マグリットに捧ぐ


― I. 秘密の遊戯者 ―




「……これは何ですか?」

遠征から帰って、久々にの部屋を訪ねた天蓬の、第一声がこれだった。

「何? って言われてもねぇ」

予測どおりの反応に、はくすくすと笑った。彼が覗き込んでいる本は、彼女の秘蔵の画集だ。
天蓬に負けず劣らず、読書家で蔵書家で変わったモノが好きな女性だが、彼らの傾向は微妙に違う。天蓬のコレクションが歴史的資料を中心とするのに対して、の所蔵品は文学や美術に偏りが大きいようだ。
そして、その開きっぱなしになっていた、彼女のお気に入りの画集の表紙には、下界の異国の文字で「Rene Magritte」 と、書いてあった。

「タイトルは『秘密の遊戯者』。画家が29歳の時に描いた物だから、結構初期の作品ね」
「それは解説を見れば判りますけどね」

嘆息しつつも天蓬の目は絵に釘付けだ。片側だけに緞帳のような赤いカーテンがかかる画面。低い塀のついたT字路に並ぶ九柱戯のピンには、満開の桜の枝が生えている。洋服箪笥の中のマスクとコルセットをした女性。バットとグラブを持つ無表情な男たちの上には、巨大な亀が浮かんでいる。
背景は黒い闇。正確なデッサンで詳細に描き込まれたオブジェや人物が、かえって現実感を希薄にしている。

「貴方の部屋だって、女の子の人形が首振ってたり緑のカエルがバンザイしてたり白鬚のおじ様が鎮座してらしたり、結構不可思議な空間じゃないの」
「ああ、あれね。捲簾が『怖いから片付けろ』って、あらかた物置に持ってっちゃったんですよ」
「ああ残念。やっぱり仕舞われちゃったのね」

どちらかというと、あのシュールな置物達を『怖い』と言う捲簾の方がまだ、天界では常識人の部類に入るだろう。
長く平和が続いて文化が爛熟すると芸術も色々な方向に特化していくものだが、天界では、写実的で絢爛豪華な美術が好まれる。こんな世界では、所謂、「超現実主義」を解する者の方が、よほど変わり者に違いない。

「私はね、その絵みたいなのは、大好きよ」
「………………」
「色や形が美しいだけの物なんて、つまらないわ」
「………………同感ですね」

天蓬の呟きを聞いて、は会心の笑みを浮かべた。やっぱり、この人なら同意してくれると思っていた。

「天蓬。貴方は、この絵をどう思う?」
「興味深いですね」

天蓬は、眼鏡をすいと中指で直し、の顔を見直した。

「1つ1つのモチーフはとても写実的ですが、配置の仕方が絶妙です。意外性を持たせる効果が、最大限に出ていますね」
「そうね。言葉で表すなら、そういう言い方も出来るでしょうね」

は彼のそばに寄ると、ページをパラパラとめくって見せた。
次々と現れるのは、コントラストの強い鮮やかな色彩で描かれた、不思議な物体達。
その1つ1つを、彼女は愛おしそうな面持ちで、うっとりと眺めている。

「凄いですね。まるで至高の宝石を眺めているような目をしてますよ。貴女」

多少の嫉妬すら覚えて、天蓬は彼女の様子を見ながら苦笑した。

「この絵は、貴女の目には、どう映っているんでしょうねぇ」

はにっこりと笑って、人差し指を唇にそっとあてた。
言葉で表せるのなら、教えてあげるのも良いかもしれない。でも、そんな事、とても出来ない。

「そうね…………。それは、秘密よ」









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