銀 河「ふうん。ナタク、そんなこと言ってたんだ」 金蝉童子の居室からさほど遠くない中庭で、2人は並んで腰を下ろしている。 満天の星が輝く深い紺色の空を見上げて、悟空がぽつりとつぶやいた。 は、黙って頷いた。年端も行かぬ少年に、思いがけず、自分の感傷を吐露してしまったのを、些か恥じているようだった。 「お慰めしようと思っていたのに、返って辛い思いをさせてしまったわ。本当に、女官風情が思い上がったことするもんじゃないわね……」 こんな台詞、天蓬の部屋では決して吐けない。そんな事をしたら、にっこり笑って叩き出されるに違いない、と、は更に自己嫌悪の溜め息を漏らした。 悟空は、そんな彼女の顔を心配そうに見上げ、そして膝を抱えて考え込んだ。 季節の巡ることのない常春の天界の風が、暖かく2人を包み込み、そして、通り過ぎていく。 「ナタクって、そんなに父さんのことが好きなんだな」 「…………ええ」 「でもさ、ぜんぜん似てないの?」 「…………」 更に顔を曇らせたを見て、悟空は困り果てた。 彼は星空を振り仰ぎ、そして、ふと何かを見つけたような顔をし、その何かを確認するかのように頬杖を付いて沈思した。 暫しの沈黙の後、悟空は、大きな目をゆっくりと開いて、前を見つめたまま語り出した。 「俺はさ、父さんとか母さんとか最初っからいなかったから、よくわかんないんだ。金蝉だって、いろんな人から聞いてる父さんとか兄ちゃんっていうのとは違う気がする」 は答えない。答えられない。 この少年もまた、肉親も無く、天涯孤独で天界に連れてこられた小さな子供なのに。 ……ああ、また私は、己より小さなものに甘え、頼ってしまったのか……。 の視界の隅を、星が1つ流れた。それを大きな目に映して、しかし、悟空は笑った。 「でもさ、俺、別に金蝉と俺の何かが同じじゃなきゃ嫌だなんて、思わないよ。全部違ってても全然かまわない。金蝉のそばに居られれば、俺はそれでいいんだ。」 は、目を転じてまじまじと彼を見つめた。 悟空は、そんな彼女の視線に惑いも無く目を合わせ、また、嬉しそうに笑った。 「それに、俺とおんなじ奴もちゃんといるもの」 言うなり、彼は跳ねるようにぴょこんと立ち上がった。そしてそのまま、足下の地面をどんどんと踏みつけた。 手加減を知らない幼子が、その拙い愛情をぶつけるように。 「俺、大地から生まれたんだって、金蝉が言ってた。観音のおばちゃんも。大地ってこの地球の事で、地球も1つの星なんだって、天ちゃんが言ってたよ」 そして彼は、空を仰いだ。星の降る頭上に両手を伸ばして、悟空は言った。 「なら、俺の兄弟は、あの星のどれかなんじゃないかな」 斉天大聖……と呼びかけてしまいそうになって、は息をのんだ。空を悟るもの。金蝉童子の命名は、偶然なのか否か。 何か偉大なものに相対しているような畏怖を抱きながら、は、目の前の子供を見つめた。 悟空は、また少し、心配そうな顔になって、彼女をのぞきこんだ。 「……なあ、。こんな考えって、ヘンかな」 「えっ?。いえ……、いいえ!」 彼女は慌てて打ち消し、そして、悟空に向かって微笑んだ。 「とっても、貴方らしいと……。いいえ。貴方のその考えが、いちばん正しいのだと思うわ」 「えへへ。そーかな」 にかっと笑って、悟空は嬉しそうに頭をかいた。彼の背後でまた、星が筋をひいて流れた。 は、その悟空の頭をそっと抱き寄せて、呟いた。 「この宇宙はね、出来た瞬間からずうっと膨張し続けているんですって。だから星々の数は、創世のときからずっと、増え続けているのよ」 そして、身を離すと、彼の大きな目を見て言った。 「つまり、あなたの兄弟は、たくさん、たくさん居て、今も増え続けているのね」 「そっかぁ」 悟空も、安心したように満面の笑みで答えた。 「俺が金蝉さえ居れば全然寂しくないのは、兄弟がいっぱい居るからなんだね」 ちりりと、の心を、何かが焼き痕をつけて通り過ぎて行った。 それを顔には出さず、彼女は悟空に笑いかけた。 「那咤様とあなたが兄弟になれれば、あの方も寂しくはないでしょうにね」 「うん。でも、俺はナタクの事、兄弟みたいに思ってるよ。だから、今度会ったら言ってやるんだ」 悟空は顔を上げ、星空を振り仰いだ。 天に満ちる兄弟達に向かって、彼は手を差し伸べる。 「ナタクだって、寂しがることは全然無いんだって」 星が幾筋も、彼らの前を流れ落ちていく。 まるで星々が、悟空の言葉に答えたかのように見えるのは、きっと偶然なのだろう。 地上の桜は、何も知らぬ気に花びらを散らしている。 「風が出てきたわ。そろそろ帰りましょう。童子様にご心配をおかけしてしまう」 「うん」 も立ち上がり、裾に付いた塵を払った。 彼女が見上げた空にも、淡く輝く銀河が一筋。 (天蓬にこの話をしたら、どんな顔をすることだろう……) この胸だけに納めておくには、大きすぎる言葉を聞いてしまった気がする。 結局、天蓬にはにっこり笑いつつ怒られてしまいそうだ、と、は思った。 |