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悟浄達に手を借りて、は翠玉と慶陽を元の家に連れ帰った。
と八戒が二人の手当てをしている間、悟浄と悟空が壊れた慶陽の寝室を直していく。
治療と修理が終わったところで、五人はキッチンに集まった。椅子に座って、が淹れたコーヒーを口にする。

「いい香りですね」
「俺、ミルクと砂糖入りー」
「これだからお子様は。コーヒーはブラックに決まってんだろ」

なごんだ空気の中で、三蔵はに銃を突きつけた。

「貴様、何者だ」
「歌って踊れる香玉売り」
「とぼけてんじゃねぇ」
「おいッ、三蔵っ」

止める悟浄には耳も貸さない。

「なぜ俺達の旅の理由を知っている」
「お寺には香のお得意サマも多いから、その筋から色々と。それに・・・」

はカップをテーブルに置いた。唇の両端がほんのりと持ち上がる。

「ベッドで男の口が緩くなるのは、聖俗問わないみたいですね」

冷たい銃口がのおとがいを持ち上げる。

「よっぽど殺されてぇらしいな」
「とぉんでもありません。愛し合う恋人達の幸せを祈っているだけですもの」

ののほほんとした口調は変わらない。ただ両手で包み込んだカップが震えてコーヒーが波立つ。

「夢を見させて人助けのつもりか。反吐が出るな」
「信じるものが欲しいのは、弱者の悲しい性ですわ」
「てめぇが何を企もうと関係ねえがな。俺が西に向かうのは、三仏神の命令だからだ。勝手に宗教作ってるんじゃねえ」
「あの人たちは、もう神も仏も信じてませン。けれど・・・」

すっとの顔から笑みがひく。

「せめて人間ぐらいは、信じさせてあげて下さいな」

三蔵の白い額に浮かび上がるチャクラが、一瞬その赤さを増したように見えた。
やがて三蔵は軽く舌打ちすると、銃を納めた。
それまで黙って話を聞いていた悟空が声を上げる。

「じゃあ翠玉には黙ってるのか?慶陽が半分妖怪だってこと」
「いけない?」
「おかしいじゃん。本当に好きなら関係ないだろ、妖怪だって人間だって」
「翠玉さんのお母さんと妹さんはね、半年前に妖怪に殺されたの」
「けど・・・っ」

悟空は歯を食いしばって俯いた。
妖怪と人間との間の溝は日増しに深まっている。その溝を軽々と飛び越えられる者もいるが、立ちすくんでしまう者もいる。

「あとは翠玉さん達の問題ですね。僕らがどうこう言えることじゃありません」

八戒はカップを傾けてコーヒーを飲み干した。

「美味しいコーヒーをご馳走様でした。さん」
「どういたしまして」
「行くぞ」

三蔵、悟空、八戒は立ち上がって扉に向かった。

「悟浄?」

扉に手をかけたところで八戒が振り返り、悟浄に目で問い掛ける。

「悪ィ、さき行ってて」
「ジープのエンジンは、かけておきますから」

三人が出て行った後、キッチンには悟浄とが取り残された。
悟浄は咥えた煙草に火を点けた。一息深く飲みこむと、少しから顔をそむけて煙を吐きだす。煙草の先が一瞬赤く輝き、やがて白い灰になって崩れ落ちる。

「いつから知ってた?」
「最初っから」
「ふーん」

悟浄の吐いた煙の粒が透明になって、空気に混じりこんでいく。
が呼吸する。
悟浄が呼吸する。
沈黙の重さに耐えられなくなったのはが先だった。

「昔ね、知り合いが言ってたの。妖怪と人間の血が混じると、紅い髪と目を持った子供が産まれるんだよって」
「知り合い?」
「カラスの先生って、呼ばれてたけどね」

は頬杖をつき、テーブルの木目を目でたどった。丸い節目と年輪の曲線が歪んだ人の顔になる。

「あの慶陽って奴は、どうなんの?」

―大丈夫だから・・・―

そう言いかけたを悟浄が遮る。

「マジな話」

その声がとても静かだったので、はもう嘘はつかなくてもいいような気がした。

「もってあと一ヶ月ぐらいかしらね」
「やっぱ、そんなもんか」
「完全に妖怪化して暴走しちゃったから、もう人間の部分がついていけないし・・・」

軽自動車の車体にレース仕様のエンジンを積んで、思い切りアクセルを踏んだようなものだ。バランスを崩した体は、一瞬の爆発の後、内側から崩壊していくしかない。

「あんたは妖怪化しないように、あいつを抑えてたってワケだ」
「役に立たなかったけどねぇ」

苦い笑いがこみ上げてくる。
結局自分はここで何をしたのだろう。
観察対象の暴走を防げず、三蔵一行に疑いを持たれ、目の前の彼に残酷な運命を思い知らせて。

「何回ぐらいまでならいいの?暴走って」
「それは・・・分からない」

顔が上げられない。悟浄の顔が見られない。
迷路のような木目を視線でなぞりつづける。

「なるべく・・・西から離れて・・・毎日ちゃんと薬を飲んで・・・静かに暮らせば・・・・・・・」

妖怪化しなくて済むかも知れない。暴走しないでいられるかも知れない。少しでも長く生き長らえることができるかもしれない。

「それ、無理」
「でしょうね」

エゴと身勝手を煮詰めて我が儘をふりかけたような願いに、付き合う義理は誰にもない。
俯いた視界の端で、悟浄の指が灰皿に煙草を押しつけるのが見えた。

「しねぇよ」
「なにを」
「暴走」

は思わず顔を上げた。

「どうやって」
「なんつーか、こう・・・気合で」

馬鹿だ。
言い切る方も信じたがる方も。

「はいはい」
「ひでぇな。自信あんだぜ」

軽くて甘くて皮肉な笑顔。
全てを知っても、こんな風に笑いかけてくれるのだろうか。

「いい女をなかすのは、ベッドん中だけって決めてるし、俺」
「ないてなンかあげないわよ」

泣かない。
あなたが暴走しないなら。
あなたがそれを望むなら。

「上等」

どちらからともなく合わせた唇からは、ハイライトの匂いがした。

「じゃあね」
「ああ」
「三蔵様と、八戒さんと、悟空くんに・・・ごめンなさいって・・・言っといて頂戴な」
「気にするようなタマじゃねーよ。あいつらは」

軽く手を振って悟浄は出て行った。玄関のドアが閉まる音がする。タイヤが地面をこする音がしたかと思うと、エンジン音が響き、やがてそれも遠ざかっていった。
部屋にはと五つのカップが残された。
砂糖とミルクを入れた悟空のカップには、まだ半分コーヒーが残っている。ブラックのコーヒーは二つ。空になっているのは八戒、底に少し残っているのは三蔵のカップ。
悟浄とのカップは手付かずのままだった。



数日後。森の中の家に訪問者があった。

「お久しぶりです、氾さん」
「どうですかな、娘と慶陽の具合は」
「慶陽さんの具合が良くないンです。それでご相談が・・・」
「なにか?」
「いい療養所を知っているンですが、お二人をしばらくそちらに移してみてはいかがでしょう?」

氾はあごに手をやって何かを考えるようだった。

「景色のいいところですから、翠玉さんの気も晴れると思うンですけど。私がついていっても構いませンし・・・」

片手を上げてを制すると、氾は確認するように言った。

「その前に、お願いしてあった件は?」
「ああ、慶陽さんは妖怪じゃありませンでした」
「確かですな?」
「はい」

きっぱりとしたの答えに、氾は深く頷いた。

「では頼みます。誰も知る者がいない土地の方が、娘も慶陽も楽になろう」
「今日は翠玉さんには?」
「いや、儂の顔は見せんほうがいい」

氾は窓際に飾られた写真を、目を細めて見た。写真の中の若い二人は幸せそうに笑っている。

「もう儂には翠玉しか残されておらん。早く元気になって孫の顔を見せてくれたら・・・」

つぶやく氾には黙って香茶を差し出した。



その夜、寝静まった家の中では通信機に向かった。

「観察対象の最終的な妖怪化と暴走を確認しました。・・・ええかなり衰弱しています。それで収容と保護をお願いしたいンですが、同伴者一名も一緒に・・・はい、ありがとうございます」

通信機から流れ出る雑音混じりの返事に耳を澄まし、手元のメモをちらりと見る。

「いえ、禁忌の子が妖怪化するきっかけは、個々の要因にバラつきがありすぎて、特定はまだ不可能です。もう少し症例が揃いませンと。そうですね、観察は続けた方がいいと思いますが・・・」

口調は次第に歯切れが悪くなっていく。

「あの・・・まだ私が?・・・いえ、それは分かっていますけど・・・今回の件で三蔵一行にも不信感を抱かれたと思いますし・・・」

のためらいを遮るように、通信機から声が流れる。

「・・・・・・が禁断の汚・・・に手を・・・・・・・・・知られたら、君はどうするつもりかね?」

の片方の眉が、ぴくりと上がった。

「それは彼に無天経文を授けた人に言ってくださいな」

返事を待たずにスイッチを切る。
静けさがひたひたと部屋に満ちていく。
窓から射し込む月の光には、明るさはあっても暖かさはない。夜の底では自分でも気づかない内に小声で口ずさんでいた。

「人の体はキメラの望み
 無事を祈るは巫女の姫
 香玉 香玉 香玉はいかが」

―近いうちに、また会うことになりそうねぇ。悟浄―

「香玉は・・・」

奥の寝室では一つの夢を分けあって、翠玉と慶陽が眠っている。その束の間の安息を破らぬようにと、はそっと口を閉ざした。
月の光はどこまでも青くて、信じてみてもいいような気がしてくる。
おとぎ話もどこかの馬鹿も。


『そして二人はいつまでもいつまでも、幸せに暮らしました』







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