「いつまでいるつもりだ?」
「さあ……」

 この『森』は、言うなれば世界が用意したゆりかごだ。
 それは世界が生み出した子供達―――あるいは悟空の安らぐために存在している場所だ。
 決して妖怪でも天界人。この場合は神でも勝手に入り込むことは出来ない、実際に彼女ですら、入り込むと言うより入れてもらったに近い状態であるこの場合。
 世界のあらゆるところに存在するだろう『森』につながっているのだ。場合によっては時空すらズレる事もあるだろう、その為にのいた時代や場所が遠ざかる事こそあれ近づく事などないだろう。

「すべては、それこそあるがままにと言えるでしょう」

 天界ではかなりの有名人である神の一人―――観世音菩薩が責務を放棄して世界のゆりかごでお茶をするなどとは、外聞があるので決して誰も口にはしないだろうが。そこで管理人よろしく住み着き、基本的には自給自足の生活をするが、普通の人間だと言うわけでもない。かと言って、観世音菩薩がわざわざの為に心を砕いたり声をかけてやる必要だとて、そもそもあるわけではない。

「ふん、らしい言葉だな……教義とか言う奴か?」
「面白い事ながら、他の方にはお会いした事などありません」

 唇の端を持ち上げ、それは笑ったのかも知れないが。の言葉に観世音は片方の眉を上げた。

「隠れてるってわけか?」
「天仙と呼ばれる方々があるのは存じていますが、少なくとも地仙だと名乗られた方が現れたことなどありません」

 無欲であれ。
 宗教的教義から言えば、ほど信仰に厚いものなど存在しないだろう。
 ただし、それがの肉体的要素を取り除いた場合に限られるのだが。

「皮肉なものだな……」

 空となった観世音のカップに、が何がしかの飲み物を継ぎ足した。

「そうですね」
「あっさりとしてるな」
「不要です」

 見かけ10代半ばに見えるは、実はこれでも40代である……覚えている限りでは。
 ごく普通の町でごく普通に結婚して、ごく普通に子供を生んで生活をしていた。
 そう、あの日。
 盗賊たちが、町を壊滅させた瞬間まで。確かに、は特別ではないが幸せな生活をしていた。

「切り捨てると?」

 は生き残った……機転を働かせた夫が、妻と生まれたばかりの子供を隠したからだ。
 数少なく生き残った町の人たちは、それでも乳飲み子を抱えた年若い未亡人に優しくある事もなく。
 最終的に、子供の死因は栄養失調と餓死だろう。
 倒れ行きた町の人達、いの一番に死んだ我が子の体を腕に抱いて。

「すでに無いものに、何の思いを重ねる事もありましょう」

 の不運は……その身に、仙人の骨である『仙骨』を宿していた事だ。
 仙人に真実なるには、自然と一体化できるほどの心を持たなくてはならない。だが、皮肉な事には、それまであった当然の生活と幸せと引き換えにして『世界』を求めなくなった時に、仙人としての能力を得た。

「つまんねえ女だな」
「そうですか……『女』ですか」

 ほどなくして町を壊滅させた盗賊たちは、再びの目の前に現れたのだが……その時の事をは覚えていない。それを言えばは、気がつけばこの『森』の中で暮らしていたのだ。
 もう、何年も何年も昔の事である。

「不満そうだな」

 にやりと笑みを浮かべた観世音の顔を見ることなく、減ったと思われた時にはすかさず継ぎ足される中身。

「ええ、おおむね人生に」

 顔色ひとつ変える事がなくなったのは、最近の中では結構の進歩と言うものだろう。
 感情的になったからと言って、別にの社会復帰が早まるわけでもない……逆に、が外界に意識を向けることすら機会が減るだろう。

「おやめなさい、もう……」

 わずかに「悲痛なのかも知れない」と思わせるかも知れない表情をして、が口を開いた。
 別に、いい加減に観世音の「いきなりの訪問」に飽きたとか言うわけではない。

「俺に指図するつもりか?」
「哀れと、思うのでしょう」

 誰に?
 そう尋ねるべき言葉を観世音は飲み込んだのは、想像が出来なかったからではない。
 逆に、心当たりがありすぎたと言うわけでもない。

「そうだな……また来る」

 立ち上がった豪奢な観世音の姿は、体重を感じさせないたおやかでありながら力強さを感じる。

「迷惑です」
「……つっまんねえ女」

 完全に負けていながら、それでも口調だけはそうと感じさせないのが不思議と言えば不思議だった。
 相手が誰でも自らの立場を崩さないのは、何度来ても変わらない。

「あいつら……」

 ふと、顔をあげた観世音は流れ的にの顔を見て。そして。

「止まることはないでしょう、何があろうと。誰があろうと」
「当たり前だ、俺の退屈しのぎだからな」

 不適に笑った観世音を、は感情の感じない表情で見つめている。
 ただ、その瞳は感情がないわけではなく。
 そうなのだ、無表情になったのではないのだ。
 は、ずっと彼らを見てるだけだった。
 他には何もない、ただ。それだけだった。



 森には今日も風が吹く、木々の葉ずれの音がする。
 なんでもない、よくある日。
 されど、かつてとは異なる日。










>> Back to Last Page <<

>> Return to index <<

Material from 'CoolMoon'