雪 蛍「…………降ってきたわ」 悟浄の腕の中で、華奢な体が僅かに身じろぎした。 「え?。音、全然聞こえねぇけど?」 「雨じゃないわよ」 「ああ…」 音がしねえって事は、……雪か。 彼の表情の微妙な変化を見逃さず、は微笑んだ。 「そんなに、お仲間の事が心配?。悟浄」 「まあね……って、何で知ってんの??」 悟浄の慌てた様子に、彼女はけらけらと笑った。 「伊達に、宿を何年も切り盛りしてきた訳じゃないわよ。お客の様子なんて、しばらく泊まってたら大体判っちゃうわねぇ」 そんな風に笑うと、少しだけ、昼間と同じ『宿屋の女将』の顔になる。 ベッドでの艶っぽい表情もイイが、彼女のそんなサッパリした所も悟浄には好ましかった。 「んじゃ、俺のことも何でもわかっちゃうワケ?」 「全部わかっちゃった男と寝たって、つまんないわよ」 「まあ、そうかもな」 悟浄がにやりと笑う。は、ゆっくりと彼の首に手を回すと、紅い夕日の色の髪に顔を埋めた。 「特に悟浄。貴方は判んない事だらけだわねぇ」 「そお?。すんごく単純に、『いい男』っつーことじゃだめ?」 耳朶に、くすくすと息が触れる。 「そうじゃなくってね……。アタシが知りたいのは、この髪とか…」 は、赤い唇で、悟浄の髪の一房を、ついと引っ張った。 「この目の色とか……」 「…………」 傷口をやんわりと撫でられたような顔をする悟浄を見て、彼女は得心した様に微笑んだ。 「お願い、教えて。…どうしてあの人と、おんなじ色なの?」 絶句する悟浄を抱きしめると、は目を閉じて、囁いた。 「もう何度も冬が来て、アタシはすっかり忘れていたのに。どうして、今頃、帰ってきたの?。ねぇ、……あなた……」 抱きしめる腕は固く、悟浄からは彼女の表情は見えない。 「…………、お前…?」 「死んだ旦那はね、貴方とおんなじ目と髪の色をしてたのよ。珍しい色だから、たまに聞いたりもしたけれど、結局死ぬまで教えてくれなかったわ。あの人、親兄弟も全然いないから、もう、誰にもあの人のことを聞けないの。ねえ、お願い、教えて。その目と髪の色の意味――――!!」 何も言えずに、悟浄は、の細い身体を抱きしめた。 そのまま、寝台に組み敷くと、語れぬ言葉の代わりと言わんばかりに、瞼に、肩に、乳房に、腰に、口付けて愛撫して歯を立てた。 「もう、思い出す事も、無かったのに……」 の唇が、一言だけ、つぶやいたが、後は、悟浄の愛撫に答えるかのような嫋々たる喘ぎ声だけになった。 ただ、彼女の両の目から溢れ出る涙は止まらず、悟浄はただ、彼女を力の限り抱きしめるしかなかった。 身悶える女の、抜けるように白い肌が淡く光って、まるで、蛍のようだった。 明け方、寝息をたてるを起こさぬよう、悟浄はそっと廊下に出た。 鉢合わせた八戒も、いつもの事と気にしない。 「おはようございます、悟浄。今朝は冷えますね」 「ああ。雪降ったくらいだからなぁ」 「降ってませんよ?」 「ああ?」 慌てて窓外を見ると、広がるのは灰色の冬景色。 どんよりとした空を見上げると、それでも、小さく、仄かな白い点が、ゆっくりと漂い落ちてきた。 「降ってんじゃん。ほら」 「ああ、あれは綿虫(わたむし)ですよ。寒くなるとふわふわ飛んでくる虫の一種です」 目を凝らしてよく見ると、その小さな点はただ1つきり、数を増やす事もなく、風に遊ばれながら木々の間に消えていった。 窓辺に立ちすくむ悟浄の顔を見て、八戒は少しだけ、優しげに微笑んで、言った。 「綿虫の別名を知っていますか?。 …………『雪蛍』って言うんですよ」 |