― 後編 ―
「ええと……金蝉? とりあえず誰かというか何かというか、女の子が居るらしいって言うのは確かみたいですよ? ちょっと研究したくなりますね……」
「まあ、そうだな……俺には泣いてる女の子の姿しか見えないけど」
「ほら!」
「俺には見えないし聞こえない、だからそこには誰も居ないし何もない」
「金蝉!」
ふと、子供の腕に微妙な凹みを見ることが出来た。
「だって、金蝉が……けど……」
天蓬元帥は、僅かに少女の声が「やめて」といっているのが聞こえた。
聞いていると、どんどん声が小さくなっていく様な。それとも言葉が少なくなっていくのか判らなかったが、それでも少女の声はこちらに気を使って子供に争いを止めるように言っている様に聞こえた。
確かに、知らないのならば自分達の会話は喧嘩以外の何物でもないのだが。知っている人物にしてみれば思い切り普通のじゃれあい程度に過ぎないことが判っているので、何ともいえない気分になる。
「そりゃあ、俺にもお前にも呼ぶ名前すらないけど……」
捲簾大将が聞いた話は、森の中に泣いている女の子を発見したこと。
女の子は名前が無く、自分にも名前がないから教えてあげることが出来なくて。それが、何よりも何故か一番悔しくて、けれどそれを上手く言う事が出来なくて八つ当たりをしてしまったと言う事と、どうやって女の子を慰めれば良いのか判らないけれど、女の子を泣かした事がバレたら捲簾大将に何と言って怒られるだろうかと怖がっていたと言う事実があったりした。
問題は、女の子の声と姿が日に日に薄くなってゆく事くらいで。
「けど、それだって別に俺達のせいじゃないんだし!」
そうだ、子供に名前が無かったのは必要が無かったから。
名前を名乗るべき相手が必要が無かったから、けれど必要になってしまった。
無理に、連れて来られたから。
「落ち着けって、ちび」
「ちびじゃないし! 捲ちゃん!」
「そうではなくてですねえ……彼女、名前がないんですよね?」
見えませんが、と言わなかっただけでも天蓬元帥にはまだ良識があったと言えるだろう。
「そうだけど……だって、覚えてないって言うんだ。俺と同じで、だけど違うんだって」
悔しいと、ありありと浮かぶ感情を。
今まで、すねたところか笑っている所しか見た事がなかったのに。
数日見なかっただけで、子供は驚くほど表情を豊かにする。
「同じだけど……」
「違う?」
片や見えて、片や聞こえる人達は素直に首を傾げてみるが、見る事も聞くことも出来ない人はすっかりすねモードに入ったのか少し距離を置いてそっぽを向いてしまった。
大人気ない……と捲簾大将は思ったが、ここで言わないだけの知恵はあった。
「俺はなんで覚えてないのか覚えてないけど、彼女は……壊れるからだって」
「壊れるから覚えてないって、一体彼女には何があったんだ?」
「だから、それは覚えてないって事なんでしょう……捲簾、人の話はちゃんと聞かないといけないって成績表に書かれるタイプですよね」
視界の横で「なんだと、コラ」とか言っている不良天界軍大将の姿が見えたが、同じく不良天界軍元帥は綺麗に無視した。
「それでは、彼女に名前をつけてあげたらどうです?
金蝉、捲簾、貴方達何か良い名前は思いつきませんか?」
「オイ、貴様……」
いい加減すねモードも限界で、無視モードに入っていた金蝉は突然の台詞に爆発しようと心に決めた。
直後。
「天ちゃん……!」
子供が、金蝉の言葉をさえぎった。
「すげえ、すげえよ天ちゃん! 俺、ぜんぜん思いつかなかった……!」
その瞳に、強い力の光を宿して。
その動作の全てに、希望を込めて。
「んなの、誰でも思いつくことじゃねえか……天界一の策士にしては、ちっとばかり平凡な思いつきじゃねえの?」
というより、そもそもどうして少女が泣いているのか理由も聞いていないというのもある。
それはそれとして、確かに名前が無いと呼びにくいと言う話もあるが。
「だったら、捲簾は僕以上に何か素敵なアイディアがあるんですよね?」
無かったら許さない、と言う裏の意味の言葉を感じて、捲簾大将は少しばかり居心地の悪さを感じる。
「俺は策士じゃなくて大将だからな、そう言う意味じゃそちらの金蝉童子サマの方が良い名前つけてくれるんじゃねえの?」
「てめ……!」
「ああ、それもそうですね。
金蝉は何か良いアイディア、ありませんか?」
明らかに怒りの向けるべき矛先が違うと思うのだが……そんな台詞、天蓬元帥には通用しないだろう言う気が金蝉童子にはしていた。
「なんでもいいだろう、ポチでもタマでも……」
どこからどう見ても「面倒くさい」と言う意思を貼り付けられた台詞は、どう転んでも子供たちのお気に召さなかったらしい。
「おいおい、犬や猫じゃないんだからさあ……」
「似たようなモンだろうが」
違う、と言い切りたくない様な。言い切れないような気はしたのだが、少なくとも捲簾は相手の姿が見えるのだから言ってはならないと思った。
「金蝉、意外と趣味が悪いと言うかセンスがないと言うか……」
「やかましい、第一俺には姿も声もわからないのに、何をどうしろと?」
もっともな台詞ではあるが、いかな記憶喪失の常識知らずの子供とは言っても、名前に対するセンスが悪いと言うのは判ったのだろう……視界の真ん中近くで、養い子が女の子が居るらしい空間に慰めの言葉をかけている姿を見ると、流石に内心でへこんだ。
「そうだな……せっかく可愛い女の子なんだ、花にちなんだ名前なんかどうだ?」
「ああ、流石は捲簾ですね。女性に対する扱いに関しては天界一……歩く女性図鑑とでも呼びましょうか?」
「呼ぶな!」
花、と一口に言っても大量に存在するのは確かだ。
なおかつ、花の種類など大量にありすぎて子供にはわからない。選んであげれば良いとは言っても、花=綺麗くらいしか想像がつかない身の上では、何ともいえないのは如何ともしがたいものだ。
「天ちゃん……」
「仕方ないですね、とりあえず今日は一度戻りましょうか?
どうやら、彼女の方もそろそろお時間の様ですし」
金蝉童子は最初から見えないし聞こえなかったから判らないのだが、聞こえている天蓬元帥の耳には少女の言葉がどんどんかすれて雑音が増えてゆくのがよく判ったし、捲簾大将に至っては姿がちらちらと横線が入ったりして見えづらい状態になっていた。
少女は、一日のうち限られた時間だけこのあたりに現れると言う。
今まで天界の、こんな天帝の近いところで何もウワサにならなかったのは、こんなハードピクニックと言うにはハードすぎる場所までわざわざ出かけようなどと言う物好きが居なかったからに過ぎない。
「明日、きっと来るから。そうしたら、名前付けるから!」
子供の言葉がわかったのか、少女はその姿を……消した。
ただ、消す瞬間に「あと……」と最後のともし火の様に言葉をつなげようとした事。
それだけが、なんだか癒えぬかすり傷がごとく残ってしまって。
「きっと、来るから……」
子供の呟きだけが、ただ風にさらわれた。
捲簾大将は、その絶対数の決して多いとは言えない体験からぼんやりと考える……風だけは、どこにあろうと自由に吹いているものなのだと。
否、自由でありたいと言う主張なのだろうか?
だから、それを予感だとか予感めいたものだったのだと言うのは後から幾らでも出来る事で。
「天ちゃんも、金蝉も、捲兄も、後で考えるの手伝ってくれよな……ああ、どんなのがいいかなあ!」
泣いていた、子供。
紛れもなく泣いていたのは確かで、けれど今は泣いていない。
泣いているのを堪えているだけだと言う見方もあるが、確かめようとする無粋な真似をする者はなかった。
「なんでもいいだろう、んなの……」
舌打ちをする保護者に、冷たい視線が投げかけられたのは言うまでもなく。
「いいか? あーゆう男にだけはなるなよ?
女の子の名前にポチだのタマだのつける様になったら、どこに居ようとぶちのめすからな」
「う、うん……捲兄……」
見なくても「けっ」とか言っているのが見えたが、とりあえず無視した。
「そうですね、思い切りセンスと言うか人間性とか疑われてご近所から白い目で見られて、あげく出したゴミまで開けなおしてチェックとかされたら恥ずかしくて外にも出られませんね」
「その前に、テメーは片づける所から始めろ!」
捲簾大将の台詞は至極もっともだったが、天蓬元帥は無視した。
だから、誰かは気がついて誰かは気がつかなかった。
行きより、遙かに四人とも饒舌になっていた事を。
まるで、すでに出ている答えに対して少しでも逃げようと、先送りにしているかの様だった事を。
故に、この物語はあと僅かに続く事になる。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
|