出し――休憩する気になったのか、はたまた諦めたのか。書類を脇へどけ、手早く机の上を片付けた。
 並べられていた二つの蓋碗が、それぞれの手へと渡る。

「お前に求婚する物好きがいるとはな」

 めいめいに茶を口にし、しばし間を置いた後に、金蝉がぽつりとそう言った。
 その口調に、惜しんだり悔しがったりするような気配はない。純粋に、意外だったという風情である。
 笑うなら笑えば、と一応毒づいた後に、も平然とした顔で応じた。

「いるわよ、それなりには。欲しいのは、私ではなく『天帝の娘婿』って地位でしょうけど」
「ほう。それでわざわざ、お前みたいな煩い女にか」
「一言余計よ、金蝉。
 でも、美辞麗句を連ねた手紙を送ってきたり、せっせと贈り物を寄こしてきたりと、涙ぐましい努力をしてるわ。残念ながら、いいと思ったものは殆ど無いけど」
「無駄の極みだな。莫迦とも言うが」
「年頃の公主なんて皆そんなものよ。それでも私は少ない方。お父様も、まだいいって仰ってるし」

 自分の話なのに、どことなく他人事なのは、差し迫った話でもないせいだろう。あるいは、話す相手がこの男であるせいか。なかなか言えない本音の部分も、幼馴染故に気安く話せる。
 が、金蝉が、そんなことを言い出すのには驚いた。話の流れで転び出た、何気ない発言だったのに。

「なあに。もしかして、気になるの?」
「ああ。てめェのような煩い奴を、わざわざ傍に置きたがる莫迦がそんなにいるのかってな」
「失礼ね。そんなに騒がしくしてないわよ」
「俺の基準では十分煩せぇ」
「………………」

 今度は、が険しい顔をした。が、金蝉は気にせず茶を飲んでいる。
 遠慮がない関係は気楽だが、遠慮が無さ過ぎるのも嫌なものだ。

「私も言わせてもらうけどね、金蝉、貴方だって、進んで夫に持ちたいって男じゃないわよ。
 趣味の一つも持たないし、仕事は真面目だけど熱心って程でもない。いーっつも退屈そうな顔してて、愛想の一つも振らないし、そもそも楽しそうにしてる所すら見せないし。
 それで、口が悪いと来れば、外見がそれだけ良くても、好んで添いたい女なんてそうそういないわよ」
「おい。どさくさ紛れに何言ってやがる」
「ほんっとに貴方って、つまんない人生送ってるわよねー。
 そんな貴方を変えられる人がいたら、是非会ってみたいもんだわ。いるかどうか分かったもんじゃないけど」
「煩せぇ。余計なお世話だ」
「あら、幼馴染だから心配してあげてるのよ。感謝して欲しいくらいだわ」
「誰がそんなもん頼んだ。要らん」

 そんな他愛もないやり取りを続けながら、は、すっと立ち上がり、窓の方へと移動した。
 窓をさっと開け放てば、まず満開の桜の枝が視界に入る。柔らかな陽射しの下、あるかなきかの風に揺らされて、花びらがはらはらと散っている。淡い色の無数の花と、濃色の木肌とのコントラストも、青空に映えて美しい。空気には、朝の凛とした気配がまだかすかに残っていて、風景全体を引き締めていた。
 目を彼方へと転じれば、城の内庭の、蓮の花が全面に咲く池が見える。
 そのほとりにある回廊では、観世音菩薩が、大きな椅子に腰掛けてくつろいでいる姿があった。水面はきらきらと光を反射して、薄紅色の花と青々とした葉の合間できらめいている。建物全体に漂う重厚さや、柱や欄干に塗られた鮮やかな朱も、それらの美しさを見事に引き立てていた。ふと、観世音菩薩が大あくびをした所も目に入ったが、それは気付かなかったことにする。
 再び部屋の中へと視線を向けると、金蝉はやはり仏頂面で、空になった茶器を弄んでいた。
 すぐに仕事を再開するかと思っていたのに、珍しい。は小さく笑うと、また、その傍らに立った。

「お仕事はどうしたのよ、金蝉童子? いつも忙しい忙しいって言うくせに」
「煩せぇ。お前がやる気を殺いだんだろうが」

 感情むき出しの表情が、何だかおかしい。自然と笑いがこみ上げてきた。
 くすくすとが笑っていると、ますます金蝉が顔を渋くする。が、その反応すら面白がっているのも知らないで。

「何が可笑しい」
「別に、大したことじゃないわ。貴方って、本当に変わらないなって思っただけ。
 昔からそうだったわよね。すぐぶすーっとして、でもなかなか本心を言わなくて、その歳で浮いた話一つ無いのもしょうがないわよ、それじゃ」
「余計なお世話だ。大体、ガキの頃から変わってねえのは、お前も同じだろうが。つまらんちょっかいばかりかけて来やがって」
「失礼ね。お世辞でも、綺麗になったとか言えばどうなのよ。それが女性に対する礼儀でしょうに。
 それに、ちょっかいって何。単に遊んでるだけじゃない」
「私生活での貴様相手に、礼儀もくそもあるか。世辞が欲しいならよそへ行け」
「……貴方のそういう所こそが、本当に変わらないのよね。そういう所も、少しくらい直ればいいのに」
「煩せぇ。そう簡単に変わってたまるか」

 次元の低いこんな言い争いは、昔から変わらない。この遠慮のなさも、何もかも。
 変わらないやり取りに、変わらない関係。それを静かに見守るかのように、窓の外では、桜の花がはらはらと散っている。
 常に花を咲かせ続ける天界の万年桜は、散ったそばからすぐ花を咲かせ、決して花が絶えることがない。その桜の下で、子供の頃から何度同じようなやり取りを続けてきたことか。
 それでも、多少は考える。恒久不変を謳う天界では、この男の変化など、真夜中の空に太陽を探すより難しい気がするけれど。

(その、いつもつまらなそうな顔が、少しは変わればいいのに……)

 と、その時。

「――おや、先客でしたか」

 戸口に、眼鏡をかけた長髪の男が現れた。天蓬元帥だ。
 ネクタイを緩く締め、白衣に下駄履きの至ってラフな出で立ちで、申し訳程度に愛想笑いを浮かべている。が、その目は全く笑っていない。あからさまに棘を孕んだ眼光が、どことなくほんわりしていた部屋の空気を一変させた。
 彼の姿に、のくすくす笑いがぴたりと止む。それを受けるように、天蓬が恭しく頭を下げた。

「これはこれは公主、今日もいつもどおりにきらびやかな装いで。またこちらに来てたんですね。
 もしかして、お取り込み中でしたか?」
「ンな訳あるか。寝言は寝てから言え」

 天蓬の棘のある物言いにが反応するより早く、金蝉がばっさりそう切り捨てた。
 それでも天蓬が不躾にじろじろとこちらを見るので、は、つんとそっぽを向く。今までもさんざん険悪な関係を築いているだけに、今更、高慢と思われようが気にしない。
共通の友人を持ってはいるが、と天蓬は、実は仲があまり良くない。
 権力嫌いな軍の問題児と、誇り高い天帝直系の公主では、折り合える点が最初から無いのだ。金蝉が全く間を取り持たないのも、状況の悪化に拍車をかけている。正直言って、進んで会いたい相手ではない。
 そんな男の登場に、の機嫌が急降下する。その雰囲気にお構いなしに、天蓬はつかつかとやって来て、本棚の脇に目を留めた。

「へえ、牡丹の花ですか。ここでは珍しい。貴女の仕業ですか」
「差し入れよ。部屋の空気が潤うでしょう」
「貴女らしいですね。部屋なんて、必要なものと欲しいものがあれば十分でしょうに」
「無粋ね。こういうのも必要なものよ。変なものコレクターと名高い貴方には、分からないでしょうけど」
「ええ、分かりかねます。貴女のその華やかに過ぎる装いも、僕の趣味とは合いませんね」

 冷たい空気の漂う会話に、間にいる金蝉が、喧嘩なら外でやれ、とぼそりと言った。
 これ以上気分を害するのも嫌なので、もう帰ることにする。「お茶ご馳走様」とだけ言って、再び大仰に礼をする天蓬には一瞥もくれず、早足で部屋を横切った。

「じゃあね、金蝉。また差し入れに来るわ」
「要らん」

 どこまでもつれない相手の台詞に苦笑しつつ、は来た時と同じように悠然とした所作で、その場を立ち去る。
 部屋を出た直後、中から「よく友達付き合いしてられますね」という声が聞こえたが、気にしないことにした。



 そんなやりとりがあってから三日後。
 は、金蝉の元に、下界より連れて来られた「異端の子供」が預けられたという話を、聞いた。










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