Your Route,My Route― 1 ― |
「やっぱりね、来ると思ったわ。――三蔵」 閉店間近な夜更けの酒場の、カウンター席の一番端で、空になったグラスを弄びつつ。彼女―― は、無言で現れた法衣姿の金髪の男――玄奘三蔵に向かい、にっこりと微笑みかけた。 さして広くない店内は、閉店間際な時間とあって、他の客など一人もおらず。二階の宿へと続く階段も、照明が消されて暗くなっている。 そこから現れたのだから、勿論顔などよく見えていなかったのだが――それでも相手が誰だか分かったのは、偏に直感が働いたからに他ならず。 もしも勘が外れていたら、かなり間抜けな台詞になったであろうことは。勿論、ここだけの話である。 「……。お前、何故あんな所に居た?」 そんなの心中になど、当然ながら気付くこともなく。三蔵はさっさと隣の席を陣取ると、自身の酒を注文し、袂から煙草とライターを取り出して目の前に置いた。 が、しかし。そのような問いかけをしたにも関わらず、彼がこちらに視線を向けることはなく。 そんな素っ気無い相手の態度に、は「相変わらずね」と苦笑した。 「だから、あの時に言ったとおりよ。仕事の都合だって」 かちっ。 三蔵が煙草を一本、口に銜えたのを見て。は素知らぬ顔で自身のライターに火を点け、す、と目の前に差し出してやる。 そんな動作に、三蔵は一瞬ぴくり、と眉を吊り上げるけれど。特に何も言うこともなく、その火で煙草を点けてゆっくりと燻らせ始める。 続けて自分の煙草にも火を点けると、はふいっと相手から視線を逸らして。ゆっくりと紫煙を吐き出しつつ、改めてこう問いかけた。 「そういう貴方こそ、何でこんな所に居るのよ? 長安に居るんじゃなかったの?」 「……こっちも仕事の都合って奴だ。死ぬ程面倒くせぇんだがな」 「その割には楽しそうじゃない。一緒に居る三人も、揃ってとっても面白いし」 「冗談じゃねぇ。あんな連中、上からの命令でなきゃ誰が連れて来るか」 笑い混じりなこちらの台詞に、ふん、と忌々しげに鼻を鳴らして。三蔵は店主の差し出したグラスに口を付けつつ、忌々しげにそう言葉を吐き捨てた。 三蔵もも、互いに目は合わせない。適当に視線を宙にさ迷わせたまま、時折グラスを傾けるだけで。沈黙だけが存在する空間の中で、それぞれに燻らせる紫煙だけが交じり合い、ゆっくりと消えてゆく。 この無言が、不思議な程に居心地が良い。こんなに穏やかな気持ちになれたのは、一体いつ以来のことだろう。 無愛想な三蔵の横顔をちらちらと覗き見ながら、はふと、そんなことを思った。 と、その時、 「……五年前、か」 「え?」 「お前が最初に俺の前に現れたのが、だ」 ぽつり、と。三蔵が呟いた意外な一言に、が思わず目を丸くする。 そこまではっきり覚えていたのかと、内心ひどく驚きつつも。は少し微笑むと、ふっと静かに紫煙を吐き出して、 「そっかぁ……あれから、もうそんなに経ってるのね。もっと最近のことにも思えるのに」 「んなもんだろ」 からん。 手の中で、グラスの氷が澄んだ音を立てる。 そんな静かな横顔を、がじっと見詰める。が、三蔵は素知らぬ顔で煙草をふかして、 「時間の感覚なんざ、所詮はてめェの気持ち一つだ。 長く感じようが短く感じようが、過去は『過去』に違いねぇよ」 言いながら、唇の端だけで薄い笑みを浮かべる。 その言葉の内側にあるものは、勿論には判らないけれど。妙に冷め切った横顔 は、どこか自嘲めいた色を帯びているようにも見えるのは――こちらの、思い過ごしなのだろうか。 そんな相手のその様に、多少の戸惑いを覚えつつ。もまた、同じように煙草を燻らせて、 「……そうね。そんなもんかも知れないわね」 自身の思いを紛らわすべく、紫煙を思いきり深く胸に吸い込み、ため息と共に吐き出した。 が、しかし。吸い馴れている筈のその味は、何故かいつもより少し苦かった。 ――三蔵とが初めて出会ったのは、五年程前のことだった。 夜の森を焦がす炎に照らされて、むせ返るような血の匂いに包まれて。は追いすがる敵 と死闘を繰り広げ、三蔵は襲い来る刺客に応戦中だった。 あちこちから怒号と罵声が飛び交い、時折断末魔の叫びが上がる。そんな混乱と夜の闇の中で、偶然出くわしたものだから。三蔵は口を開くより先に、銃口をこちらに向けて撃鉄を上げていたし。は相手の正体を確かめる前に、手にした剣を突き付けていて。 互いを「敵ではない」と認識するまでに、ほんの数瞬だが時間を要した。 『――貴方、誰よ?』 『それが、人に物を訊く態度か?』 元々の性格や態度に加えて、状況が状況であっただけに。互いに抱いた印象は、最低最悪だったのだが。すぐにそれぞれの追っ手に見つかり、戦闘再開となったので。幸いというか何と云うか、そこで二人が不毛な喧嘩をすることはなかった。 周囲で燃え上がる炎の他には、光源など何もない混乱の中。状況は次第に乱戦の一途を辿り、を追ってきた筈の妖怪たちは、いつしか三蔵にも襲いかかるようになり。逆に三蔵を狙っていた筈の刺客たちも、にその牙を向けてきた。 そんな乱戦模様の中で。互いが敵ではないという僅かな信用と、戦闘に有利になるという利己的な打算も働いて。いつしか三蔵とは、互いに背中を預け合っていた。 『――女のくせに、なかなかやるな』 『貴方こそ。銃で妖怪ぶちのめすお坊様なんて、そう滅多に居ないわよ』 そんな会話を交わしつつも、三蔵ももその手を止めることなく、次々と敵を屠っていく。 そうして敵を殲滅した後に。敵の返り血で汚れきった相手の姿を、至極冷静な目で見据えながら。二人はようやく、互いに名乗り合った。 『……貴方が最高僧だなんて、世の中、何か間違ってるわね』 『貴様も、人のことは言えた義理か』 それぞれが相手に向けた言葉は、やはり辛口ではあったけれど。最初に顔を合わせたあの瞬間のような、殺伐とした敵意は微塵もなかった。 そして。森を焼く炎も次第に鎮まり、次第に明けてゆく朝の空の下。 二人は適当に話をしながら、近くの街へと歩き始めた。 |