BEAUTY & BEAST― 1 ― 昼過ぎから雨になった。 久しぶりの雨。それに気づいた時にはもう狂ったような土砂降り。 濃く繁った木々の葉は、大粒の雨にうたれて、白い裏をひらめかせている。まるで波間を跳ねる魚のよう。森の中をたよりなく通る小道は、今は小川になって濁った水が流れている。 その流れを逆にたどると、森の中にぽかりと空いた空間に出る。少し高くなった空き地の中心には、小さな家がひっそりと建っていた。 雨と森と身を隠しているような家の中では女が二人、肩を寄せ合いながら、土砂降りの雨を眺めていた。 「翠玉さん、どぉ?彼の様子は」 「ええ・・・雨が降り出してからだいぶ落ちついたみたい」 「よかった。この感じじゃしばらく雨も続きそうだし」 「そう・・・ね」 夕方にはまだ時間があるのだが、灰色の雲と雨とに覆われて家の中は薄暗い。だがどちらも部屋に灯りを灯そうとする素振りはない。 「ねぇ翠玉さん、私おもったンだけど」 「・・・・・・」 「翠玉・・・さん?」 堪えきれなかったすすり泣きが、途切れた会話を埋めていく。 「どうして・・・こんなことに・・・」 は翠玉の震える背中にそっと手を置いた。 「大丈夫、きっと良くなるから」 それが嘘だということは、自身が一番よく知っている。 「ごめんなさい、」 「気にしないで。お手伝いを引き受けたのは私だし、こき使って頂戴な」 「そんな・・・」 笑顔を作ろうとしても作れない翠玉を見るのが辛くて、は窓の外に目をやった。 叩きつけるような雨が、今は望みの綱だ。 無理なことだと分かってはいても、は祈らずにはいられない。少しでも長くこの雨が続くように。太陽がその姿を現すことがないように。 雨と森とが作るこの薄闇の中で、時間が止まってしまえばいいのに、と。 「ね、お茶にしましょうか」 雨に煙る外の景色からむりやり目を離すと、は明るい声で言った。 「ええ」 うつむいて目元を指先でぬぐう翠玉の冷たい手を取って、は椅子に掛けさせた。 背中の辺りまである明るい茶色の髪をなでながら、落ち着かせるように言う。 「待っててね、あったかいのを淹れてくるから」 と、台所に歩きかけたの足が止まった。澄ませた耳に鈴の音が響く。 「、あれ・・・」 翠玉が椅子から立ち上がった。胸の前で両手を組み、怯えた表情で窓の外を見る。 「東のトラップに、なにかかかったみたいね」 は唇をかたく結ぶと、部屋の壁にかかった数本の紐に、さっと目を走らせた。 天井を伝って家の外に繋がっている紐には、それぞれ大きさの違う鈴が幾つもついている。今その紐の一本がゆれ、警戒音をたてていた。 「翠玉さん、あなたは彼のそばに行って」 「は?」 「なにか来るかもしれないからここに」 「気をつけてね」 翠玉が二階に登っていったのを確かめると、は家の出入り口を固く閉ざしてカギをかけた。扉の小さなのぞき窓から、外の様子を覗う。 誰が、いや何が来たのだろう。 森の東側は村へと続いている。だからはとくに念を入れてトラップを仕掛けておいた。 トラップに何かがかかったことを知らせる鈴は、次から次へと鳴り続ける。破られたトラップが一つで終わらなかった、ということは、何者かがこちらに向かっているということだ。森に仕掛けた数々の強力なトラップを突破して。 人間、ではないかもしれない。 は唇をかみ締めた。この家に向かっているのが、妖怪、怪物の類であれば自分にはあの二人を守る力はない。森に仕掛けたトラップと抜け道の位置を思い返し、用意しておいた逃走路を頭の中でたどる。しかし自分一人で翠玉と彼女の夫を逃がすことができるだろうか。 ―・・・が居てくれたら・・・― ふっと思い出した人のことを、軽く頭をふって追い出す。今ここで出会うわけにはいかない。紅い髪と瞳を持つ彼には。 自分の思いに沈みかけていたは、はっと顔をあげた。白く煙る雨の向こうに人影が現れた。それは森から飛び出すと、まっすぐにこちらに走ってくる。 「嘘・・・でしょ」 自分が上げた声にも気づかず、は小さなのぞき窓から食い入るように外の様子を見つめた。 人影は四つ。その中の一つに、の目は釘付けになる。雨にぬれてひときわ鮮やかな紅い髪。 「悟浄・・・」 息を詰めたの目の前で、扉が激しく打たれて内側にしなる。必死に押しとどめてきた時の流れが決壊し、奔流となって打ち付けるかのように。 「あ・・・」 勢いに気おされては一歩ドアから後ずさった。 今にも破られそうにしなる扉の外では、聞き覚えのある声が張り上げられる。 「すみません。どなたかいらっしゃいませんか」 「誰かいねぇの 腹へったよー」 「鍵がかかってるぜ。留守なんじゃねーの」 「どけ」 不機嫌極まりない低い声に続いて、鈍い金属音が扉の向こうで不吉に響く。あれは銃の撃鉄の音。 ―きゃぁーーーっ― 鍵を銃で撃ち抜かれてはたまらない。が飛びついて鍵を開けると、扉は待ちかねたように勢いよく開いた。 「おー、開いた開いたって・・・・じゃねーの。なんでここに居んの」 「そ・れ・は、こっ・ち・の、セ・リ・フ」 怒りで息が詰まらせながらそう言うと、は悟浄を睨みつけた。 「何しに来たのよ」 「何って、しょうがねぇだろ。ジープが怪我しちまったんだからよ」 「ジープが?」 くいっと悟浄が親指をそらす先には、八戒に抱かれて丸くなるジープがいた。折りたたまれた白い翼は引き裂かれたように破れ、血が流れている。 「どうしたの?ひどい怪我」 「森の中を走っていたら、木の上からいきなり槍が降ってきたんです」 言われては絶句した。では最初にトラップにかかったのは、ジープだったのか。 言われてみれば悟浄たちの服はあちこち破れているし、顔や腕にも血が滲んでいる。 生傷が絶えない彼らのことだから気にもとめなかったが。 なるほど彼らが相手では、あのトラップが突破されるのも無理はない。 「ご迷惑でしょうが、ジープの怪我が治るまで・・・」 「だめ」 八戒の言葉を最後まで待たずに、ははね付けた。 「悪いけど出て行って。森の向こうに村があったでしょ、そこで泊めてもらって頂戴」 「おいおい、この土砂降りんなか追い出そうってのか?そりゃねーだろ、」 馴れ馴れしげに肩に掛けてきた悟浄の腕を払いながら、は堅い姿勢をくずさない。 「ここには私も泊めてもらってる身だし、これ以上ワケのわかンない人間を泊められないの」 「俺達がいると困るのか」 低い声で三蔵に問われてからが答えるまでに、一拍の間があった。 「病人がいるの」 「病人?」 「そう、だからあなた達の面倒も見られないし、騒がしくされると困るの。だから泊められない」 「大人しくしてるって」 「無理でしょ、悟浄。いいから出てって頂戴」 はずぶ濡れの四人を雨の中へと追い立てた。八戒の腕の中でジープが苦しそうに鳴く。それに耳をふさいでいたの耳は、階段を降りてくる静かな足音を聞き逃した。 「、誰がきているの?」 「なンでもない。翠玉さん、あなたは来なくて・・・い」 が慌ててふり向いた時にはもう遅く、翠玉はすでに階段の下にいた。翠玉の琥珀色の瞳が四人の間をさまよう。悟空と八戒の上を流れた視線は、悟浄で釘付けになった。不思議そうに見開かれた目が、悟浄の全身を視る。やがてゆっくりとそこから離れた視線が三蔵で止まる。 白い僧衣。肩に掛けた経文。額に浮かぶ深紅のチャクラ。 「あの・・・貴方はまさか、三蔵法師・・・様?」 「違うわよ」 縋るような翠玉の問いを、はきっぱりと否定した。 「いぃ?この人は、あなたが思っているような、ちゃンとした真面目な普通の三蔵法師じゃないの。だから無理」 噛んで含めるように翠玉に言い聞かせる。そのの後頭部でハリセンが高らかに鳴った。 「俺は玄奘三蔵だ」 「〜〜〜〜っ」 頭を抱えてその場にうずくまったの上で、会話は進んでいく。 「すまんがしばらく宿を借りたい」 「え、あの・・・本当に三蔵法師様?」 「だったら何だ」 翠玉の視線が四人の間を迷いながら浮遊する。これがただの旅人なら迷わず断るだろう。だが今目の前にいるのは最高僧である三蔵法師と、その従者らしき三人。 望みを託すように小さく頷いて翠玉は言った。 「どうぞ、泊まっていって下さい」 「翠玉さん!」 床からが飛び上がる。 「本気?こンな人たちを泊めるなンて」 「こんな人達かよ、俺ら」 ぼやく悟浄には構わず、は翠玉の肩を掴んだ。翠玉は胸の前で両手をよじり合わせる。 「だって、三蔵法師様なんでしょう?それに」 翠玉は琥珀色の眼をふせながら、小さく言った。 「あの人が目を覚ました時に・・・誰かにいてもらった方が」 「翠玉さん!」 「もう決めたの」 小さな、だが奇妙に強い声だった。 「何を期待しているのかは知らんが、俺達は先を急ぐ。雨が止んだら出て行く」 突き放すような三蔵の後に、八戒が続く。 「お願いします。それまでにはジープの怪我も治ると思いますし」 「ええ」 翠玉はの腕を肩から外すと、歩き出した。 「ひょー、助かったぜ」 「こちらにどうぞ」 翠玉は突然の来訪者達を家の奥へ案内していく。その後ろ姿をは唇を噛んで見送った。 |