Antithese−アンチテーゼ





薔薇園で捲簾と邂逅した次の日、明け方に、は天蓬の部屋を訪ねた。

丹精していた百合が美しく咲いたのでそれを束で持っていったのだが、当然の如く、彼の部屋に花器の類など無く、傍らに転がっていた手頃な青銅の壷に投げ入れで生けてしまった。
適当に選んだのだが、生けてみれば意外にも、その暗緑色の重みのある色に百合の白が映えていたので、は満足気に肯いた。そして書架を眺めながら、それまで口もきかずに本に没頭していた部屋の主に話し掛けた。

「一晩中、読んでいらしたのですか?」
「……そうですよ」

不機嫌だったのは、副官の方も同じだったようだ。

「実は昨日、捲簾殿にお会いしました」
「…………」
「大将閣下も、随分ご機嫌麗しくていらっしゃいましたわ」
「……………………」
「あの方も、面白い方ですわね」
「面白いもんですか、あれをこそ猪武者と言うんです。一緒に仕事してたら命が幾つあっても足りませんよ」

いきなり饒舌モードに入った天蓬に、は苦笑した。

「大体、何ですか。人の言う事を半分も聞いてませんよあの人は。話の内容に至っては、恐らく一割も理解してないんですよ。そりゃ確かに、今は僕の方が副官なんですから最終的な決定権は捲簾の方が持ってるんですけどね。僕は好んでこの位置に収まったんですからあーだこーだ言うつもりはありませんが、自分の補佐役も納得させられない指揮官が、現場で役に立ちますか?……」

百合の匂いが、天蓬の吐き出す甘い香りの煙と混ざって、不思議な空気を作り出している。は、彼の話を聞きながら、半ばうっとりと、その空気を吸い込んだ。……彼の薀蓄だらけの長談義を聞くのは、実は、彼女は好きだった。

「そもそもですねぇ、副官の仕事は指揮官の不足する資質を補完する事なんですから、僕の話が理論ばかりで机上の空論だというならそれは彼が馬鹿だからです。僕が好きでやってるんじゃありませんよ、全く……」

天蓬はやっと息をつくと、新しい煙草に火を点け、呟いた。

「牛魔王の一族は、完全に壊滅した訳じゃない。猪突したら足を掬われますよ」

は、使われていない灰皿を、そっと彼の側へ押しやった。

「捲簾殿は、その事を良くご存知でいらっしゃるようでしたが?」
「当然です。彼が自分で言わないだけです」

天蓬は、眼鏡越しに彼女を見て、にっこりと笑った。

「僕が知らないとでも、思っていましたか?」
「口惜しいですわね。驚いていただけると楽しみにしておりましたのに」
「それはどうも。それよりも僕が興味を持っているのは別の事です」

眼鏡の奥の瞳が、すっと細められる。

「一体全体、彼に何処で逢ったんですか?」

は、くるりと天蓬に背を向けると百合の花に手を伸ばした。
花形を整えるふりをしながら、彼女は微笑んだ。

「妬いてくださいますの?」
「否定はしませんよ」
「でも、私も些か嫉妬致しましたのよ。…………大将閣下には」
「彼は昔、僕の補佐役でしたし、僕は今、彼の補佐役です。僕らがお互いに表裏一体なのは必然で当然の事ですよ」

天蓬は立ち上がり、の背後から、そっと肩に手を置いた。

「僕としては、貴女まで彼に盗られてしまうと悔しい。それだけです」

は、くすくすと笑った。白い円筒形の花弁が、ゆらゆらと揺れる。

「喜ぶべきか、怒るべきか、迷ってしまいますわ」
「喜んでくださいよ。僕が女性にこんな事を言うのは稀有です」
「ならば、光栄に拝聴させて頂きましょう」

天蓬は、ふうと溜め息をつき、頭をがりがりと掻いた。

「ホントに、あの人は顔に似合わず美しい花には目がないんですから。しかも結構、審美眼が良かったりするのがなお始末が悪い。……ああ、そう言えば、見事な百合ですね」

唐突に話題が変わるのも、天蓬の話の特徴だ。は慣れっこである。

「匂いがお気に触りますか?」
「いいえ、嫌いじゃないですよ。そうそう、『おれの恋は、いまあの百合の花なのだ。』なんて話もありましたねぇ」
「ええ。その話は私も存じておりますわ」
「ああ、そうでした」

安心した風の天蓬が、また座り込んで異世界に旅立っていくのを、は楽しそうに見守った。
彼ら2人が天界軍随一のコンビだという訳が、よく判った気がした。



孤独だった彼らのテーゼは、今、やっと、止揚(アウフヘーベン)されたのだ。









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