ベルヌーイの螺旋天蓬の方から訪ねてくるなど、珍しいこともあるものだ。 困りはしないが意外には思いつつ、は彼を部屋に招きいれた。 「お裾分けですよ」と差し出されたケースを彼女は受け取り、そっと蓋を開けた。 ケースの中には、こぶし大ほどの半球型の石が1つ。平面部分は滑らかに磨きこまれ、その表面には巻貝の断面のような、渦巻き模様が浮き出ている。 「化石?」 「アンモナイト、って言うんです。1つ差し上げます。内緒ですよ」 下界から持ち帰ったものは、本来なら、無許可で外部に出してはいけない筈だが、分かっていて全く頓着していないのが如何にも天蓬である。 「今回の仕事場は中生代の地層がよく露頭に出てまして、面白かったですよ」 「お仕事は?」 「ちゃんとやってきましたから。ご心配なく」 採集と研磨は誰がやったのかと問うと、案の定、お馴染みの名前が当たり前のように挙がってきた。「場所の特定と機材の調達は僕がやったんですから」と、何食わぬ顔で天蓬は付け足した。 将官級とはいえ、前線の現場指揮官である。仕事中に業務をこなしながらこんな事をやっていても良いのだろうか。いや、そもそも発掘などしている暇がどこにあったのだろうかとは考えたが、それを天蓬に問いただしても詮無い事だと思い直した。 後で捲簾にでも聞いてみよう。……まさか、加工まで前線でやっていたのではあるまい。 「……何でも器用ねぇ、捲簾は」 「僕のことは褒めてくださらないんですか?」 「あら、御免なさい。ええ、嬉しいわ、有難う。天蓬」 ころころと笑って、は天蓬の頬に唇を寄せ、彼も笑っての額にキスを返した。 鉢植えの並ぶ、明るい窓際の席を天蓬に勧め、は2人分の茶器をしつらえ、湯を注ぐ。天蓬は、深く椅子に沈みこんで、茶珠がゆっくりと開いていくのをぼんやりと眺めている。は、茶葉の花が咲くグラスの片方を彼の前に滑らせた。そして、開けたままのケースを再び手に取り、暗灰色の石の中に浮き上がる、褐色の螺旋形を指でなぞった。 「本当に、綺麗な形ね」 「そうですね」 天蓬は深く頷いた。 「自然物の形は論理的に美しいものなんです。と言うか、僕たちが美と感じるのがそういう合理性なんですよ。この等角螺旋はひまわりや松の種の配列と同じで、常に黄金比の長方形に内接する形なんですから」 茉莉花の香りが辺りに漂う。 化石を手に取ったまま、は、傍らの鉢植えの花を見やった。 「薔薇の花びらの並び方もそうだったわね」 「木の枝の生え方なんかもそうですよ。つまり、生物にもともと備わっている曲線だと言っても過言じゃありません。どんな芸術も、究極に突き詰めていけば自然の造形に戻って行く。なまじ理性を持ったが故に、文明は愚かしい遠回りをしているんじゃ無いでしょうかねぇ」 些か投げやりに語尾を放り投げて、天蓬は音を立てて茶を啜った。器の底で、茶葉の菊がゆらゆらと揺れる。 何だか随分苛立っているように見える。 「大丈夫?」 「……すみません。流石に疲れてるみたいですね」 吸っても良いですか?などと一見律儀に聞いておきながら、彼は返答も待たずに煙草を取り出した。は無言で、静かに玉の灰皿を差し出した。 捲簾と言い、天蓬と言い、やはり今回の仕事から帰ってからは、どこか、いつもと違う。但し、天蓬の抱えている不満は、捲簾が隠している悲哀とは、恐らく、別の物だ。 彼は、苛立っているのだ。下界に跋扈する妖怪や魑魅魍魎を制圧するのも、腐敗した天界の政治を一掃し立て直すのも、彼に全てを一任されればいくらでも策を講じることが出来るだろう。力で捻じ曲げることもせず、誰も気付かぬほど自然に、可能な限り短時間で目的を達することが出来るように。 なのに、彼自身に上から提示されるのは、中途半端なノルマと、限定された手段のみ。愚者の思惑に振り回されて自分の行動を制限されるなど、彼にとっては我慢なるまい。 天蓬は、ひと吸いした煙草で、灰皿をトンと叩き、やや自嘲的に笑った。 「ま、すべての芸術は自然の付属物だ、って言ってた人間も居ましたからね。自然を見て厭世観に苛まれるのはきっと僕だけじゃありませんね」 「そうね。自然は至上の建築家だ、と言った芸術家も居ることだしね」 褐色に鈍く光る、巻き貝の断面をなぞりながらは薄く微笑んだ。 いつの間にか日が傾き、橙色の濃くなった陽光が茶器の上に長く葉の影を落とす。その光の線を、天蓬の吐くアークロイヤルの煙が粒子を輝かせながら横切っていく。 今、煙草をふかしながら彼がぼんやり見つめている景色は、此処に在るものでは無いような気がした。 捲簾から感じたものとよく似た感情。やはりこの人も、と、は思った。 天の中心を常に同じ角度で見つめながら、彼はきっと、等比級数的に美しい軌跡を描いて、天から堕ちて行くのだ。 |