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「ち、ついてねーの」 悟浄は牢の床に座り込んでつぶやいた。先ほどまで鉄格子を蹴ったり怒鳴ったりしていたのだが、それにも飽きたところだ。 ズボンのポケットから煙草とライターを取り出して火を点ける。一息ふかく吸い込んで煙を吐きだせば、周りを見る余裕も出てきた。 石造りの牢、だがそう厳重な作りではない。窓も鉄格子は嵌っているものの、低い位置にある。片隅には汚く狭いが、一応ベッドも取り付けられている。 たぶん一晩か一日程度、捕らえた人間を留めておく時に使われている、留置所のような場所のだろう。だったら明日あたりには出られるはずだ。 その手の経験は、結構ある悟浄だった。 「はーぁ」 立ちのぼる紫煙が窓から外に流れていくのを、ぼんやりと目で追う。しんと静まり返った建物の中。耳を澄ませば遠くの市場のざわめきが微かに聞こえる。 露店の呼び込みや子供のはしゃぐ声。自分とは関係のない街のざわめきに、聞くとはなしに耳を傾ける。 また煙草を吸い込み、ふぅっと煙を吐き出すと、悟浄は目を閉じて冷たい牢の石壁に寄りかかった。 「…ライト?」 ―ん!? − 声が聞こえたような気がして、悟浄は目を開いた。 ―なんだ? ― 「ハイライトでしょ?」 再び尋ねてきた声は、建物の中から聞こえた。悟浄は扉に近づくと、はめ込まれた鉄格子から外を見た。だが通路には人影は見当たらない。 確かに悟浄が吸っている煙草はハイライトだ。しかし一体誰が、どこからそれを見たというのか。 ―隠しカメラでもあるんじゃねぇだろうな― ざっと天井や壁に視線を巡らせてから、悟浄は鉄格子から外に呼びかけた。 「誰かいるのか?」 「いるわよ」 「どこだ?」 「たぶんあなたの隣の部屋」 返ってきた声は若い女のものだった。 途端に警戒がゆるんだのは、悟浄だから仕方がない。 「名前、聞いていい?」 迷うような間のあとで、答えが返ってきた。 「」 「俺、悟浄っての」 「そう」 互いに顔も見ることの出来ない牢の中。名前は聞いたものの、場所が場所だけに何を話していいものか。 「なんでハイライトだって分かったんだ?」 「匂いでね」 「匂い?」 「鼻はいいの。私」 鉄格子の向こうで、笑う気配がする。 「へぇ」 悟浄は咥えていた煙草を手にとってまじまじと見た。ヘビースモーカーの自分には、匂いと言われてもピ ンとこない。 「何やってここに放り込まれたの?」 と名乗る声が尋ねてきた。 「つまんねー理由だよ」 「ケンカ?」 「ま、そんなトコ。そっちは?」 「私はね・・・・・・」 答えかけた声を、見張りの役人が遮った。 「お前ら、勝手に喋るんじゃない」 ―ち・・・・・・― 悟浄は舌打ちすると、扉から離れてまた壁にもたれて座り込んだ。その後は、もうと名乗った声が聞こえることもなかった。窓から差し込む赤い西日が、床に鉄格子の影を落とす。それが次第に長くなっていくのを、悟浄はぼんやりと眺めてすごした。 「冗談じゃないぜ、ったくよ」 悟浄は牢の狭いベッドに、ごろりと横になった。先ほど出された夕食も、文句を言いながらも平らげたところだ。これで一晩寝れば、ここから出られるだろう。 そう思って悟浄は目を閉じ、眠ろうとした。 ―なにやってんだろうね、俺は― 八戒はまだ本を読んでいるのだろう。悟浄が外泊するのは、別に珍しいことではない。 だから八戒もいつものように夜更けまで本を読み、読み疲れたら単眼鏡をはずして眠りにつくはずだ。 悟空はもうとっくに眠っている時間だ。小さな体にたらふく夕食を詰め込んで、幸せそうに寝ているのだろう。 三蔵はまだ起きているのだろうか。いつもの仏頂面で経典でも開いているのか、それとも銃の手入れでもしているのか。 寝付けずに悟浄は寝返りを打った。うすく目を開けると、薄暗い牢の中がぼんやりと浮かび上がる。がらんとした部屋。背中に当たる冷たく堅い壁の感触。床には脱ぎ捨てた靴が転がっている。 独り寝は苦手だった。 また寝返りをうって仰向けになる。狭いベッドの上で持て余した足を組んで、壁を見上げた。石壁に開いた小さな四角い窓からは、星すら見えない。 悟浄は手探りで煙草を取り出すと、ライターで火を点けた。ライターの小さな炎が牢の中にともる。ぱちりと蓋を閉じると炎は消え、暗闇は前よりも深くなったような気がした。 牢の中に煙草の火だけが、赤く明滅する。 しばらくして吸殻を床に投げ捨て、次の煙草に火を点けた。 ライターの蓋を閉じる。親指で弾いてまた開く。 閉じる。開く。 閉じる。開く。 やがてハイライトの箱が空になった頃、ようやく夜は明け始めた。 |