Cigarettes’ Talk





夜空に浮かぶ満月が、やけに綺麗な夜だった。
山中にある小さな街では、宿の消灯時間もやたらと早い。街全体が早寝なのだろうか、窓の向こうに見える家々も、殆どがもう真っ暗である。
とは云え。にとっては、床に就くには早過ぎる時刻である。せっかく月も綺麗なんだし、と、は そっと自室を抜け出して、廊下の突き当たりにあるガラス窓を開け放ち、のんびりと月を眺めていた。
ふと、背後に意識を向けてみれば。照明が殆ど消されたこの薄暗い廊下に、僅かに人の気配がある。
すぐに吸っていた煙草を灰皿に置き、袖に隠していた飛刺を数本投げ放ちつつ。急ぎが後ろを振り返ると、

「――た、タンマっ! 俺だ俺っ! 敵じゃねぇってのっ!」

その叫び声には、にも聞き覚えがあった。
月明かりだけを頼りに目を凝らしてみれば。暗闇の中、紅い髪の長身の男――悟浄が、両手を降参の形に挙げたまま、その場で固まる姿が視界に入った。
が警戒を解き、「驚かさないでよ」と文句を言えば。悟浄は引き攣り笑いを浮かべながら、「それはこっちの台詞だぜ」と返し、の隣へと並び立った。

「で、ちゃんは、ンなとこで何してんのよ?」
「見て判かんない? お月見よ、お月見。寝るにはまだ早いし。
 でも私の部屋の窓からじゃ、あんまり眺めが良くなかったのよね」
「で、わざわざここまで出てきた、ってかぁ? ちゃんも物好きだねぇ」
「いーじゃない。人のやる事にいちいちケチ付けないでよ。
 そんなことより――悟浄、貴方、遊び人を気取る割には、あまり趣味がよろしくないわね。そんな強烈な移り香残したがる女が相手じゃ、後でロクな目に遭わないわよ」
「あらら、全部お見通しなのね。八戒はともかく、他のメンツにゃバレてねぇと思ったんだけどなぁ。
 ま、でも俺、その辺の始末はそれなりに馴れてっから。大丈夫なんじゃねーの?」
「そうして頂戴。もしもこっちまで巻き込んだら、私、容赦なく蹴り倒すわよ」
「おーっ、怖っ」

煙草をふかすの隣で、悟浄もハイライトに火を点ける。二人分の紫煙が混じりながら、月夜の空へと昇り始めた。
暫くして。が一本を吸い終える頃合を見計らい、悟浄が口を開く。

「で、ちゃんは、三蔵サマと一緒に居なくていーの?」

一瞬、奇妙な間が空いた。
そんな沈黙の中を、ぷはあっ、と盛大に吐き出されたハイライトの煙がゆっくりと漂う。
場の空気に、薄い靄をかけさせながら。

「何で私が、三蔵法師様と? その理由は?」

続けて次の一本を箱から出しながら、が問い返した。
そんな彼女に向かい、悟浄はにぃ、と人の悪い笑みを浮かべて、

「そりゃ、言うだけ野暮ってもんじゃねーの?
 愛し合う男と女なら、いつでも一緒に居て当たり前。俺らに遠慮する必要なんてねーのよ?」
「悟浄、貴方、一体何を言ってるの? 全然意味が分からないんだけど」
「バックレても無駄よ無駄。とっくにネタは挙がってんだぜ。
 俺たちがちゃんと三蔵サマの仲に、本気で気付いてないと思ってんのぉ?」
「………………」

からかい混じりな悟浄の台詞に、しかし、は眉一つ動かさない。
かちり。ライターの着火音が、再び、会話に間を空けさせた。

「――根拠は?」
「そう訊かれても、はっきりとは答えらんねーんだけど……何となく、だな。
 何っつーか、見ず知らずの男と女にしては、どうも雰囲気が変過ぎんのよ。は三蔵にだけは変に畏まってるし、三蔵はやったら機嫌悪りぃし。
 気付いてたか? 三蔵の奴、が『三蔵法師様』って呼ぶ度に、いっつも眉間に縦ジワが三本増えるんだぜ」
「………………」
「それに――が『一緒に行く』って言い出したあの時、三蔵は何にも言わなかっただろ。
 普通なら真っ先に反対する三蔵が、だぜ? 俺たちが疑わねぇ筈ねぇじゃん」

さらに笑みを深くする悟浄の台詞に、は一つ、深いため息をついた。
その拍子に、燻らせていた煙草の煙が、揺れる。

「……ってことは、皆、分かってて知らん顔してたの? この数日、ずっと?」

空いた手で髪をかき上げながら、、がふうっ、と紫煙を吹き出す。
たゆたうその煙を乱すように、悟浄も同様に煙を吐き出し、笑った。

「ま、並の奴なら難なく騙せたんだろーけどな。相手が悪かったんじゃねぇの?
 八戒の奴、出会ったあの日にはもう見抜いてたらしいぜ。お猿ちゃんも、何も分かってねぇよーな顔しといて、しっかり本能で何か嗅ぎ取ってやがるし。俺は俺で、女の生態観察は得意科目だし♪」
「……の割には、一晩遊ぶ相手については、選ぶ基準がぬるいようだけど?」
「いーの。遊びは遊び、楽しくヤれりゃ、そんで十分」
「あ、そ」

煙草を喫するの吐息に、呆れる気配が少し加わった。
その横顔を、たゆたう煙越しに眺めながら、悟浄が改めて問いかける。

「で、実際のところ、三蔵サマとはどーなのよ?」
「どうって、何が?」
「まったまたぁ。トボけんのが本っ当に好きだねぇ、ちゃんは。
 三蔵サマとはもうヤったの? ってはっきり訊かねぇと、答えてくんねーの?」
「………………」

銜え煙草を燻らせながら、がす、と袖口に手を引っ込める。
じゃらっ。あてつけがましく鳴る不穏な金属音に、悟浄が慌てて両手を挙げた。

「た、タンマ。分かった、俺が悪かった。
 だからさァ、そーやってすぐ暴力に訴えるのは止めとこーぜ。三蔵じゃねぇんだから」
「そうそう。物分かりの良い男は、結構好きよ。喩えはちょっと気に入らないけど」

にっこりと笑みを湛えながら、が再び袖口から手を出し、外連見たっぷりに煙草をふかす。
その傍らで、悟浄が小さく肩をすくめながら、吸い終えた自身の煙草の火を消した。
火種が消えるその瞬間、夜空に向かい昇る煙が、虚空に細い線を引く。

「でもさぁ、俺の今言った素朴な疑問って、そう変でもねぇと思うんだけど。男と女がお近付きになったら、やっぱそーいう方に行き着くんじゃねぇの? 三蔵サマだっていー加減、チェリーボーイは卒業したっていい頃なんだしよ。
 俺、これでもいろいろ気ィ遣ってんだぜ。でなきゃとっくにちゃん口説きに行ってるって」
「よっく言うわね。隙あらば腰に手を回してたり、肩抱いたりしてたくせに。
 それに、男と女が顔見知りになったからって、必ず寝なきゃなんないって決まりはないでしょ?」
「いーじゃん、それはそれで楽しくて。俺的には全然おっけー♪」
「私的には却下ね。いろいろ厄介になりそうだから」

言いながら、がとん、と灰皿の縁で煙草の灰を落とす。
そのはずみで飛び散った灰が、転がる吸殻の上に白と黒の点描を描いた。

「……これ以上厄介事が増えるのは、御免だわ」
「ふうん?」

次の一本を求めて、悟浄がポケットから煙草を取り出す。
が、しかし。すぐに中が空であることに気付き、悟浄はぐしゃり、と無造作に握り潰した。
そして。それを灰皿の傍らに置くと、新品は持っていないかと、ズボンのポケットをまさぐり始める。

「んじゃさぁ、は何で俺たちに――三蔵に付いて来ようって思ったのよ? こんなイカれた旅だっつーのに?」
「………………」
「三蔵サマとは単なるオトモダチ、ってだけじゃ、俺、なーんか納得出来ねーんだけど」

がふうっ、と深く吐き出した紫煙が、月明かりの差すこの窓辺と、廊下を包む暗闇との狭間でたゆたっていた。
風のない夜の空気の中で。薄い煙幕がふわふわと漂い、やがてゆっくりと消えてゆく。
まるで、闇に呑まれてゆくかのように。

「……じゃあ、反対に訊くけど。そういう悟浄は、何でこの旅を続けてるのよ?
 八戒とずっと一緒に居る理由は? 三蔵や悟空とは? その理由、全部ちゃんと答えられる?」

ぱちん。
その瞬間。悟浄の手にしたジッポの着火音が、不自然な沈黙の中にかすかに響いた。
ほんの少しの間を置いて。目線を合わさぬ二人の間に、新しく火の点けられたハイライトの煙が流れる。
場を占めるこの静寂に、白くたなびく煙が薄く色を添えた。

「さあな。……俺にも、よく分かんねぇわ」

動きを止めたその指先で、ハイライトが静かに燃える。
白い灰が、原型を留めたまま床に落ちた。

「でしょ? 自分が答えられない質問は、他人にも向けない方が身のためよ」

それって、何かズルくない?
悟浄が口にしかけたその言葉が、燃えゆく煙草の煙に紛れ、形にならぬまま消え失せた。
葉の部分を燃やし尽くした火種が、ちりちりとフィルターを黒く焦がし始める。
今頃になってそれに気付いた悟浄が、慌ててその火を消す様を、呆れた眼差しで眺めながら。がまた、次の一本を口に銜え――吸い過ぎだ、とでも思ったのか、火を点けることなく箱に戻した。
「おやすみなさい」の言葉を残し、立ち去ろうとするの背中に――悟浄が再度、声をかけた。

「あのさぁ。……俺、今度は本気マジで口説いていーい?」

一体いつの間に点けていたのか、悟浄は新しいハイライトを燻らせている。
ぷはぁ、と派手に吐き出された煙が、差し込む月明かりに混じり――鮮やかに紅い筈の瞳の色をも覆い、霞ませた。
煙草を銜える唇の端が、小さく笑みの形を作っている。深い意味が有るような、何の意味も無いような、ひどく曖昧な笑みの形を。

「こんなイイ女がフリーなんてさぁ、やっぱ、勿体ねぇじゃん?」
「…………」

その表情を肩越しに見詰めながら。が窓辺からもう一歩離れ、暗闇の方へと身を移した。
たゆたう煙の白に加え、廊下の暗がりが彼女を包み、その表情を覆い隠す。

「そうね。いい女だって誉めて貰えると、悪い気はしないわね。やっぱり」
「………………」
「でも私、さっき言わなかったかしら? 厄介事が増えるのは、御免だってね」

がさらりとそう返すと、悟浄は「あー、さいですか」と小さく呟いた。
笑みの途切れぬその口元には、細くたなびく煙草の煙。微かに揺れる紅い髪をかすめ、月夜の空へと昇ってゆく。 形定まらぬままに漂い流れ、次第にその色を薄れさせながら。
窓の外では、庭に植えられた木々がざわめいている。どうやら、少し風が出てきたらしい。
道理で肌寒くなってきたのかと、密かに一人で納得しながら。は改めて悟浄に向かい、言った。

「ところで、悟浄。――貴方、少し吸い過ぎなんじゃない? 私も、人のことは言えないけど」
「あン?」



目指す西の地は遥か遠く、進む道には常に混乱と迷いがつきまとう。
そんな長い旅の途中の、ある満月の夜の話である。









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