「お、おお……」
祠の影から村長が立ち上がった。よろめく足を踏みしめながら地面に横たわる屍を食い
入るように見る。やがて大きく息を吐くと、三蔵達に向かって深々と頭をたれた。
「ありがとうござ……」
「礼を言われる筋合いはない」
村長の感謝の言葉を三蔵がさえぎる。
「あなた方はさんを、この妖怪達に渡そうとしたんですね。祭りに歌ってほしいとよ
びよせて」
冷ややかな八戒の視線を、村長は正面から受け止めた。
「そうじゃ」
「てめェらさえ良かったら、それでいいってのかよ!」
村長の胸ぐらを悟浄がつかんで揺さぶる。
「旅のあんた方には分かるまい」
「んだとぉ」
怒鳴る悟浄を真っ直ぐに見据えながら村長は言った。
「半年前、妖怪達がこの化物をつれてやってきた……」
始めは二ヶ月に一度食べ物を要求するぐらいだった。その回数は徐々に増えてゆき、
要求はエスカレートしていった。酒、そして村の女。
断れば妖怪たちは化物をけしかけて、村中を暴れまわった。家々を焼き、畑を荒らし。
そしてそれに対抗できる術を、村の人間達は持っていなかった。
「助けとか呼べばよかったじゃん」
悟空の言葉に村長は首を振った。
「こんな山奥の村に、役人も来てはくれんかった」
山道を越えて助けを呼びに行ったものは、途中で妖怪達に見つかり、冷たい躯となって
村に晒された。運良く街に辿り着いても、山奥の小さな村の為にわざわざ出向こうという
ものはいなかった。
「それでも儂らは代々暮らしてきたこの村から、離れることはできんかった……」
白髪の老人は疲れたように言葉を吐き出す。
「旅の人には分からんよ。ましてこれほど強いあんた方にはな」
「だからって、関係ないこいつを巻き込んでもいいってのかよ。えぇ!?」
悟浄がいっそう激しく村長を揺さぶる。その腕を青い衣装をまとったがそっと抑え
た。
「もういいでしょう、悟浄」
「あんたは、こいつらに利用されたんだぞ」
「まぁ、それはそうなンだけど……」
は着ていた服の袂を、村長に見せて問いかけた。銀糸の刺繍をほどこした青い服
は、には少しだけ小さい。
「これは、お孫さんの服でしたの? 」
村長の目元に不意に光るものが浮かんだ。顔に刻まれた深い皺にそって涙がこぼれ
る。
「優しい……子……じゃった」
は悟浄を見上げて言う。
「悟浄ありがとう。でももう放してあげて頂戴」
力をゆるめた悟浄の腕から、はそっと村長を解放した。
「私は歌ってくれと言われて来たの。そして歌っただけ。それでいいじゃない」
「あなたはもう少しで……」
言いかける八戒には、ぴんと立てた人差し指を軽く振ってみせる。
「でも皆さンのおかげで無事だったから」
そしては衣装の裾を軽くつまむと、三蔵達に向かって深く礼をとった。
「ありがとうございました。本当に」
「本人がいいというなら、俺達が口を挟むことではない」
そう言うと三蔵はくるりと向きを変えて、すたすたと歩き出した。
「行くぞ」
「あ、うん」
悟空が後を追う。
「悟浄、どうします?」
「悪りィ。ちっと待ってくれ」
少し離れて待つ八戒を気にしながら、悟浄はと向き合った。
「ありがと悟浄。会えて嬉しかったわ」
「一人旅なんだろ。なんだったら次の町まで俺達と……」
「ううん。もう少しやることがあるから」
「やること? 」
それには答えず、はふわりとした笑顔で別れを告げた。
「さよなら。元気でね、悟浄」
「ああ、あんたもな」
次の約束も何もない、あっさりとした別れだった。
悟浄は待っていた八戒とともに、三蔵達を追って歩き出す。
「いいんですか? 」
「何が」
「彼女を一人で置いてきて」
「あー。ま、縁があったらまた会えるでしょ」
悟浄はそう言うと咥えたハイライトに火をつけた。澄んだ森の空気に紫煙が広がる。
「おーい、早くしろよー」
「遅いぞ」
停めておいたジープには、すでに三蔵と悟空が乗り込んでいる。
「へいへい」
「じゃあ行きましょうか」
静寂を取り戻したばかりの森にエンジン音を響かせて、四人を乗せたジープは走り出し
た。
西へ、と。
月明かりの広場には、数々の死体と共に、と村長が残されていた。
「許してくださるのか、儂らを」
「何があっても守りたいものがある。という人は……わりと好きなンです」
「すまん……」
村長は涙を見せまいとするように顔をふせた。
「それよりも、お聞きしたいことがあるンですけど」
「なにかの。儂の知っていることなら」
「この妖怪たちの所に、他所から使いやなにかが来たことはありませンでした?」
「はて」
村長は急いで涙をぬぐうと、腕を組んで考え始めた。
「仲間うちでの出入りはあったようじゃがのう」
「そうですか、ではニィ……」
言いかけたは、視界の隅に動くものを捉えてはっとした。地面に転がっていた死体
の一つがゆらりと立ち上がる。
「てめぇら、よくもやりやがったな」
死体の中から起き上がったのは、妖怪たちのリーダーらしき男だった。八戒の気孔弾を
くらって倒されたはずだが、気絶していたのか死んだ振りをしていたのか。
「どの、逃げなされっ」
村長がを庇うように一歩前に出る。が、怒りに燃える妖怪に殴り倒されて、力なく地
面に倒れた。
「お前はタダじゃあ殺らねぇからな。たっぷり痛ぶってやる」
血走った目が、凶暴にを睨む。
「あのまま死んだふりしていればよかったのに。本当に馬鹿ね」
「ほざくなぁっ!」
飛びかかる妖怪にひるみもしないで、は懐から小さなアトマイザーを取り出した。
それは昨夜、悟空が部屋で噴射させたのと同じ物だった。だが今、中にはピンク色ではなく、真っ赤な液体が入れられている。
目の前に迫った妖怪に、はためらうことなくスプレーを噴きつけた。
「ぎゃあぁぁっっ!! 」
妖怪はもろに噴射させた霧をかぶり、目と喉を押さえて地面を転げまわった。
「畜生……ぐがぁっ。息がっ……」
「息ができないでしょ。じきに目も見えなくなるし、皮膚呼吸もできなくなるはずだから」
のたうちまわる妖怪から安全な距離を取ると、は淡々と告げた。
「よく効くでしょ、この妖怪忌避剤。薄めてない原液だし」
「ひっ。た、助けて……ごぼっ」
激しく咳き込みながら、やっとのことで妖怪が言う。
「あのねぇ、聞きたいことがあるンだけど」
「言う。げぼっ……なんでも言う」
「ニイ・ジェンイーっていう人間、知ってる?」
「し、知らな……」
「あぁ、そうなの」
あっさりと言うと、は踵を返して歩き出した。
「ま、待ってくれ。確か吠登城に、人間の科学者がいるって話だ。それが……」
が足を止めて聞き返す。
「ニイっていうの?」
「ダチにそう聞いたことがある」
「そう、ありがとう」
は短く言うと、また歩き出した。
「待ってくれ、助けで……ぐれぇ。がほほっ」
は立ち止まってふり向いた。鬱陶しそうに髪をかきあげた。髪飾りの鈴が、ちりんと
冷たい音を立てる。
「助けてあげたら、あなたは真っ先に私を殺すンでしょう? それにね……」
やわらかな口調とはうらはらに、冷たい目で妖怪を見る。
「馬鹿はキライなの、私」
もがき続ける妖怪をその場に残し、は一人森の中に姿を消していった。
凄惨な夜もいつかは明け、輝く太陽とともに朝がやってくる。
眼下に街を見下ろす見晴らしのいい峠の道。石に腰を下ろして通信機らしき機械を開く
人影があった。こめかみのあたりから伸ばした黒い編みひもでまとめた、赤みのかかっ
た金髪が朝日にかがやく。
である。
の横には、荷物を背負ったロバがむしゃむしゃと、足元の草を食べていた。
は通信機に向かって話しては、流れ出る声に耳を澄ませている。
「ええ、追跡していた黒8号の死亡を、昨夜確認しました。捕獲は無理でしたので。
すでに……」
はわずかに言葉を切った。
「すでに人の味を覚えていましたから……いいえ、私ではありませン。殺したのは別の
……人間達です」
淡々と言葉を続けるの表情が、すこしだけ緩む。
「それからニイ・ジェンイーは、やはり吠登城にいるようですね。目的までは分かりませ
ン。どちらにしろロクことはしていないンでしょうけど」
しばらくの間は沈黙し、機械からの声に耳を傾けていた。
「了承いたしました。ではこのまま西へ向かいますね。ああ、それから……」
何気ない口調ではつけ加えた。
「玄奘三蔵法師と、それに同行しているメンバーについて、できるだけ詳しいデータを
送ってくださいな」
わずかな沈黙の後、の桃色のくちびるから、くすくすと笑い声がもれる。
「いいえ、まさか。ただ同じ方向に向かうようなら、知っておいたほうがいいこともありま
すでしょう? はい、ではお願いします」
ぱたりと通信機を閉じて、は眼下に広がる景色を見わたした。
家々の屋根からは煙が立ちのぼり、町は一日の営みを始めようとしていた。町を横切っ
て走る街道には、そろそろ旅人の姿も見えはじめている。
平和な一日の始まりを約束するかのようなその風景。しかしそこに属さない者達は、もう
知っている。この世界は大きな異変にさらされているのだ、と。
「じゃ、そろそろ行こうかな」
は立ち上がって大きく伸びをすると、そばで待っていたロバにまたがった。
「行きましょ。薫風」
が首をぽんぽんとたたくと、ろばはぱこぱこと山道を歩き始めた。平和な村の風景
がゆっくりと背後に遠ざかっていく。
薫風の首につけた小さな鐘が、歩みに合わせてからりからりと音を立てる。
「虚無の刃は もろ刃の剣
守る覚悟は 海の月
香玉 香玉 香玉はいかがぁ」
人気のない山道に、歌うようなの声が流れていく。
「片手に血刀 片手に写本
憎さ愛しさもろともに
抱きて微笑うは 獣の神官
香玉 香玉 香玉はいかがぁ」
聞く人もない呼び声は、ゆっくりと遠ざかっていく。
かつて悪鬼が封じられたという吠登城のある地。
おそらくは、この異変の源である地。
西へ、と。
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