アルキメデスの螺旋西南の棟に面した広場で、東方軍の兵士たちが何やら作業をしている。 何の約束もなく訪ねてしまったのだが、仕事中ならば遠慮した方が良いだろうか、とは逡巡した。もっとも、機密書類がどさどさと無造作に置かれている天蓬の私室や、酒を飲みながら声高に軍議をする捲簾の私室に出入りしている時点で、今更仕事とプライベートの線引きをしても手遅れだ。それに、本当に部外者に見せられないようなものなら、こんな居住区近い場所で作業などしないだろう。 気を取り直して近づいていくと、指示をしているらしい捲簾の声が聞こえてきた。 「……に気をつけて外せよ。分解済みの奴は泥を落として奇麗に洗っとけ。……」 角を曲がると、大きな筒状の装置が目に入った。 取り外された各部品に部下たちが懸命に水をかけていた。こんな目に付く場所で、武器の手入れなんてしてても良いのだろうか。 「捲簾!」 「よう、。来てたのか」 捲簾は近くに居た部下に、更に二、三指示をすると、彼女が立つ渡り廊下に大股で近寄ってきた。 「やあっと帰ってこれたぜ。すまねぇな、今回は土産は無ぇんだ」 「知ってるわ。遠征は苦戦続きで人手が足りなくて天蓬はすこぶる機嫌が悪くてやっとの思いで帰ってきたのでしょう?」 「……何で知ってんの?……って、ま、蛇の道は蛇ってか?」 はあの観世音菩薩の直下で勤務する女官だ。女の身とは言っても、興味があるなら軍の情報など幾らでも入手できる。彼女の上司も、部下に極秘情報を吹聴するのなど日常茶飯事だ。要は面白ければ良いのだ。 「で、今回の遠征で活躍してくれた武器を、こんな人目につくところで手入れしていても良いのかしら?」 「武器じゃねぇよ。あれは」 捲簾が示す先で、部下たちが先ほどの大筒の汚れを丁寧に洗い流している。中筒と外筒に分かれているらしく、抜き出された中筒には螺旋状の羽根がついている。 「あれをぐるぐるぐるっと回すんだよ。そーすっと、水をだばだばくみ上げてくれんの」 「揚水機?」 「そーそー。それそれ」 ドリル掘削や、ネジの回転の原理の逆である。斜めに固定した筒の中で螺旋形の筒を回すことによって、流体を上へ向かって汲み上げていくことが出来る。 「下界の奴らは『龍尾車』って呼んでたけどね」 「『アルキメデスのポンプ』ね。私も現物を見るのは初めて。面白いわ」 「いや、今回の仕事場は雨季な上に水はけやたら悪くってよ、宿営地やら塹壕やら、貯蔵庫にまで水が溜まって溜まって。も〜タイヘン」 「それで、どんな大砲よりも、あれに助けられたって訳なのね」 「そゆこと」 見てみれば、傍らの地面には既に、長いホースがきちんと巻かれて置いてあった。その渦巻き型をつま先でつつきながら、捲簾はにやりと笑って片目をつぶって見せた。 戦場での出来事を話す際、彼が笑って話す時ほど苦しい思いをした事を、は知っている。 戦と言う物は、土地環境の慣れ不慣れだけでも大きな影響を被る。『天の時は地の利に如かず』と言う。まして今や、天界の上層部のやりようと、捲簾らのような現場指揮官の意識の間には、既に修正出来ない程の捩れが生じている。それでも、命令があれば部下たちを死地に差し向けねばならない。……この情の篤い男性には、さぞ、辛かろう。 僅かに眉を寄せて思案するの目の前で、戦地で彼らを助けていた装置が奇麗に洗われていく。 「よーし。元通りに組み立てろ。動作確認してから、倉庫にしまうぞ」 の立つ渡り廊下の欄干に寄りかかったまま、捲簾が楽しそうに指示を出す。部下の1人が「大将、作業中に自分だけデートはずるいっすよ」などと言い、皆がどっと笑った。も微笑んだ。 「随分と人望を集めておられるのね。捲簾大将」 「まあね」 組み立てられた螺旋が唸りを上げて回り始める。 残った水飛沫が、重力に逆らって空中に吹き上がった。 「凄ぇだろ?」 「ええ」 人が考え創り出した、物理に則って、物理に逆らう原理。 「人間の考えることってなぁ、凄ぇよなぁ」 世界の中心たる天界に生まれながら、捲簾の独白には、どこか、地上に向かう憧憬が感じられた。 飛沫が天宮の中庭に虹を描く。 それを仰ぎながら、も考える。 この人もまた、彼自身の速度でここより離れていくのだろう。 |