a fever「で? こんな時間に一体何の用?」 夜も更け、窓の外に見えた街の灯も随分と消えてしまった頃のこと。 は、突然の来訪者――三蔵を改めて正面から見据え、そう問い掛けた。 対する三蔵はと云えば、勧められるままに部屋に備え付けの椅子に座り、いの一番に煙草に火を点けていた。その場にずっと立ったまま、訝しげに首を傾げるの視線にもお構いなしで、黙々と紫煙を燻らせている。 壁にかけられた時計の針は、十二時をとっくに回っている。普通、女の一人部屋に男が来て良い時間ではない。廊下で立ち話も何だから、と部屋に招き入れてはいるものの、扉を開け放ったままにしてあるのは、一応のけじめというものだろう。 もう寝るから手短にね、と前もってが断っていたにも関わらず、三蔵は相変わらずの唯我独尊。そんな様子に、いい加減にしてよ、とばかりにが深くため息をついた。 「あのねぇ三蔵、貴方が何を考えていようと知ったことじゃないけど、こうして私を巻き込まないで頂戴。迷惑だわ」 ぶつける言葉に刺々しさが混じるのも、当然と云えば当然である。 いくらが旅馴れた身であるとは云え、一人旅と集団行動ではいろいろと勝手が違う。馴れぬ車での長距離移動も、頻発する戦闘にも結構こたえている。幸い、同行する彼らは揃って気が良く、あまり気遣う必要も無いので助かった。が、それでも、こんな毎日にもう少し身体が馴れるまでは、まだきつい日々が続くだろう。 休める時には、少しでも休んでおきたい。それだけに、三蔵のこの突然の来訪は、には迷惑でしかなかった。 用が無いなら自分の部屋に戻って、と、が言いかけたちょうどその時、 「何故、いきなり態度を変えた?」 「は?」 ぼそり、と呟いた言葉が、紫暗の眼差しと共に突き刺さった。 何を言っているのかが分からずに、が首を傾げると、 「昼間の貴様の態度だ。一体何のつもりだ?」 僅かに吊り上げた眉が、疑念の色を伺わせる。その様に、はようやく三蔵の真意を悟った。 そう。は今日になっていきなり、三蔵に『法師様』と敬語で話し掛けるのを、綺麗さっぱり止めていた。であるにも関わらず、悟空たち三人は何の指摘も追及もして来ていなかったのだ。 劇的な変化であった筈が、まるで以前からずっとそうであったかのように、全員がごくごく当然の事として受け入れていた。 その事実に、当事者である三蔵が、一種の疎外感めいたものを覚えるのも無理ないことではあった。 が、 ――まさか、拗ねてる……とか? 不意に脳裏に浮かんだ想像に、は一瞬軽い眩暈を覚える。 そんな筈はない、とは思いたいのだが、いまいち否定しきれない。旅に同行するようになって分かったのだが、この男は最高僧の地位に在る癖に、案外大人気ない部分が有る。いっそ蹴り飛ばしてやりたい、と物騒な衝動に駆られたことも、この数日の間に何度あったことだろう。 まるで駄々っ子を宥めているようだと、密かにため息をつきながら。は些か投げやりな口調で、 「別に、大したことじゃないわよ。ただ、夕べ、悟浄にちょっと突っ込まれたのよ」 「…………」 「貴方と私が知り合いだってこと、皆、もうとっくに気付いてたんですって。 だったら、もうしらばっくれる必要も全然ないじゃない? だから、敬語使うのも『様』付けも止めた。 ただ、それだけよ」 がたり。 不意に、三蔵が椅子から立ち上がった。 吸い終えた煙草を荒々しく灰皿に押し付けて消し、の方へと歩み寄る。微妙に怒気を放っているように見えるのは、多分目の錯覚などではないだろう。その雰囲気に気圧されて、は半ば無意識にニ、三歩後ずさった。 眇めた紫暗の眼差しが、真っ直ぐにを射抜く。随分と不穏な色合いを、その内側に孕ませながら。 「夕べ、クソ河童と何をしていた」 「…………はぁ?」 「あの成人指定生物と二人きりになって、一体何をやっていた。それとも貴様は、誰でもこうして部屋に入れてやるのか。 答えろ」 「………………」 凄んでピント外れな問いかけをする三蔵に、は今度こそ昏倒しそうになった。 一体何をどう考えて、そんな勝手に怒っているのか。それ以前に、何故にそこまで自分に口出しするのか。 悟浄とは単に廊下で立ち話をしていただけ、というのが真相であり、別にやましい事実など何もなかった。が、質問の内容がここまで馬鹿馬鹿しいと、真面目に答える気もしない。 何を怒っているかは知らないが、言いがかりなら止めて欲しい。つい、の口調も刺々しくなる。 「あのねぇ、私が誰と何を話そうと、貴方には関係ないでしょう。いちいち干渉しないでよ」 「………………」 「それに私も、誰でも部屋に入れてあげる程、お人よしでも無防備でもないわ。見くびらないで」 がふう、とあてつけがましくため息をつき、三蔵からふいっと視線を逸らした。 そんな態度に、三蔵の顔つきがますます険しくなる。 「じゃあ、何故俺を部屋に入れた」 「相手が三蔵、貴方だからよ。それじゃあ答えにならないかしら?」 「どういう意味だ」 「どうもこうもないわ。まんま、言葉どおりの意味よ」 だんだん論点がずれてきている。会話が支離滅裂になりつつあることに、三蔵は気付いているのだろうか。 噛み合わぬ言葉の応酬に、互いの不快指数が上がってゆく。 お願いだから、そんな眼で自分を見ないで欲しい。 特別に思われているのかと、自惚れたくなってしまうから。 「……『三蔵だから』、か」 「え?」 が視線を戻すより先に、三蔵がその細い手首を掴み上げた。 次の瞬間。強い力で抱き寄せられ、そのままもつれ込むようにベッドに組み敷かれる。 一瞬、驚きに目を見開いたの額に、頬に、吐息がかかる。その意外な熱さに密かに戸惑いながら、が改めて三蔵を見上げると、紫暗の瞳が獰猛な輝きを孕んでこちらを見据えていた。 「俺が『三蔵』だから、坊主だからとなめているのか。だったら、とんだ見当違いだな」 「…………」 「生憎俺は、神も仏も信じてねぇし、戒律なんぞ守る気もねぇ。てめェをここで犯っても、全然構やしねぇんだよ」 「……でも貴方、一つ、大事な事を忘れてない?」 酷く落ち着きはらった口調でそう言いながら、がある方向を視線で指し示した。 つられて三蔵がそちらを見ると、開け放たれた扉が目に入る。廊下に誰かが居るような気配は無いが、こんな大衆向けの安宿のことだ。いつ、誰が通りかかっても不思議ではない。 その事実をダメ押しするように、が淡々と言葉を続ける。 「もしも私がここで悲鳴を上げたら、間違いなく誰か飛んで来るでしょうね。 こんな所を見られたら、貴方、相当困ることになるんじゃない?」 「ふん。見られて困るのは、てめェも同じだろうが」 「残念でした。こういうシチュエーションでは大体、女は哀れな被害者で、男が一方的に悪人になるのよ」 「……てめェ、俺を脅迫するつもりか」 「あら、私は事実を述べただけよ。 それに私、『三蔵』以外の名前は知らないもの。他に呼びようが無いんだから、そんな事で怒らないで頂戴」 「…………」 ち、という舌打ちの音と共に、手首を戒めていた力が少し緩んだ。 その隙にがするり、と三蔵の身体の下から逃れ、部屋の出入口の方へと向かう。ドアノブに手をかけ、開かれた扉を更に大きく開きながら、強気な口調で言い放った。 「話はそれだけよね? だったら、もうこの部屋から出て行って頂戴。私、もう寝たいんだから」 「…………」 二人分の鋭い眼差しが、正面からぶつかり合う。が、すぐにがぷいっとそっぽを向いた。 胸の奥底に押し込めた動揺には、まだ気付かれていないようだ。今のうちならばまだ、いつもの調子で押し切ってしまえる。 ますます苛立ちを深める相手の視線を、ポーカーフェイスで完全無視しながら、は「早く出てって」と三蔵を追い立てた。 ――今夜は、何かが変だ。三蔵も、自分自身も。 安物のベッドが少し軋み、三蔵が立ち上がる気配を背中で感じながら、は密かに深く息を吐いた。 が、 「……俺に指図するとは、いい度胸だな」 ぱたん。 ドアが閉じられたかと思うと、次の瞬間、強い力で肩を掴まれた。 抗う間もなく、そのまま壁際に追い詰められる。目が逸らせずにいるのは、顎を掬い上げられたせいか、それとも何か別の理由か。 部屋の灯りを背に立つ三蔵の姿が、恐ろしく威圧的に見える。思わず、息が止まった。 「……本気?」 「さあな」 動けずにいるの額を、煌く金糸の髪の先端が掠める。 続きの言葉が、重なった唇の感触に追いやられ、形にならぬまま消え失せた。 |