― 10 ― 悟浄達に手を借りて、は翠玉と慶陽を元の家に連れ帰った。 と八戒が二人の手当てをしている間、悟浄と悟空が壊れた慶陽の寝室を直していく。 治療と修理が終わったところで、五人はキッチンに集まった。椅子に座って、が淹れたコーヒーを口にする。 「いい香りですね」 「俺、ミルクと砂糖入りー」 「これだからお子様は。コーヒーはブラックに決まってんだろ」 なごんだ空気の中で、三蔵はに銃を突きつけた。 「貴様、何者だ」 「歌って踊れる香玉売り」 「とぼけてんじゃねぇ」 「おいッ、三蔵っ」 止める悟浄には耳も貸さない。 「なぜ俺達の旅の理由を知っている」 「お寺には香のお得意サマも多いから、その筋から色々と。それに・・・」 はカップをテーブルに置いた。唇の両端がほんのりと持ち上がる。 「ベッドで男の口が緩くなるのは、聖俗問わないみたいですね」 冷たい銃口がのおとがいを持ち上げる。 「よっぽど殺されてぇらしいな」 「とぉんでもありません。愛し合う恋人達の幸せを祈っているだけですもの」 ののほほんとした口調は変わらない。ただ両手で包み込んだカップが震えてコーヒーが波立つ。 「夢を見させて人助けのつもりか。反吐が出るな」 「信じるものが欲しいのは、弱者の悲しい性ですわ」 「てめぇが何を企もうと関係ねえがな。俺が西に向かうのは、三仏神の命令だからだ。勝手に宗教作ってるんじゃねえ」 「あの人たちは、もう神も仏も信じてませン。けれど・・・」 すっとの顔から笑みがひく。 「せめて人間ぐらいは、信じさせてあげて下さいな」 三蔵の白い額に浮かび上がるチャクラが、一瞬その赤さを増したように見えた。 やがて三蔵は軽く舌打ちすると、銃を納めた。 それまで黙って話を聞いていた悟空が声を上げる。 「じゃあ翠玉には黙ってるのか?慶陽が半分妖怪だってこと」 「いけない?」 「おかしいじゃん。本当に好きなら関係ないだろ、妖怪だって人間だって」 「翠玉さんのお母さんと妹さんはね、半年前に妖怪に殺されたの」 「けど・・・っ」 悟空は歯を食いしばって俯いた。 妖怪と人間との間の溝は日増しに深まっている。その溝を軽々と飛び越えられる者もいるが、立ちすくんでしまう者もいる。 「あとは翠玉さん達の問題ですね。僕らがどうこう言えることじゃありません」 八戒はカップを傾けてコーヒーを飲み干した。 「美味しいコーヒーをご馳走様でした。さん」 「どういたしまして」 「行くぞ」 三蔵、悟空、八戒は立ち上がって扉に向かった。 「悟浄?」 扉に手をかけたところで八戒が振り返り、悟浄に目で問い掛ける。 「悪ィ、さき行ってて」 「ジープのエンジンは、かけておきますから」 三人が出て行った後、キッチンには悟浄とが取り残された。 悟浄は咥えた煙草に火を点けた。一息深く飲みこむと、少しから顔をそむけて煙を吐きだす。煙草の先が一瞬赤く輝き、やがて白い灰になって崩れ落ちる。 「いつから知ってた?」 「最初っから」 「ふーん」 悟浄の吐いた煙の粒が透明になって、空気に混じりこんでいく。 が呼吸する。 悟浄が呼吸する。 沈黙の重さに耐えられなくなったのはが先だった。 「昔ね、知り合いが言ってたの。妖怪と人間の血が混じると、紅い髪と目を持った子供が産まれるんだよって」 「知り合い?」 「カラスの先生って、呼ばれてたけどね」 は頬杖をつき、テーブルの木目を目でたどった。丸い節目と年輪の曲線が歪んだ人の顔になる。 「あの慶陽って奴は、どうなんの?」 ―大丈夫だから・・・― そう言いかけたを悟浄が遮る。 「マジな話」 その声がとても静かだったので、はもう嘘はつかなくてもいいような気がした。 「もってあと一ヶ月ぐらいかしらね」 「やっぱ、そんなもんか」 「完全に妖怪化して暴走しちゃったから、もう人間の部分がついていけないし・・・」 軽自動車の車体にレース仕様のエンジンを積んで、思い切りアクセルを踏んだようなものだ。バランスを崩した体は、一瞬の爆発の後、内側から崩壊していくしかない。 「あんたは妖怪化しないように、あいつを抑えてたってワケだ」 「役に立たなかったけどねぇ」 苦い笑いがこみ上げてくる。 結局自分はここで何をしたのだろう。 観察対象の暴走を防げず、三蔵一行に疑いを持たれ、目の前の彼に残酷な運命を思い知らせて。 「何回ぐらいまでならいいの?暴走って」 「それは・・・分からない」 顔が上げられない。悟浄の顔が見られない。 迷路のような木目を視線でなぞりつづける。 「なるべく・・・西から離れて・・・毎日ちゃんと薬を飲んで・・・静かに暮らせば・・・・・・・」 妖怪化しなくて済むかも知れない。暴走しないでいられるかも知れない。少しでも長く生き長らえることができるかもしれない。 「それ、無理」 「でしょうね」 エゴと身勝手を煮詰めて我が儘をふりかけたような願いに、付き合う義理は誰にもない。 俯いた視界の端で、悟浄の指が灰皿に煙草を押しつけるのが見えた。 「しねぇよ」 「なにを」 「暴走」 は思わず顔を上げた。 「どうやって」 「なんつーか、こう・・・気合で」 馬鹿だ。 言い切る方も信じたがる方も。 「はいはい」 「ひでぇな。自信あんだぜ」 軽くて甘くて皮肉な笑顔。 全てを知っても、こんな風に笑いかけてくれるのだろうか。 「いい女をなかすのは、ベッドん中だけって決めてるし、俺」 「ないてなンかあげないわよ」 泣かない。 あなたが暴走しないなら。 あなたがそれを望むなら。 「上等」 どちらからともなく合わせた唇からは、ハイライトの匂いがした。 「じゃあね」 「ああ」 「三蔵様と、八戒さんと、悟空くんに・・・ごめンなさいって・・・言っといて頂戴な」 「気にするようなタマじゃねーよ。あいつらは」 軽く手を振って悟浄は出て行った。玄関のドアが閉まる音がする。タイヤが地面をこする音がしたかと思うと、エンジン音が響き、やがてそれも遠ざかっていった。 部屋にはと五つのカップが残された。 砂糖とミルクを入れた悟空のカップには、まだ半分コーヒーが残っている。ブラックのコーヒーは二つ。空になっているのは八戒、底に少し残っているのは三蔵のカップ。 悟浄とのカップは手付かずのままだった。 数日後。森の中の家に訪問者があった。 「お久しぶりです、氾さん」 「どうですかな、娘と慶陽の具合は」 「慶陽さんの具合が良くないンです。それでご相談が・・・」 「なにか?」 「いい療養所を知っているンですが、お二人をしばらくそちらに移してみてはいかがでしょう?」 氾はあごに手をやって何かを考えるようだった。 「景色のいいところですから、翠玉さんの気も晴れると思うンですけど。私がついていっても構いませンし・・・」 片手を上げてを制すると、氾は確認するように言った。 「その前に、お願いしてあった件は?」 「ああ、慶陽さんは妖怪じゃありませンでした」 「確かですな?」 「はい」 きっぱりとしたの答えに、氾は深く頷いた。 「では頼みます。誰も知る者がいない土地の方が、娘も慶陽も楽になろう」 「今日は翠玉さんには?」 「いや、儂の顔は見せんほうがいい」 氾は窓際に飾られた写真を、目を細めて見た。写真の中の若い二人は幸せそうに笑っている。 「もう儂には翠玉しか残されておらん。早く元気になって孫の顔を見せてくれたら・・・」 つぶやく氾には黙って香茶を差し出した。 その夜、寝静まった家の中では通信機に向かった。 「観察対象の最終的な妖怪化と暴走を確認しました。・・・ええかなり衰弱しています。それで収容と保護をお願いしたいンですが、同伴者一名も一緒に・・・はい、ありがとうございます」 通信機から流れ出る雑音混じりの返事に耳を澄まし、手元のメモをちらりと見る。 「いえ、禁忌の子が妖怪化するきっかけは、個々の要因にバラつきがありすぎて、特定はまだ不可能です。もう少し症例が揃いませンと。そうですね、観察は続けた方がいいと思いますが・・・」 口調は次第に歯切れが悪くなっていく。 「あの・・・まだ私が?・・・いえ、それは分かっていますけど・・・今回の件で三蔵一行にも不信感を抱かれたと思いますし・・・」 のためらいを遮るように、通信機から声が流れる。 「・・・・・・が禁断の汚・・・に手を・・・・・・・・・知られたら、君はどうするつもりかね?」 の片方の眉が、ぴくりと上がった。 「それは彼に無天経文を授けた人に言ってくださいな」 返事を待たずにスイッチを切る。 静けさがひたひたと部屋に満ちていく。 窓から射し込む月の光には、明るさはあっても暖かさはない。夜の底では自分でも気づかない内に小声で口ずさんでいた。 「人の体はキメラの望み 無事を祈るは巫女の姫 香玉 香玉 香玉はいかが」 ―近いうちに、また会うことになりそうねぇ。悟浄― 「香玉は・・・」 奥の寝室では一つの夢を分けあって、翠玉と慶陽が眠っている。その束の間の安息を破らぬようにと、はそっと口を閉ざした。 月の光はどこまでも青くて、信じてみてもいいような気がしてくる。 おとぎ話もどこかの馬鹿も。 『そして二人はいつまでもいつまでも、幸せに暮らしました』 |