Bottom Line― 序 ― たんっ。 静まり返った薄闇の中に、固い物音が小さく響く。 続いて。くっくっと喉の奥から湧き上がるような笑い声が、の耳に届いた。 「そんなに、血に濡れるのがお好きなんですか、貴女は?」 「………………」 その場にべったりと座り込んでいるの目の前に、小さな物体が一つ転がっている。先程の物音は、これだったのだろう。こんな悪嫌味な事を平然とやるのも、こうして人の醜態を眺めて喜んでいるのも、この男らしいと云えばあまりにらしい。 煩いわね、とが口にしかけた言葉が、まともな声にならぬまま荒い吐息へと変じ、虚しく闇の中に消えた。 「ついでに、貴女自身もそのまま闇に沈んでしまえば、もっと楽になれたでしょうに……」 言いながら男は、ゆっくりとの方へと歩み寄る。足元の血溜まりを避けもせずに、転がる屍にも目もくれずに。 その様を横目で睨みながら、もまた、己が剣を握り直し、ふらふらとその場に立ち上がった。 「嫌よ。私、まだ『私』のままで居たいもの」 呼吸を整えるべく深く息を吸い込むと、漂う血臭までもが胸に入り込む。 その感覚は、決して愉快なものではなかったが、いちいちそんな事に構ってはいられない。 「おや、そうなんですか。それは残念ですねぇ」 男は、ちょうど月明かりを背にして立っているために、その顔は翳ってよくは見えない。が、その声音から察するに、どうやら笑っているらしい。既に何度か見たあの得体の知れない笑みが、の脳裏をかすめてゆく。 それが、心底腹立たしくて。は落ちている物体をつま先で蹴り飛ばすと、眼差しを更に険しくして、 「無駄口ばかり並べ立てる男は、嫌われるわよ。清一色」 が蹴飛ばした、小さな物体――どうやら、麻雀牌らしい――が、ころころと勢い良く地を転がり、止まる。 その表面にはたった一文字、墨で『執』という字が書かれていた。 事の起こりは、三日前に遡る。 |