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 その声に、まず紅孩児を見る。
 続いて、テーブルの前で硬直している女性に視線を向けた。
 高く結い上げた、長い黒髪。均整の取れた、しなやかで女性らしい体躯。
「えーと、この人知り合い?」
「俺の部下だ」
 周囲に聞こえないように、こそこそとやり取りをした後。
「その手にある奴、ここの?」
 は改めて、にっこり笑って尋ねた。
「そこまで飯にこだわるのか、貴様は」
 横で紅孩児がツッコミを入れてくるが、敢えて無視する。
 女性は、慌てて料理をテーブルに置いてから、を見据えた。
 容赦のない、強い瞳。
「あなたには、聞かなければならないことがありそうですね」
「んー、いいよ」
「ならば、出なさい。私とて、無益な殺生は好みません」
 女性の冷ややかな言葉に、はなおもマイペースを崩さなかった。
「じゃ、とりあえず……」
「待て、彼女は……」
「あー、いいのいいの。でも」
 止めに入る紅孩児を片手で制したは、ぴっと指を立てて。
「ご飯終わってからね?」
 ひたすらほがらかに続けると、二人はがっくりと肩を落とした。


「ふいー、お腹いっぱい。ごちそーさまっと」
 満足そうに腹部をさするの後に、紅孩児と先ほどの給仕の女性が続く。
「結局注文した料理を、全部食いきるとはな……」
「ちょっと、見ていて気持ち悪かったです……」
 二人の身もフタもないコメントを受け流す本人は、あくまで楽しそうだ。
「さて、この辺でいいかな。お姉さん?」
 くるりと踵を返して言うと、女性はげんなりした表情を引き締めた。
 真剣な顔つきで頷き、左の手首につけていたブレスレットを外す。
 は、すでに気がついていた。彼女の手首にあったブレスレットが、妖力を制御する力を持っていることに。
 紅孩児と共に、その様を見守る。煙のように妖気が溢れ出し、女性の姿を見る間に隠していく。
 そして。
 姿こそほとんど変わらないが、妖気を漂わせた女妖怪の姿が現れた。
 左肩に浮かぶ、不思議な模様の痣。
 何時の間にか顕現している細い槍を構え、彼女は言った。
「私は、紅孩児様にお仕えする部下の一人、八百鼡と申します」
「あ、ご丁寧にどうも。あたし、 って言います」
 丁寧に頭を下げると、彼女――八百鼡の方も槍を持ちなおして同じように一礼してきた。
「それにしても、何故お前はあの店で働いているのだ?」
「あ、それは……」
 紅孩児の問いに、八百鼡は言いにくそうに口をもごもごさせる。
「あの……三蔵一行を追うのに、旅費が足りなくなって、それで……」
 しばらくして、彼女はわっと泣き伏した。
「申し訳ございません、お財布、落としてしまいました!」
 その光景に、は彼の肩を叩き。
「……律儀な部下持ったね」
「そういう問題なのか?」
 紅孩児のツッコミは、あまり効果はなかった。


「――で、まあ。そういうわけなんだけどね」
 は、事のあらましを大雑把に説明して、八百鼡に笑みを浮かべた。
 手元には、愛煙している煙草――『JOKER』――があったりする。
「そうだったのですか」
 合点がいったのか、八百鼡が大きく頷いた。
「まったく、三蔵一行を追うと嘯いておきながらな。落ちぶれたものだ」
「でもさ、気になったことがあったんだけど」
 紅孩児の方を見て、は言葉を続ける。
「あの術者が言ってた言葉が気になるのよね」
「言葉?」
 八百鼡もの方を見た。
「――『まとめてあの御方にくれてやる』ってね。あたしはともかく、上司になるあんたまで殺す気でいたのかしら」
「たぶん、あの女が吹き込んだのではないか?」
「あの女って?」
「今、俺に三蔵一行を追わせている女狐だ」
 の問いに、紅孩児は忌々しそうに吐き捨てた。
 事がややこしそうなので、これ以上は突っ込まない方がよさそうだ。
 などと、一人で勝手に頷くである。
 ふと、八百鼡の視線が集中していることに気がついて、思わず苦笑いして尋ねた。
「もしかして、珍しい?」
「あ、いえ。そうではないのですが」
 彼女は慌てて否定した。
 たぶん、自分の髪と目の色が気になるのだろう。
「あの、本当に失礼しました」
「いいって、しょーがないよ。これは」
 頭を下げて詫びを言う八百鼡に、は笑って答えた。
 の髪は、深い赤をしていた。瞳の色も同じ。
 これが妖怪たちの間では、何を意味するのか知っていたからだ。
 人間と妖怪の間に生まれた『禁忌の子供』。
 どちらでもない、中途半端な存在。
「こんな髪と目の色してるけど、あたしは気に入ってるからね。だって、かっこいいじゃん?」
 あまりにも、シンプルな理由である。
「らんらんも、かっこいいって言ってくれるしね」
「……らんらん?」
「あたしの義理のおかーさん。本当のおかーさんが妖怪だったらしいんだけど、命がけであたしを生んでくれたから、今はもういない」
 普通、かなり重い話題であるはずなのだが、はあくまでもけろりとした口調で二人の問いに答えた。
「まあ、式鬼遣いにならなくてもいいって親父が言ってたんだけどさ。あたし的には、やっぱりかっこいい事やりたいから修行したわけ。
おかげで一族ではとんでもない力持っちゃって、今はこうやって旅をしながら何でも屋をやってる」
「……強いんですね」
 八百鼡の感嘆した言葉に、軽く肩をすくめた。
「強くはないよ。あたしの力じゃない、影の中で出番を待ってる、皆の力」
「でも、一人で生きることが強いと思います」
 まっすぐを見て、八百鼡は言った。
 本当に、優しい眼差しで。
「ありがと」
 何だか嬉しくて、は小さく言葉を返した。


「――紅孩児様、そろそろ」
「ああ。そうだな」
 八百鼡の声に、紅孩児は頷いてを見た。
「色々と世話になったな、
「こっちこそ。結構楽しかったよ」
 穏やかに笑みを浮かべる彼に、軽いウインクをひとつする。
「また、縁があればお会いできるでしょう」
 穏やかな笑みで告げる八百鼡に、笑みを浮かべて『そうだね』とだけ返した。
「――あ」
 ずっと、疑問に思っていたことが残っていた。
「あのさ。一つだけ質問」
「何だ?」
 紅孩児が顔を上げた。
「あんたたちの言ってる三蔵一行ってさ、面白い奴ら?」
 の問いに二人は顔を見合わせて。
 それから、苦笑いを浮かべながら答えた。
「たぶん、お前と気が合うかもしれないな。奴らも、非常に愉快だ」
「会えるのが楽しみだわ」
 の言葉を最後に、彼らは砂煙に紛れて消えた。

「――さて、行くとしますか」
 また、一人に戻ったけれど、それでも旅は楽しい。
 こうやって、いろんな人と出会えるから。
「ああ、でも」
 はふと考えて、難しそうに頭を掻いた。
「あの時の法師様みたいに、やらしそうな目つきの奴じゃないといいなあ」
 それでもいいか、と、すぐに頭を切り替えて。
「出ておいで、翼鬼」
 は、影に向かって命じた。
 出てきたのは、大きな蝙蝠の羽を持った、大きな鳥形の式鬼。
 ばさり、大きな羽を羽ばたかせるその背中に身軽な動作で飛び乗ると、式鬼の足がふわりと浮き上がる。
「さぁ、行こう!」
 彼女の命に従い、式鬼は青空へと飛び立った。






 おまけ。


「……あーーーーーーーーっっ!!」
「どうした、八百鼡?」
 突然叫んだ声に、驚く様子もなく紅孩児が尋ねた。
「……お給金、貰うの忘れてました」
 目をうるうるさせながら答えた八百鼡に、彼が肩を落としたことは。
 確実に、は知らないだろう。











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