「ったくよお、ちったぁ何とかなんねーのかあ?」
 がしがしと頭をかきむしり、その合間に何本かの紅色の髪が落ちたりするのは当たり前としても。どこかの物好きでもなければ他人の髪の毛など、普通は興味もないだろう。
「なあ、悟空?」
 先ほどまで雨に濡れて冷たいとか、ハラ減ったとか抜かしていた一見すると最年少な最年長と言えば。
「悟空? どうした?」
 雨の夜には機嫌の悪くなる三蔵と八戒は、それぞれの居場所に居着いたらしかった。幸い、旅の途中で見つけた家は大きめなもので。普段は使う人がいない代わりに旅人には自由に使えるようになっているのだろう、奥にはいくつか部屋があった様だし、多少は少なかったが薪もあった。ただ、残念ながら食料だけはなかったのだが。
 風邪を引きたい奴はひけばいいし、放っておいて欲しいと思うならば放っておけばいい。ただ、いかに三蔵に引きずられる傾向にある悟空と言えど、個人的に雨の夜が嫌いだとかダメだとか言った事は聞いたことがない。
「鳥……」
 頭にかけてやったタオルを、気づかないわけではないだろうが手にする事なく見ている。
 そう言えば、悟空はさっきから何かを熱心に見つめていた。
「鳥? こんな夜中に?」
 一瞬、どこぞの妖怪達の追ってだろうかと考えてしまった事を。責めるのは酷と言うものだろうか? 何しろ、これまでいつ死んだとしてもあまり疑問を感じさせないような目に散々合ってきたのだから。少しくらいは警戒心が付いたとしてもおかしくないだろう。
「妖怪か?」
「違う、普通の鳥……」
 じっと、見つめている。
 普段からみる、何も考えていないのではないだろうかと思ってしまう―――大体は何も考えていなかったりもするのだが。それでも今している表情とはちょっと違う。
「まったく……あれだよなあ、俺達も紅孩児達みたいな翼竜とかあればいいのになあ。
 白竜がもっとデカけりゃあなあ、山も河もあっさり越えるんだろうにな……」
「なんで?」
 真摯とも言えるまっすぐな瞳で見つめる悟空は、時にちくりと刺すものを感じる。
 本人は何もしていないのにも関わらず……それを弱さと言うのは簡単だが、それに耐えていくのは明らかに強さだろう。もっとも、それに強弱を求めること事態がそもそも間違っている様な気がするのだが。
「なんでって、そりゃあお前……雲の上を飛べば雨にも雪にも降られないし。河だって砂漠だってジープに乗るほどは苦労しないだろうが」
 何を当たり前な事をと言った様子で、悟浄が言う。
「俺……鳥は嫌いだ。羨ましいから」
 悟空にしては珍しい、率直な意見だった。
 嫌いだと言う割に見つめてしまうのは、言った通り羨ましいからだろう。
「でも、は言ったんだ。
 『帰る所が無ければ、誰も何も飛び立つ事は出来ない』って」
ちゃんね……」
 悟浄は会った事がないので何とも言えないが、問題がないのなら構わないだろうと思っている。
 何しろ、悟空と大差ないくらいの外見だと言うのだから。悟浄のストライクゾーンには遥かに遠い……とでも思っているのだろう。事実を知った時は不明だが。
「前に三蔵も言ったんだ、俺が鳥は羨ましいから嫌いだって言ったら。
 三蔵……『鳥が自由だなんて、一体どこのどいつが決めたんだ?』って」
「そーいや、お前は……」
「うん、俺は五行山に封印されてたから。どんなに力入れて出ようとしてもびくともしない鎖に、ずっとつながれてたから」
 雨には、不思議な力があるのかも知れない。
 浄化の力なのか、それとも癒しの力なのかも。
 もしくは、ほんの少し素直になる事が出来る力なのかも知れない。
 そう考えれば、三蔵や八戒が雨の日に無口になったり機嫌が悪くなったりする理由が出来て。酒の肴程度の笑いにはなるだろう……知られれば殺されるかも知れないが。
「ま、とにかくあれだ……あんまり思いつめてんじゃねーぞ」
 優しくする理由はなくて、ただ眠くなっただけだった。
 昔の事を知るいい機会かも知れないが、そんな事に興味がないと言うだけだった。
「答えは、出たの?」
 雨は止まず、鳥は飛ばず、小屋の中にいる様はまるで。
「いたんだ……まあ、森の中だし。当然?」
「……ほめて貰っているの、かしら?」
 幽霊ではない事くらい、見てみれば判る。
 虚空から現れたかと言われると、少し判断がつかない。
 だからと言って、ずっとそこに居たと言うわけでもないだろう。
「答えは出たの?」
 静かに、悟空は首を横に振った。
 いつかの答えも、これからの問題も、まだどこにも出ていないと。
「ならば、今は出ない答えなのでしょう」
 そう、まるで……たった今。
 悟空に呼ばれて現れたかの様な、そんな現れ方だった。
は知ってるの? 鳥が……」
「鳥は、鳥だから飛ぶ。
 魚は、魚だから泳ぐ。
 人の姿をした者達は、人の姿をしているから。各々の工夫と裁量で行くのだろうと、思っているから」
 悟空には、どうやらいまいち言っている事の意味が判らなかった様である。
「誰かは翼竜を使えばいい、誰かは変化したものを。車を、動物を、己の足で行けばいい。
 何が一番良いのか、それは誰にも判らないでしょう。何故なら、空を飛べば森の中は見えないでしょう。
 河を下れば空からの景色は見えないでしょう、砂漠に何が生きているのか。河から見る事は出来ないでしょう」
 ふわりと、が笑ったらしかった。
「空から見渡せるものは遠いかも知れないけれど、砂の一粒も葉の一枚も見ることは出来ない。
 何より……いつか、飛べば降りて来なくてはならないから」
「よく判らないけど……でも、いいや」
 悟空も、静かに笑ったらしかった。
 木の陰にいた鳥は、もう眠ったかそれとも居なくなっただろう。
 鳥は、空を飛ぶ。
 けれど空が自由だなどと、一体誰が決めたのだろう?
 空を飛ぶ者は、須らくいつか降りて行く。
 それが地上でも水中でも変わらず、樹の上かも知れない。
 機能がなければそこにいられない様に、けれどそれを選ぶことは出来るから。
「おやすみなさい、明日も早いでしょうに……」

 確かに、誰かは言った。
 鳥が自由だなんて、誰が言った?
 鳥は翼を休める場所があって、初めて飛べるものだと。
 では、誰も言わなかっただろうか?
 鳥が自由ではないなどと。
 休めなくても飛べる鳥だっているかも知れない。
 確かに自分達は鳥ではないけれど、少なくとも今の自分には既に。

「そうだね……お休み」

 雨の中に現れたも、鳥の話も。
 夢だと言ってしまえば簡単だ、証拠など何一つ残ってはいないのだから。
 紛れていた鳥が、まだ居たとしても人の言葉は話せない。
 立っていた筈の地面には、靴のくぼみすら残っていなかった。
 けれど、それを夢とするも現実とするのも同じ事なのだ。
 そう、どうやって旅をするのかを決めるのと同じ程度には。

「明日は晴れるかなあ?」









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