DNA公式の場で彼を見たときは、人形のようだ、と、思った。 事実に基づく先入観もあっただろう。彼は、公の「道具」であったのだから。 観世音菩薩の執務室で書類を纏めていると、半開きの扉から、こっそりと入ってくる小さな影が見えた。 一瞬、金蝉童子の所の悟空かと思ったが、裾の長い白い装束は彼のものではない。ここの主は「ちょっくらサボって来る」と欠伸混じりに宣言して出て行ったので、もう小一時間ほどは戻らないはずだ。は、束ねた書類をゆっくりと机上に置き、何とはなしに足音を殺してその影に近づき、声をかけた。 「何か御用でしょうか?。那咤太子様」 彼は、本当にバネ仕掛けの人形のように飛び上がり、ぺたんと尻餅をついた。 くるりとこちらを向いた顔の中央で、大きな目がまん丸く見開かれていた。 「わ。びっくりしたぁ」 「それはご無礼仕りました」 は、何食わぬ顔で一歩下がると、するりと膝をついた。子供とは言え闘神太子、身分は遥かに違う。 「お前、誰だ?」 「と申します。観世音菩薩様のお手伝いをさせて頂いております、女官にございます」 「ふーん」 彼は、しげしげとの顔を覗き込んだ。 は、顔をゆっくりと上げた。女官風情が彼に視線を合わすのを、闘神は、咎めはしなかった。 「お前、以前にも見た気がするな」 「金蝉童子様の御座所で、お目にかかったやもしれませぬ」 天蓬が、言っていた。 当代の闘神である少年は、悟空と仲の良い友人であると。 ……それが哀れだと。 「あっ。思い出した。あいつが言ってた、なんか天蓬元帥のとこによく来る、色々教えてくれる女官がいるって。お前のことか」 ぽんと手を打つと、少年は、にかっと笑った。 「『天ちゃんとおんなじくらいいろいろおしえてくれる』つってたぞ」 「恐れ多いことにございます」 はまた、深く頭を下げた。 目の前で笑うのは、まさに、少年。彼が心を許したものの前だけで見せる、生のままの彼なのだ。 しかし、頭を垂れたままのを見て、那咤は、ほんの少しだけ不満そうな顔をした。何かを誤解したのかもしれない。 彼は「ふん」と呟くと笑みを収め、暫し考え、そして目の前の女官を見下ろした。 「天蓬元帥と並んで博学を謳われるのなら、丁度良い。ひとつ、教えて欲しい」 「何なりと」 那咤の表情はすうと薄くなり、そして、完全に無くなる直前、僅かに歪んだ。 「子は母の血肉を糧に成長し、母の胎から出る。ならば、父親と子の間の繋がりは、一体何だ?」 人形に戻りきる直前の声音、そこから滲み出てくる何かを、は感じた。 「俺の血と父上の血は、一体何を同じくすると言うのだ?」 彼女は、また、静かに顔を上げた。 「我々天界人は、自分の身体についての研究は禁じられております。定説ではありませんが、概ね下界の人間と時間的な老化の速度が違うだけであると考えられております。それ故、その人間の血縁についての説明にて代えさせて頂くことになりますが、宜しゅうございますか」 「うむ」 「では、……お手を、とらせて頂けましょうか?」 は、差し出された手をとり、そっと手のひらを上に向け、灯りにかざした。 小さな子供の手に、薄赤く、血の色が透けて見えた。 「那咤さまの体内にも、赤い血が流れております」 「一応な」 駄々をこねるような口調に、は、ほんの少しだけ微笑んで、続けた。 「この赤い血の中には、小さな小さな粒が幾億幾万、数限りなく流れております。その粒の核となる物質の中には、更に小さな螺旋の紐が詰まっているのです」 「らせんのひも?」 「はい。我々文官が扱う文書も、量が多くなれば綴じたり巻いたり致します。そうやって血の一滴の中の、更に微小な粒の中に、お父上から受け継いだ膨大な印が全て記録されているのです」 「ふうん」 彼の目が、興味深げに真ん丸くなる。やはり、悟空と同年代の子供の顔だ。 「正確には、お父上からのものが半分。お母上からのものが半分。髪の色、目の色、顔の形、どのように配するかは、全て偶然に拠るもの。神のみぞ御存知の事でございます」 「神のみぞ……か?」 「そうですわ」 何だか滑稽で、2人は顔を見合わせて笑った。 暫くの笑顔の後、那咤は突然黙り、また何かを考え込んだ。そして、先ほどとは少し違った固い表情で、に問いかけた。 「もう1つ聞きたい」 「はい」 「俺は、父上に似ているか?」 は、はっとした。彼の父親、李塔天。心あるものには既に、その本性に気付いている。 数瞬の躊躇の後に、彼女はつとめて微笑み、彼に、言った。 「ええ。那咤さまは、お父上によく似ておられますよ」 気休めではない、つもりだった。 しかし、は再び頭を下げた。彼の顔を、正視することが出来なかった。 「手間を取らせた。礼を言う」 「勿体無い事にございます」 床に下げたままの視界の中を、那咤の衣の裾が翻る。 扉を出ようとする気配に、ははじかれたように身を起こし、声を上げた。 「あの……!」 「?」 訝しげに那咤が振り返った。は、まるで独り言のように、言葉を繋ぐ。 「……金蝉童子様は、先ほど、中庭の方へおいでになりました……」 彼がまた、にかっと笑うのが見えた。 「…………さんきゅ。」 扉はぱたんと閉められた。 パタパタと、軽い足音が遠ざかっていくのを聞きながら、は身を起こした。 何だか訳も無く、切なくて、涙が出て、仕方が無かった。 上司は未だ帰ってこない。 もう暫くの間は、泣いても支障はないだろう、と、は、思った。 |