These ―― テーゼ




重たげに花を付けた薔薇の茂み。その向こうにゆらりと黒い影が射す。
その長身の影に向かって、茶器を持ったまま、は声を上げた。

「花を愛でるには相応しからぬお顔をしておいでですわ、捲簾大将閣下」

些か愉しげな響きになってしまったのは、致し方ない事だ。
黒い影は2.3度視線を宙に彷徨わせたが、深く溜め息をつくと彼女の方に歩み寄った。彼の眉間の皺など、滅多に見られる物ではない。

「やっぱ、軍議なんて俺の性に合わねーわ。煩ぇのなんのって、あんなの現場の判断次第だぜ。始めちまった戦争が予定通りにいった事なんかあるのか。ええ?」
「元帥閣下と喧嘩でも?」
「竜王の前で殴り合いが出来てたら、もーちょっと俺もスッキリした顔ができただろうな」

は、捲簾のその言葉にころころと笑うと、向かいの席を勧めた。
薔薇園の一角。小卓の上には茶器が一揃い。

「酒はねぇの?」

はにっこりと笑って袂から袱紗の包を取り出し、そして、捲簾の腰に下げた酒瓶を指した。

「盃なら、2つございますわ」






「それにしても……」

盃を干してからも、未だに何となく浮かない表情の捲簾に、は言った。

「大将閣下は、美しい花はお好きと聞いておりましたのに」
「薔薇は、あんまり好きじゃねぇんだよ」

彼は、手酌で自分の盃に酒を注ぎ足した。

「こんな風に…、赤くて、ぼたっと、咲くだろ。花びらとかの質感が、なんつーかこお……」

捲簾の口の端が僅かにせり上がった。きっと、本人は気付いていまい。

「……血、みてぇでさ」

は、自分の盃を卓に置くと、傍らに咲く花にそっと触れた。

「薔薇は色々な品種がございます。改良次第では青く透き通るような花すら、作ることは可能です」
「そんなのは『花』とは言わねぇんだよ」

捲簾は、ぐいと2杯目の酒を干した。

「自分で咲きたい色に咲くのが、花だろ。俺は温室の花も好きじゃねぇ」
「勇敢なる大将閣下は、いつもいつも戦いたいようにしか戦わぬと、聞き及んでおりますわ」
「ヤなこと言うなぁ。誰から聞いたんだよ」
「ほほほ」

楽しげな笑いだけを返して、は捲簾の盃に酌をする。

「元帥閣下の慎重論が、そんなにお気に召しませんの?」

意外に軽々と酒瓶を取り上げる彼女に、捲簾が、一瞬怪訝な顔をした。

「……お前さん、何者?」
「お気になさらず。一介の女官の戯言ですわ」

捲簾は、ふーん、と独り言のように呟いた。
その顔が、ゆっくりと、『軍人』のそれになる。

「全く、召さねぇな。天蓬の説には仮定が多過ぎる。奴に決断力が無いとは言わねぇが、今回ばっかりは、俺は譲らねぇぞ」

彼は、再び無意識に、にやりと笑った。

「牛魔王の残党は、生きている。今のうちに一気に叩けば殲滅できる」

の方は、自分の盃に口をつけると、また穏やかに反駁した。

「大将閣下のお説が外れても当たっても、危険はそれぞれ相当にございましょう。元帥閣下の主張は、部下の方々の御身を慮っての事と存じますが?」
「いいや。俺のやり方が絶対一番手っ取り早いんだよ。解決までの時間が短いってことは、トータルで見たら死ぬ危険も少ねぇ」
「万が一、死者が出た場合は、どうなさいますの?」
「死なせねぇよ。俺が」

音を立てて、捲簾は盃を卓に置く。

「悪いが、俺の辞書には『反証』って言葉は無ぇんだ。永い事生きてきて、修羅場も何度もくぐって来て、いつも、一番信用できるのは、俺自身の最初の感覚だけだ。誰かさんみたいに、古人の定説とか先例とか全然興味はねぇんだよ」

言うなり、す、と、風音も立てずに、彼の指が剣にも劣らぬ速さで、の顎を捉えた。

「その代り、自分の言いたいことを言いたいように言える女には興味あるなぁ」
「……私も天界の女。温室育ちには違いありませぬが?」
「いいや、あんたは違うな」

天界随一の将軍は、ゆっくりと、笑った。

「天界の花に、こんなに鋭い棘は無ぇ」






「……ま。アレだな」

そして、捲簾はそれ以上何もせずに手を引いた。

「『薔薇の木に薔薇の花咲く。何事の不思議なけれど』ってね」

は、一瞬目を丸くして、それからくすくすと笑った。
やはり、花愛でる将軍だけのことはある。

「よく、ご存知ですのね」
「……キッツイねぇ」

彼女はまた酒瓶を取り上げると、花のように微笑んで捲簾の盃を満たした。
そして、言葉には出さずに、自身の胸の中で独り、首肯した。



捲簾大将。天界で闘神とすら並び称される猛将。

この人の哲学に、反定立(アンチテーゼ)は、無意味だ。








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