GOLD FISH

― 1 ―



その日の長安は晴天だった。
長安といえば桃源郷の中でも指折りの大都市である。壮麗な寺社仏閣が霊験の高さを競い合うように建 ち並び、そこに参詣するために訪れた人々で、常に活気があふれている。

「へい、らっしゃい。うまいよー、うちの饅頭は」
「はいはい、ありがたーいお札だよ。これを貼っときゃ商売繁盛、家内安全、無病息災間違いなし。一枚 どう、そこの旦那」

そしてその人ごみを目当てに、みやげ物や食べ物、酒を売る屋台が集まり、あちこちににぎやかな市場 を作っていた。

「あ、ヤキソバだーっ」
「ウロつくな、猿」

人ごみの合い間をすり抜けて、小さな体が一直線にヤキソバの屋台めがけて走る。その後をつかず離 れず歩くのは白い僧衣。

「おい、あれ」
「ああ、三蔵法師様だ」

周りのざわめきはまるで聞こえていないように、白い僧衣をまとったその人物は、不機嫌な顔のまま雑踏 の中を歩いていく。

「おーお。有名人は辛いねぇ」

三蔵の少し後ろを歩く長身の青年が、咥え煙草の口で冷やかした。バンダナでまとめた頭からは、短く 切った赤い髪がこぼれている。

「鬱陶しい髪を切っても、貴様の馬鹿さ加減は変らんようだな。クソ河童」
「あらん。三蔵法師サマがそんなお下品な口きくなんて」

三蔵の右手が、銃を探して懐にもぐる。

「ほらほら三蔵。よそ見してると悟空とはぐれちゃいますよ」

単眼鏡をかけた緑の瞳の青年が、穏やかに微笑みながら前方を示す。見れば悟空の姿は、すでに人ご みに埋もれかけていた。

「ふん……」

三蔵は懐から手を出すと、また不機嫌な顔で歩き出した。その後ろを悟浄と八戒が並んで歩いていく。悟 浄の両腕は、なにやら買い物でいっぱいだった。

「なぁ八戒。まだ買うもんあるワケ? 」
「ええ」

それが何か? というように八戒に微笑まれてしまえば、悟浄はお手上げである。

「あ、そ」

悟浄は紙包みを持ち直すと、八戒と並んで歩き続けた。悟浄と八戒が共に暮らすようになってから数週 間。買出しがてら三蔵を訪れ、一緒にこの市場にやってきた二人だった。

―なーんか違うんじゃねーか? ―

両腕に買い物を抱えて歩きながら悟浄は考えていた。別に八戒や三蔵、悟空とつるむのがウザいわけ はない。今の関係は結構気に入っている。
が。

―お、いい女―

時おり非常に好みの女性を見かけても、両腕いっぱいに買い物袋を抱えた姿では、声をかけてもいまい ち決まらない。男同士でつるむのは気楽でいいのだが、夜を凌ぐのに人肌を必需品としていた悟浄として は、物足りないものがある。
そんな大人の悩みは知らず、人ごみの向こうから悟空が戻ってきた。

「三蔵、このヤキソバすっごくうまいんだぜっ」

宝物でも見せるように、悟空が手にもったヤキソバの皿を三蔵に差し出した。

「ふん」

不機嫌な顔はそのままに、三蔵がそれを受け取ろうとしたその時、通りかかった男の肘が、悟空の腕に 当たった。湯気を立てるヤキソバは皿ごと地面に落ちる。

「あぁっ」

この混雑の中である。地面に落ちたヤキソバは、たちまち人ごみに踏みにじられていく。

「俺のヤキソバ……やいっ、何すんだっ!! 」
「あぁ?ぼーっと突っ立ってる方が間抜けなんだろうが」

悟空にぶつかった男は、ちらっとこちらを見ただけで、仲間としゃべりながら足も止めずに歩いていく。

「おい……」

低いく抑えた三蔵の声に、若い男はうるさそうに立ち止まってふり向いた。

「んだよ。なんか文句でも…」

文句を言いかけた顔が凍りつく。
その額には鈍く光る銃口が突きつけられていた。

「人にぶつかっておいてその態度か…」

普段よりも更に深くなった眉間の皺。その下の紫暗の瞳はマジで殺気をおびている。

「ひっ…」

息を飲んだ男の脇から、連れの男が手を伸ばす。

「坊主がなんでそんなモン持ってるんだよ」

銃を払いのけようとした男の腕が、ぎりりと後ろから捻り上げられた。

「痛ててっ! 」
「お友達をかばうのは結構ですが、状況を考えた方がいいんじゃありませんか」

八戒はにっこり笑って言いながらも、ぎりぎりと絞めつける腕の力は緩めない。見る見るうちに相手の男 に顔が、痛みと怒りで真っ赤に染まっていく。

「なんだ」
「喧嘩か!? 」

周りの視線が一斉に集中する。こうなってはもう後には引けない。

「くそっ、やっちまえっ! 」
「餓鬼連れなんざチャラいぜっ!」

遠巻きに様子を見ていた男の仲間達が、一斉に飛びかかってきた。

「ふん。馬鹿どもが」
「すっげー。面白そう」

ここで引くような暴れん坊四人組ではない。さすがにこの人ごみの中では武器は使えない。素手で戦うし かないのだが、そうなると俄然張り切る奴が一人いる。

「はっ、面白くなってきたじゃねぇかよ」

悟浄は両手に持っていた買い物を物陰におくと、騒ぎのまん中に飛び込んだ。
とりあえず手近なところにいた男の腹に向かって蹴りを入れる。相手は勢いよくふっ飛んで、野菜を売っ ていた屋台に突っ込んだ。
あたりにトマトやキュウリ、カボチャが散乱する。

「なにしやがんでぃっ」

屋台の親父が怒鳴る横から、面白がってトマトを投げつける野次馬達。
場外乱闘は果てしなく広がり、たちまち市場は大騒ぎとなった。



「で、お前らが騒ぎの原因か」

数時間後、悟浄たち四人は鉄格子の中にいた。通報を受けた役人にしょっ引かれたのだ。相手の男達 は地理に明るかったのか素早く逃げて、今捕まっているのは悟浄ら四人だけである。

「まったく近頃の若い奴らは」

四人を睨みつけながらも、市中警備の責任者であるその役人は、心密かに頭を抱えていた。

―さて、どうしたもんか―

騒ぎの張本人として捕まえてしまった以上は、然るべき手続きをとって罪状と処罰を決め、書類を提出し なくてはならない。それがお役所というものである。
逆に言えば、体裁さえ整っていれば、犯人の真偽などというものは、この場合どうでもいいのである。
が、この場合は誰を犯人にしたものか。

「ふん…」

倣岸な態度をくずしもしないで煙草をふかす人物。その額には深紅のチャクラ。そして白い僧衣の肩から 掛けた魔天経文。
この長安に住む者なら、知らぬ者はいない。仏に仕える者の最高位に位置する玄奘三蔵法師。
そんな人物を喧嘩騒ぎの犯人として報告したら、上からなんと言われるか。下手をすれば自分の首が飛 ぶ。

「なぁ。早く帰ってメシにしようぜ」

ぴょこぴょこと跳ね回るこの子供。いくらなんでもこんな子供を、あの騒ぎの犯人扱いするわけにはいか ない。そんな真似をすれば、自分の職務能力を疑われてしまう。

「やれやれ。随分と片手落ちなお仕事ぶりですね。さすがお役所仕事といいますか」

単眼鏡をかけた一見物静かな青年。が、その言葉の鋭さと頭のキレは侮れない。ひとつ扱いを間違える と、胸を抉る辛らつな言葉を延々と聞かされることになりそうだ。

―…と、すると…―

「おい三蔵、火ぃ」

咥え煙草のこの男。でかい体。赤く染めた髪。顔には傷。
喧嘩騒ぎの犯人にはうってつけ。

―よしっ―

役人はぽんっと手を打って宣言した。

「犯人はお前だっ! 」
「へ!? 」

ぽかんと口を開ける悟浄を尻目に、役人は三蔵達に愛想よく笑いかける。

「犯人も無事捕まりましたので、皆さんはお引き取りいただいて結構です。いやぁ、災難でしたなぁ、喧嘩 騒ぎに巻き込まれるとは」

それを聞いて三蔵達は、あっさりと頷いた。

「妥当だな」
「賢明な判断ですね」
「そうか、悟浄って悪い奴だったのかー」

てんでに納得してぞろぞろと帰りかける、友達がいの無い三人であった。

「おいッ!! 冗談じゃねーぞ、てめーら…」

焦る悟浄を屈強な男達が取り押さえる。

「くそっ、放しやがれ。おいっ、八戒っ」

呼ばれて八戒は足を止めた。振り返って、にこやかな笑顔で悟浄に言う。

「そうそう持ってもらっていた買い物、あれはどうしました?悟浄」
「う……」

両手に抱えていた買出し品。物陰に置いてはいたが、あの喧嘩騒ぎである。騒ぎに紛れてバラバラに なったか、誰かに持ち去られたか。どちらにしろ戻ってくることはないだろう。

「一晩ここで反省してくださいね」

優しい笑顔でそれだけ言うと、八戒は部屋から出て行った。

「おい、待てよ。なんで俺が捕まんなきゃなんねーんだよ」
「連れて行け」

役人の命令が無情に響き、悟浄は牢に放り込まれることになった。








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