惜しむ莫かれ金縷の衣
八戒が、笑いながら話してくれた事である。
悟浄の行きつけの店に彼らがふらりと現れたと言うのは、少し前の事だ。
「行きつけ」というか、彼の場合は賭博が日々の収入源なのだから、「縄張り」と言っても悪くはない。その店で、やたらと目立つ、男前の(これは私の想像だ)2人連れが現れて、悟浄の心中が穏やかである筈が無いのは、私も想像に堅くない。
しかも、全ての発端は何かというと、その2人連れの背が高くてガタイが良くて黒い髪を短く刈った方で、酒を良くのみ良く笑いそれでいて隙の全く無い男が、に声をかけたというのだ。
は悟浄の恋人だ。少なくとも、八戒が言うのだから間違いはない。
悟浄は、数年来、特定の女性とだけの関係を持つ事は殆ど無かった。が、の、女性らしからぬさばさばとした性格や、自然に距離を保てるあっさりした付き合い方が、悟浄の性に合っていたようだ。何時の間にか、極めてさり気なく「悟浄に一番近しい女性」になり、そして、今までどおりの悟浄を、今までどおりにこにこ眺めている。八戒に言わせれば、「よく出来た女性」だ。彼女がそれだけではない事を、実は私はよく知っているのだが――――まあ、それはさておき。
そんな訳で、「悟浄の恋人」と言う暗黙の地位を得ていたには、まず、近在の腰抜け優男どもが声などかける事もほぼ無かった。が何と、いきなりぶらっと訪れた一見さんがそのを口説きだした。勿論、悟浄の目の前でだ。
は笑いながら、楽しそうにかわしていたらしい。彼女だって酒場に出入りしている大人の女だ。男のあしらい方くらい心得ている。
問題は悟浄のほうだ。そ知らぬふりをしてはいたが、いきなり勝ちがストップしたそうだ。八戒の言葉を借りると
「もう、気になって気になって仕方がないって感じで、こめかみの辺りがぴくぴくしてて、そりゃあ、見物でしたよ」
それは本当に見物だ。私だって見てみたい。何で呼んでくれなかったのよ。
で、熱心なそのお兄さんは、に条件を持ちかけたのだ。
「しょうがねぇなぁ。一発、俺様のカッコいいとこ見せてやんないと、駄目?」
「見てみないとわかンないけどねぇ。駄目とはいえないわね」
「んじゃ、ここに居る男共の誰でも、あんたが指名してくれ。そいつの決めた勝負で俺が勝ってやっから」
「……ふうん」
は暫く小首を傾げた後に、はっきりと言ったそうだ。
「じゃあ、悟浄。貴方が相手してあげて頂戴な」
その瞬間、酒場に広がった緊張感は、想像するべくもない。
さぞかし物凄いものだっただろう。
悟浄はのっそりと立ち上がり、彼の肩を叩いて部屋の隅の撞球台を指した。口元は笑っていたというが、それが、余裕の表れなのかに指名されて実は嬉しかったからなのか、はたまたただ単に勝負前の彼の条件反射からなのかは判らない。そしてその時八戒の隣で呑んでいたのは、酒場に似つかわしくない白衣にぼさぼさの長髪の彼の連れで、八戒が「良いんですか?」と聞くと、面倒くさそうに言ったそうだ。
「構いませんよ。殴り合いになっても怪我で済みます。僕らはプロですから」
「……プロの方だったんですか?」
「そーですよ」
「じゃあ、プロの方が素人に怪我させたらマズいんじゃないですか?。僕らは善良な一般市民ですから」
「捲簾が本気になったら、彼は死にますよ」
「…………なるほど」
何がどう「なるほど」なのかよく判らない気がしたが、それよりも、その隣で飲み続けていた長髪白衣の言動が、何となく八戒に似てる気がした。私が彼にそう言ったら、「やめてください。僕はあんなにずぼらで不潔じゃないです」と言い返された。
長髪白衣氏は、それ以上喋ることもなく、酒場のカウンターで眼鏡を光らせながら黙々と本を読み続けたそうだ。(携帯用らしく薄い本だが、中身は漢文ばかりで表紙に「杜秋娘詩」と書いてあったらしい)
呆れて見ている八戒の耳には、悟浄と対戦者氏の方の声が聞こえてきた。
「おい、おっさん」
「おっさんとか言うな。俺はまだ若いぜ」
「年寄りは大抵、自分で若いとかいうもんなんだぜ」
「ほお。んじゃ、相手を年寄りって決め付けたがるのは、ガキの証拠だな」
「ちっとばかり長く生きてても偉かねぇよ」
年寄りとか若いとか言う問題じゃない。これじゃ、子供の喧嘩だ。
八戒が内心頭を抱えると、黒髪軍服氏の声がこちらに飛んできた。
「おーい天蓬!、聞いたか。こいつ俺に『長く生きてても偉かねぇ』だとよ」
「全くもってその通りじゃないですか。」
八戒の隣の人物は本から目も上げずにばっさり返答し、怒鳴った方が不服そうに「ふん」と鼻を鳴らすのが、また聞こえてきた。
「おっさ――ん。友達甲斐のない連れだねぇ」
「ふん。あんな奴がトモダチだなんてとんでもねえ」
「俺んとこの同居人とそっくりだ」
「悟浄!。何か言いましたか?」
「……いや、別に」
八戒が怒鳴り返すと、悟浄は慌ててコインを投げ、対戦相手に言った。
「で、『誰でもいい』とか言った事を後悔させてやるぜ。流石は、目が高いよなぁ」
「何だ。あの姐ちゃん、お前のコレか?」
「おっさんが勝ったら教えてやるよ」
「上等だ、表。」
「裏。……ふん。俺が先だな。んじゃ、行くぜ」
悟浄が、意外に奇麗なフォームでぴしりと構え、次の瞬間、店内に玉のぶつかり合う音がはじけた――――――と、言う事である。
その勝負がどうなったのかは、私は、知らない。八戒は笑うばかりで教えてはくれなかった。
例の2人連れはそれきり二度と現れる事もなく、悟浄は目出度く、再び安心して稼げるようになった。
ただ、以前と少しだけ変わったのは、悟浄の浮気がずいぶんと減り(でも、全く無くなった訳ではない事も私は知っている)、を少しばかりは大事にするようになったと言う事である。
その事についての、私と八戒の意見は、一致している。
――――良い事である。
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