残 像





ほとほとと扉を叩く音。

悟浄は寝転がったまま、「あ〜〜」とも、「お〜〜」とも、「う〜〜」ともつかぬ声で返した。
この町じゃ忍んで来てくれる女性のアテもないし、ナンパしようにも外は土砂降りの雨で気が乗らなかっ た。来てるのはきっと、同行の野郎3人の内の誰かで…………。

「……悟浄、ちょっといい?」
「おわ?!」

扉から覗いた顔と声は、予想に反して女性。しかも一応、顔見知り。

「どーしたのよ、。八戒なら向かいの部屋だぜ」

行く先々でしょっちゅう出会う、一風変わった女性。彼女が八戒に惚れこんでいるのは、公然の秘密…… どころか、周知の事実だった。

「いーじゃないのぉ、たまには。ほらほら、お土産♪」
ころころと笑って、はウイスキーの瓶を掲げて見せた。
「ブランデーの良いのもあったんだけど、悟浄って、こういうのの方が好きでしょ?」
「そりゃあ、好きだけどさぁ……」
だったらブランデー持ってって、八戒と飲めば?、という言葉を飲み込む。
大儀そうに起き上がった悟浄の目の前のサイドテーブルに、は瓶をどんと置いた。そして背中に回 していた右手を、くるりと前へ返す。器用に翻したトレイの上には、グラスと氷。
「ふっふっふ。下の食堂でもらってきちゃった」
「…………用意がいいねぇ」
半ばあきらめムードの悟浄は、瓶の封を切るとグラスを受け取った。
のグラスに注いでから、自分のにも手酌。かなり良い酒らしく、甘い果実のような香りがした。

はベッドサイドに引いてきた椅子に座る。酒を飲むとき、彼女はいつも楽しそうだ。
今も……いや、今は、何か違う。

「あいつと、ケンカでもした?」
「まっさか。そんな命知らずなこと、したくても出来ないわよ」
「あ――――。それは同感。」

情けない顔で同意する悟浄に、「でしょう?」と笑いかけてから、さり気なく、は答えた。

「今日はね、あの女性(ひと)の、命日なのよ」

口元に、笑みを、刷いたまま。

「その上、雨まで降ってきちゃって…………見ちゃいらんないわ」

ため息にも途切れない微笑み。目だけが、憂いを帯びて。
……あいつにそっくりじゃねぇか、と、悟浄は胸の内で、誰にともなく毒づいた。

「悟浄?」

知らず知らず険くなっていく悟浄の顔に、は苦笑した。

「なぐさめたりしたら、殴るからね」
「しねえって、んな事」
「その代わり、泣かないから安心して」
「そりゃー、助かるな」

泣かれた方が、マシなのかもしんねえなぁ……と、らしくない事をぼんやりと考える。そんな風に思った自 分にも、少し、腹が立つ。
「で、イチバンお手軽そうな俺が、ご指名をいただいたわけ?」
「そんなんじゃないのよぉ、……ただね」
はグラスに口を触れたまま、上目遣いに悟浄に笑いかける。

「部屋に1人で居たらね、……何となく、悟浄のあの髪に、触ってみたいなあって、思ったの。それだけよ」

この髪を、戒めだと、流した血の色だと、言ったのも……

「……駄目?」

は首を傾げる。
悟浄の脳裏を、『猪悟能』の顔が閃いていく。
それを振り払うようにグラスをあおり、悟浄は、降参!と言う風に、両手を挙げた。

「あーあ。俺、他人のもんには手ぇ出さない主義なんだけどなぁ」
「私、あの人のモノじゃないもの♪」
「ま、そりゃそーだ」

悟浄がニヤリと口の端を上げると、も安心したようににっこりと笑った。
そして、紅い髪に指を差し入れる。そのまま、腕を悟浄の首に回して、頬をよせた。

ベッドに倒れこみながら、悟浄は、サイドテーブルのランプを消した。
部屋が闇に包まれる。耳元で、声がした。

「……ごめんね。悟浄」
「いいって…」

もう、お互いの顔は見えない。

彼女は、今も、微笑んでいるのだろうか。









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