破 壊 者



― 1 ―




 世界には、ある。
 人がどれだけ望んでも、決して届かない世界。
 妖怪達が切望しても、超えられぬ世界。
 神々が泣いても、止められぬ世界が。
 そこも、一つの「世界」だった。いや、世界のあらゆるところにそんな空間がある、切り取られたかの様な実際に切り取られた世界だ。
 しかし、いかに誰が望もうと永遠に変わらぬ世界などありえない。
「空が、割れる?
 牙が突き立たされ、災厄が訪れる……自らを『天に等しい者』と称した存在が?」
 いつもと違う空気に、恐れと同じくらいのものを感じる……随分と長い間、忘れていた はずの感覚。否、忘れたフリをしていた決して忘れた事など一瞬たりともなかったのに。
「取り入れを、した方がよさそう?」
 呟きは、慣れたものだ。誰も入ってくる事などない―――普通ならばと言う注釈がつく、閉鎖された空間に長く住んでいれば独り言でもなければ寂しくなると言うもの。
 ただ、彼女自身には感情の正体に気が付かないし。あえて言うのなら、言語を忘れい為の修練だとでも言うかも知れない。
「愚かだ……」
 ぽつりと漏れた言葉は、誰に向けられたものなのか。
 それとも、自分自身になのかも知れないと思いつつも。手にした洗濯物の入った籠と入れ替わり、別の籠を持ってたわわになる果物や木の実のところへ走る。
 嵐が近づいている、それだけが判っているだけで十分だ。

 前兆は、それだった。
 嵐が近づいているのがわかった、それだけで決断は早かった。
 森の中で、少女が一人で住む……その現実は並大抵の苦労ではない。誰もいない、誰も来ない―――森の中の動物達が尋ねてくる事もあるし、罠をかける事もあるけれど。そんなところに延々と住んでいれば気が狂うかも知れないが。
「良かった、間に合ったみたい?」
 幾つもの籠に一杯に取り入れられた果物や木の実を選別するのは、何も今すぐにやらなくてはならない事ではない。嵐が本格化するのは今夜から明日にかけてだろうから、数日は続くかもしれない間に、ゆっくりと分けて行けば良い暇つぶしになるだろう。
 便利な道具があるわけでもない、唯一あると自慢できるのは湯水の様にある時間だけだ。このあたりでは妖怪もほとんど出ないから、安全面も自慢出来るかも知れないが、それには卑怯的事実があるのを誰よりも知っている。
 いつもと同じ、一人分の家と言うよりは小屋の中。
 ベッドと台所と、テーブルが一つに椅子が二つだけのもの。あえてベッドの脇にはついたてがあるが、それだとて街中にあるなら不自然に見える。
「うん、まあまあかな?」
 いつもと同じ、誰の為でもなく作る僅かな食卓を整え。誰にと言うわけでも外からは判別がつかなく祈り、静かに食べ……まるで、聖職者のそれの様な静かな時間。少女以外に誰もいないのだから、それは当たり前の事だけれど。
 誰の為にも生きないのは贅沢かも知れないが、代わりに。少女の事は世界のほとんどの者が知らない。
 すでに着替えも済ませ、後は眠るだけ……何が楽しくて人生を生きているのかと問いたくなってしまう様な日々を過ごしているように見える。
 もっとも、そんな事は少女自身以外の誰もがツッコミ入れる必要などないのだが。
「誰?」
 外には、吹き荒れる風の音がしている。雨の音も聴こえるが、それでも外に出歩くような天気でない事は確かだ。
 特に、街中でも森の中でも山の上でも大差ないが。大きな風が吹けばものが飛んでくるし、雨にぬれれば風邪を引くことだとてある。とてもではないが、こんな暴風に出かけようなどと考えるのは余程の事があってもためらうだろう。
 だが、少女はためらわなかった。
 荒れる空、激しい風雨にさらされる森の中、ざんばらに切りそろえられた髪が荒れ狂う中を何でもないかの様に歩き出す。
「……何を、望まれるのです?」
 少女は森の中にいる。
 ここしばらく―――少なくとも、少女が落ち着いて物事を考えられる様になってからはずっと住んでいる。それを許された事を、最近になってようやく「幸運な事なのかも知れない」と思える様にはなってきた。
 だからと言って、少女を襲った「過去」の全てを許せるわけでもないのだが。
 少女にとって、森の「外」はほとんど全てが「敵」だ。そこには「人間」とか「妖怪」だとか 言う馬鹿馬鹿しい偏見など全く無い……あえてつけるとすれば、人を見かけで判断する 愚か者と、見かけで判断しても害意を持たない者との差くらいでしかない。
「う……あぅ……」
 それは、ひどく傷ついていた。
 見かけからすると、少年……少女に比べると若干年上と言った風に見える。
 手足のあちらこちらは、傷がついていない所を探すほうが困難で。血があちこちからにじんでいる、一目で命に関わる傷に見えると言うのに。少女はまず、声をかけた。
「貴方の望みは……なんですか?」
 感情を、まるっきり感じさせない声。
 冷たいとも、憎んでいるとも聴こえる声であるにも関わらず、周囲の雨風にかき消される事はなかったのだろうか?
「早く、早く戻らないと……!」
 汚れも血も雨に流され、その感触で意識を取り戻したのだろうか?
 少年は起き上がろうともがくのに、常に比べれば全く言う事を効かない四肢に苛立ちながら。尚ももがき続けている。
「戻りたいの……ですか?」
 敬語を使うのをためらうと言うか、声をかける事すらためらっている感じだ。
 普通なら、とりあえず叫び声を上げて誰かに助けを求めるのだろうが。あいにく、少女が知っている限り森の中に住むのは少女と動物達だけで。今は側に大型で知り合いの動物があるわけでもなく、万が一―――ありえないとは思ったが、自殺を考えて森の中に入ってきたのならば放置して置くほうが親切と言うものだ。
 ただ、それは「あり得ない」のだけれど。
 何とか体を起こそうとして、逆にぬかるんだ土に倒れ込む。
 土砂が跳ね上がり少女をも汚したけれど、少女は決して不快そうな顔などしない。第一、すでに少女の姿も雨風にさらされて乾いた所など一箇所もないのだから。
「動けないのですか?」
 見れば判ると言うものだが、あえて少女は尋ねた。
 必死の形相の少年が、適うなら今すぐここではない所へ戻りたがっているのは明らかだったが。それでも、少女は普通なら言うはずの「大丈夫ですか?」とも「何があったのですか?」とも「ひどい怪我!」と叫ぶ事もなかった。
 ただ、側に立ち尽くして声をかけた。
「行かなきゃ、早く行かないと三蔵達が……!」
「致し方ありません。
 緊急事態です、お許しを……」








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