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 一陣の風が、吹き抜けた。
「な、悟空!?」
「……あれ、悟浄?」
 何かにのしかかられたかの様な力に押されて、後ろから誰かに押された様な気がして、体中に満ち溢れた様な気がして。
「どっから出てきたんだよ、お前?」
「どっからって……悟浄は? 俺、が助け……?」
「あん? って女の名前だよな……おーおー、お前もやる様になったなあ」
 にやりと笑う赤い髪の男を見上げ、悟空はいつもと変わらぬきょとんとした顔をする。悟浄より悟空の方が身長は低いのだから、それは当然と言うものなのだろうが。その表情を見て「こりゃ駄目だ」と内心思う。
 三蔵から色々と悟空の事は聴いてはいるが……その食欲と体力と小動物もしくはお子様系の反応から見ると、とてもではないが全てが本当だとは思えない。
「そうだ、三蔵!」
 脱兎の如く走り出そうとした悟空を、悟浄は本当にぎりぎりの所でつかんだ。
 いつもと違い、絶好調にプラスした脚力と体力と、ついでに茂る森の木々や草花に切り裂かれて行く音を耳にしながらも驚きを隠せない。
「ちょっと待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

 木霊すら返る森の中を、駆け抜けた音や声。
 しかし、僅かな時をもって全ては戻る。
 そう、平穏の中に。
 ただし、いつの時も永遠に続くものなどありはしない。
 どれだけ誰が願おうとも、それは何の目から見ても明らかなるもの。
 一陣の風と共に現れた姿は、時と場合によりて見る者に畏怖と尊敬の念を与える事はあろうとも。それが必ずしも憎悪や好意に繋がるとは限らぬところが、また夢よりも儚く。
「ようこそ、玄奘三蔵殿」
 舌打ちをした目前の人物を、少女は感情の篭もらない瞳で見ていた。
 苦悩も、憎悪も、悲哀すらない瞳には。逆に歓喜も尊敬もなかった。
 道行く人が何かしら持つ「感情」を見出せなかったせいなのか、それとも己の行動を見抜かれていたからなのか、もしくは単純にそうしたいと言うだけだったのか……。
 それは、恐らく本人以外の誰にも判りはしない。
「ああ……うちの馬鹿が世話になったようだな」
 問いですらなく、確認でもない。
 口にしてみた、と言うだけなのだろう。
 少女も、とりたてて何を言うでもなく背中を見せて。そのまま先を行く。
 金の髪と紫の瞳を持った、最高の栄誉と力を持った法力僧とは思えぬ容姿を持った男。けれど、その内面たるやあまりにも仏教の教えに反しているのではないだろうかと誰もが思い、けれど誰も口にする事 をさせない男でもある。
「なんなんだ、ここは」
 歩みを止めず、三蔵は呟く。
 常ならば供の者達―――悟空、八戒、悟浄の三人がいる前では滅多に見られない光景だとも言えるのだが。それでも珍しい光景といえば、そうかも知れない。
「何、と問われて答える事が出来るかと言えば。そうでもありません」
 更に、別に返る答えを期待していたかと言われれば。そうでもないのも確かだ。
 それなりに、三蔵の中で計算と言ったものが働いていたとしても。それは別に咎められる事でもないだろう、いかに悟空が世話になった存在だと言っても、だからと言って完全に信用できるわけでもない。
「それを言うのならば、まず『貴方は誰か?』と問わねばなりません。
 しかし、貴方もそれを口にはしなかった。ならば、続く問いなどありはしない……あるのかも知れない」
 禅問答の様な、そんな言い方をする少女だ。
 一見して、確かに少女に見える。だが、その目が裏切っている。
 別の意味で、それは確かに三蔵にもあるものだ。見かけと一致しない瞳を持つと言うのは、それだけで生きてきた時に裏側がある事を思い知らされる。
「馬に説法でしたね」
 さらりと言ったのは、どこまでを冗談と受け止めればよいのだろうか?
 それとも、今のは単純に嫌味だったのだろうか?
 何とも、判断のつきにくい。
「嫌味か?」
「なぜです?」
 すかさず返って来た答えに、内心は落ち着かない。
 が、この手の人物の種類を三蔵はよく知っていた……そう、あまりにも馴染みが深すぎて思い出すのに時間がかかる。

 自分勝手。

 外から見ても、それほど大きかっただろうかと思った。しかし、それはどうでも良い事なのだろうと思ってみる。
 もっとも、だからと言って不平不満と言ったものが本当に解消出来たかどうかと言う問題に対しては……目をつぶって貰うべきなのだろうが。
「……斉天大聖の様子は、いかがですか?」
 瞬間、三蔵の顔つきが鋭くなった。
 同時に、それは瞬く間の事でしかなかった。
「無駄に元気だ、もうちょっとおとなしくしてくれれば苦労も経るんだがな」
 もし、それが少女にあてたものでなければ苦笑の一つももらしたものもいただろうが。残念な事に、この場にいたのはたった一人だけだった。
「そうですか……」
 何も、ただそれだけだった。
 軽口も、嫌味も、それすらもなかった。
 あるものと言えば、風と、揺れる木々と葉ずれの音だった。
「……ふん……」
 特に、何があったわけではない。
 何かを感じた、そう言うわけでもない。
 だが、この居心地の悪さは何なのだろう?
 まるで、誰かの作った人形を相手にしているかの様だ。それでいて、悟空の事を話した一瞬だけは見かけどおりではない人間の女の様にもみえた。

 少女は、
 この森に一人で住む、正体不明の。








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