― 2 ― 四人が通されたのは、一階の奥の部屋だった。 「ベッドは二つしかありませんけど」 「構わん」 タオルと着替えを渡すと翠玉は部屋から出て行った。四人はずぶ濡れになった服をてんでに脱いで、タオルで体を拭いていく。 「助かったぜ。この雨ん中で野宿はできねえしな」 「あの翠玉という女性、ずっと悟浄を見ていましたね」 曇った単眼鏡をふきながら、八戒が言う。 「やっぱりー?もてる男は辛いね」 裸の上半身にタオルをひっかけて、ズボンだけをはいた格好で悟浄はベッドに腰をおろした。 「ふん、相変わらずてめぇに都合のいいことしか見ねぇ奴だな」 三蔵は一脚しかない椅子に当然のように腰をおろした。濡れた経文を八戒が皺を伸ばしながらハンガーにかけているのを横目で見ながらマルボロに火を点ける。 「なに、三蔵様ヤいてんのー?」 尻ポケットからハイライトを取り出すと、悟浄はそれを咥えた。ライターを探すが見つからない。 「馬鹿が。あの女が見ていたのは、てめぇの頭だ」 煙とセリフが同時に吐き出される。 ベッドの上ではジープがぐったりと横たわっていた。折りたたむこともできずに、だらりと広げたままの白い翼には血が滲んでいる。そんなジープの様子をじっと見守っていた悟空が頭をあげた。 「何で?悟浄の頭ってそんなに珍しいの?」 「確かに、あれだけ役に立たねぇ頭も珍しいな」 「ふーん」 「そこで納得すんじゃねぇよ、この猿が!」 「猿って言うな! エロ河童」 ベッドの上で手加減抜きのじゃれあいが始まる。その二人にひんやりと優しい声が浴びせられた。 「ジープの治療の邪魔です」 「はーい」 二人は大人しくベッドから退却した。八戒は広くなったベッドに腰をおろすと、ジープの傷口に左手をかざした。軽く目を閉じ、呼吸を整えていく。下腹から静かに息を吐き、吐き切ったところで細く深く息を吸う、その過程で少しずつ体内で気を練り上げていく。最後に細く息を吐きながら八戒はかざした掌からジープに気を送り込んだ。 温かい陽射しをあびているように、ジープがのどを鳴らす。 八戒の気によって回復力を高められたジープの翼は、少しずつ傷を癒していった。裂かれた皮膜はあらたな皮膚を再生し、折れた翼は頼りなくだが羽ばたく力を蓄え始める。 と、八戒の呼吸が乱れた。ジープに向けた左手が、わずかに震えだす。 「そのへんでやめとけ」 静かに言って八戒の手を掴んだのは悟浄だった。 「お前まで倒れたら、洒落にならねえだろうが」 「無理するつもりはなかったんですが」 八戒は苦笑しながら悟浄の手をはずした。掴まれたあたりを痛むようにさする。 「思ったよりジープの傷が深くて」 ジープは龍なのだ。 それも見た目どおりの小さな龍ではない。車、文字通りジープに変身して三蔵たち四人を乗せて走ることができる。牛魔王の追っ手と戦いながら、砂漠や荒野を越える旅をするだけの体力は備えている。その怪我となれば見かけ通りではないし、治すとなれば生半可な気を送り込むだけでは済まない。 自分の気を相手に送り込む内気の使い手である八戒には、負担が大きかったのだろう。 「ジープ、続きは明日にさせてくださいね」 ジープはきゅるきゅると喉の奥でうなって目を閉じる。いくぶん楽そうになったのを見届けて、八戒はうっすら汗ばんだ額をぬぐった。 「いーんじゃねーの。どっちにしろこの雨が止むまでココに足止めだ」 悟浄は火の点いていないハイライトを指の間で玩ぶ。 「よかったなー、ジープ」 傷に触らないように、悟空がジープのたてがみをそっと撫でた。 窓の外は灰色の紗を一枚ずつ重ねていくように、ゆっくりと暗さを増していく。もう今は森も雨も見えない。ただ窓や壁に際限なく打ちつけてくる風と雨の音だけが、外の荒天を伝える。 部屋に明かりを灯したのは八戒だった。部屋の中が明るくなった分、外の暗さは濃くなった気がする。窓の向こう、見えない景色に四人が目を向けていると、ためらいがちに扉がノックされた。 「はい」 八戒が扉を開けると外にはが立っていた。 「ジープの傷はどう?」 「ええ、今手当てをしていたところです」 「入ってもいい?」 「どうぞ」 部屋に入ったは、まっすぐにジープが横たわるベッドにと向かった。そっと翼の下に手をいれて、傷の様子をあらためる。 「傷は塞がったみたいね」 「ええ、いま気を送って治療したところです」 「そう」 は袂をさぐって薄紫色の香玉を差し出した。 「これジープに。枕もとに置くとよく眠れるから」 「ありがとうございます」 はしばらくジープの様子をすまなそうに見守っていたが、やがてくるりと悟浄に向き直った。 「翠玉さんがいいって言ったからしょうがないけど。二階には上がらないで頂戴ね」 「なんで」 「翠玉さんと旦那サマの部屋だから」 「んだよ。相手いるのか」 悟浄は手にしたハイライトを吸いかけてやめた。まだ長いそれを、灰皿に押しこんでもみ消す。 「じゃあ病人というのは、その人のことですか」 は八戒の問いに頷いた。 「そう。だから静かにして頂戴ね」 「なんの病気だ」 「それは・・・」 口ごもるに向かって、三蔵は突き放すように続ける。 「ムシのいいことを考えるなよ」 「それは期待していませんもの。ただ雨があがったら出て行ってくださいな」 それだけ言うと、は部屋の扉に向かった。それを追って悟浄が立ち上がる。 「で、あんたの部屋はどこなんだよ、」 「台所のすぐ横。でも駄ぁ目」 は人差し指を悟浄の鼻先に突きつけてゆっくりと言う。 「ここには私、お仕事で来てるンだから」 「仕事ぉ?なんの」 「翠玉さんのご家族に頼まれてね、病人の世話とか色々」 「へぇ」 言いながら二人は廊下に出た。部屋の扉を後ろ手に閉じれば、薄暗がりが二人を包みこむ。 「冷てぇの、久しぶりに会ったってのに」 「しょうがないでしょ、まだ片付けるものもあるし」 「ちょっとだけ」 悟浄は早足で歩くの腕をつかむと、その身体を壁に押し付けた。逃げ道を塞いでからゆっくりと唇をあわせていく。 「待っ・・・んっ」 頤に指をかけて、頑なに閉じようとする唇を開かせる。滑り込ませた舌にふれるの中は、どこも柔らかく温かい。閉じ込めるように抱いた腕の中で、の身体からゆっくりと力が抜けていくのが分かる。 「すっげぇ、会いたかった」 首筋から開いた襟元に唇を這わせれば、触れたところから張りつめていたの肌がとろけていく。 「嘘・・・ばっかり」 ささやく声が耳に絡みつく。と、の身体が不意にこわばった。悟浄の頭を両手でもぎ離すと、あわてて乱れた衿や裾を整える。 「なんだよ、イキナリ」 盛り上がってきた心と体に水をさされて、悟浄はの視線の先を探った。ほの暗い階段の上から、じっとこちらを見ている琥珀色の瞳。白い影のように立っていたのは翠玉だった。 「悪ィ」 決まり悪げに体を離し、悟浄は部屋に戻りかける。それを翠玉の声が呼び止めた。 「その髪、染めているの?」 「いーや、100%天然よ」 階段の上を振り仰いで悟浄は軽く答える。 「そう・・・」 あっさりと興味を無くしたように、翠玉は階段を降りると台所へと向った。悟浄との間にきまずい空気が流れる。 「じゃ、私、夕食の支度があるから」 「あぁ、じゃまたな」 しかし夕食の席には現れなかった。 |