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それ起きた経緯などは、ある意味においてどうでも良い事なのかも知れない。 ただ、逆にとてつもなく必要な事なのかも知れない。 普段と違う何もかもに対し、不平不満を漏らすのは意味があるとも言えないかも知れないが。それでも、つい口をついて出てしまいそうになる悪態を封じ込めると言う行為は、最大限の努力を要した。 だが、それでも1つだけ明らかになっている事があるとすれば。 すでに起きてしまった現実が、少なくとも1つはあると言う事くらいであろう。 終わりと言うものが、必ず後に理由をつける事が出来るものであるとするならば。 始まりと言うものは、常に理由などないのかもしれない。 (なんなんだ、一体……?) 口にはしなかったが、あまりにも唐突で。その上、無茶苦茶あやしかった。 止める間もあればこそ、何を考えていたのか、それとも考えていなかったのか、もしくは考えていたからこそなのか、とりあえずすでに起こってしまったわけであり。 「きゅ〜〜〜〜〜〜〜」 額からどろどろと赤い血をながしながら、少女―――だ。 どこからどう見ても、年端の行かないように見える―――あくまでも見える、少女が人形の様に横たわっている。 「完全に気絶してやがる……」 額から赤い血をたらたらと流しつつ、完全に目を廻している様だ。 とは言っても、別に特に何があったと言うわけではない。 正直な所を言えば、何があったのか聴きたいのは玄奘三蔵その人のほうだった。 要するに……だ、何があったのかと問われれば。こう言うしかないのだろう、 細いかと問われればそうでもなく、少女は三蔵の目の前を歩き……気が付けば「がこん」と言う軽い音の後にふらりと倒れたのである。 目の前にには、どう見ても小屋やらしきものと……ついでに、扉があった。 木製の扉、粗末な小屋によくついている見たことのある極普通の扉で、周囲を見渡せばほのかに手を入れられたらしい箇所が幾つもある。 要するに、ここが少女の家……なのかも知れない。仮定法なのは、単純にそれを問い掛ける前に少女の気が失われてしまったからだ。 数分前……時間にすれば煙草の2,3本を吸う程度の時間だ。 森へ来た時に見たイメージとは、あまりにも違いすぎる……あらゆる物事の。裏も表も見て知って、足を踏み込んだ顔をしていた、時にむごたらしい世界を見てきたものの瞳だ、それは見覚えのある表情だった。 いつだっただろうか? 寺でもそんな顔をする人は稀にいた。あえて言うとすれば、最も近いところにいたのは師匠の光明三蔵だったかも知れない。人当たりの良さの為に見抜かれる事は、あったかも知れないが正面から言う者もなかった。けれど、時として人々から光明三蔵の記憶が薄れ行く中で聴かないでもない話だった。 あの人は、本当はこの世の何物とて興味がないのかも知れない。 返事を、特にしたかと言うのはどうでも良い事だった。 ただ、否定出来るかと問われた時の反応までは考えていないが。 「ったく……ガキは一人で沢山だってのに」 額に当てた手は、いつもの様に特に何かを感じさせたりと言う事はなかった。 それは、見慣れた手だ。 硬い、成人男性のものだ。 振り払い、慣れた舌打ちをしつつ周囲を見回す。 「何だって俺がこんな事を……」 つい先日、誰かが「同じ言葉を繰り返すのは老化の始まり」とか言った様な気がしたが……思い出すのも腹立たしかった様で、思い出さなかった事にしていた。 「……勘弁してくれ」 脱力した。 だが、いかに世界に名高い最高僧の一人である玄奘三蔵と言えども。 そこで、いきなり座り込んで頭を抱えた事に対して一言二言言うのは。あまりにも可哀相と言えば可哀相だったかも知れない。 「行かれますか?」 凛とした、力強い声だった。 太くはなく、逆に細い。低くはなく、高い。 子供の持つ特有のそれでありつつ、限りない力強さに溢れている。 立ち上がり、答えなくてはならない。 三蔵は、瞬時に理解する。 「あちら側へです」 完全に目を回していた筈のは、その片鱗を見せる事なく完全に別人の様に見えたのだが。もしかしたら、それは本当に別人なのかも知れない。 「望まれるのでしたら、少しは叶う事でしょう」 すっと、差し出された手。 小さな手の中には、その手には僅かにあまるものが乗っている。それが何なのか、三蔵にも、三蔵の知るもう一人にも記憶に深いもの故に全てを物語っている。 顔はべったりと流れたまま固まり、正直かなり悪趣味としか言いようが無いのだが。額から顎にかけて血が流れている。 とりあえず、死なない程度には問題ない様だ。 だからと言って、全く問題がないと言えば嘘になるのだが……少なくとも、足元に置かれた桶と水が無駄になった程度でしかない。 「この世の何物であろうと、残し行くだけでしかない。だから」 何の事を言っているのかとか、そう言う話は一切しなかった。 主語もなければ、述語すらなかった。 だが、判った。 「ごめんだな」 それ以上の、言葉は一つも無かった。 三蔵も口を開かず、袂で何かを探している様子ではあったし。も僅かに嘆息した程度で、その事に関しては何も言わなかった。 ただし。 「玄奘三蔵殿、森の中では禁煙です。 外へ出られたら、お返ししますよ」 片手に持つは、丸いもの。 もう片手には、細長いもの。 「……ちっ」 「お送りしましょう、そろそろ皆さんが気づかれる頃でしょうし」 細長いものを手の中へと握り締め、丸いものはそのまま懐へと消えたのだろう。 三蔵にはそう見えた気がしたものの、あえて追求するつもりはなかった。 「お前……」 「貴方たちの事を答えるつもりはありません、知らぬとも言いませんが。その様なものは不要であると心得ておられます、すでに。 であると言う事以外でお答え出来るのは、この身が人と呼ぶにはいささか企画外品であると言う事。地仙であると言うだけの話。 なのに、まだ何事か尋ねられますか?」 全て、まるで三蔵の頭の中などお見通しかの様な言葉だった。 もしかしたら、実際にそうなのかもしれない。面白いとは死んでも思わないだろうが、さりとて関心すらしてしまっている部分があるのも確かだ。 「その顔はいつ拭くんだ?」 いつものセリフにあわせるかの様に飛んだ、一種心地よさすら感じる音―――主に、ハリセンで特定人物をぶちのめす時に使われる音だったりするのだが。 「いちち……あれ?」 「なんだ、悟空」 全身から「構ってられるかオーラ」を発しつつ、律儀に返事をする三蔵に向い。 パーティ最年長の少年が言う。 「三蔵、なんだか甘い匂いがする」 |