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「何よ? 何かまだ、言い足りないことでもあるの?」

呼び止められた理由が分からずに、が怪訝な顔をして振り返る。
すると。三蔵は銜え煙草を燻らせたまま、の隣へと並び立ち、

「俺たちは今、三仏神の命令で西に向かっている。死ぬ程面倒くせぇ話だがな。
 天竺の咆登城で行われている、牛魔王の蘇生実験を阻止するのが、その目的だ」
「………………?」

いきなり何を言い出すのかと、は更に首を傾げた。が、三蔵はまるでお構いなしで、勝手に話を先に進める。
斜に構えた紫暗の瞳に、鋭い光を伺わせながら。

「牛魔王を蘇生するために、妖術と科学の融合――禁断の汚呪が、用いられている。
 桃源郷の妖怪が揃って狂暴化したのも、それが影響したんだそうだ」
「………………」
「その実験に、師匠の形見が――聖天経文が、使われているらしい。
 本当かどうかは、俺も知らんがな」
「!」

突き付けられた現実に、は思わず息を呑む。

「それって……!」
「――そういうことだ」

向けた問いに返された答えは、やはりひどく素っ気無い。
が。が全てを悟るには、それで十分だった。

――これで貴方もようやく、長年の悲願を果たせるのね。

刹那。の胸が、ずきり、と痛む。

そう。かつて自分も、ただ一つの目的のためだけに生きて――燃え尽きてしまった時期があるから。

幾ら似た者同士とはいえ、この男が同じ末路を辿るとは限らないけれど。
ずっと独りきりだった自分とは違い、この男の傍には、常に誰かが居るのだろうけど。
それでも――

「へぇ。随分、大変なことになってるのね。……それで?」

かすかに声が掠れるのを、ぎこちない作り笑いで誤魔化しながら、が更に問いかける。
すると三蔵は、

「――明日の朝、俺たちが降りて来るまでに、全部準備してここに降りて来い。
 遅れるようなら置いて行く。一分一秒も待つ気はねぇからな」
「………………は?」

唐突な話の展開に付いて行き切れずに、が絶句する。
その様を横目で睨みながら、三蔵はふん、と鼻を鳴らして、

「俺は嘘はつかん、と言った筈だ。それを、見せてやる」
「…………!」

まさか、と尋ねかけたに、まるで先回りするかのように、三蔵はこう言葉を続ける。
素っ気無い口調はそのままで。唇を、笑みの形に吊り上げながら。

「お前に、それだけの腕と意地があるんなら、の話だがな。
 最後まで行ける自信がねぇんなら、別に来なくても俺は構わん。足手まといに来られても、迷惑なだけだ」
「――何ですって?」

紫暗の瞳の挑発が、無性に憎らしい。
負けるものかと言わんばかりに、答えるの語調も熱くなる。

「ちょっと、今のは聞き捨てならないわね。この私が、足手まといですって?
 冗談じゃないわ。これでも私、剣にかけてはプロなのよ。バカにしないで頂戴」
「――ふん。口先だけでなら、何とでも言えるな」
「失礼ね、それはお互い様でしょう!?」

見据える瞳に精一杯の意地を込めて、が言う。

「――いいわ。その話、乗ってやろうじゃないの。
 そう言う貴方こそ、本当に大丈夫なんでしょうね? 口先だけで終わったら、私、本気で怒るわよ」

答える三蔵の瞳にも、不敵な輝きが見え隠れする。
抜き身の刃にも酷似した、研ぎ澄まされた輝きが。

「この俺に向かってンな口をきくとは、いい度胸だな、貴様も」

遅れんじゃねえぞ、と最後に言い残し、三蔵が一足先に場を後にする。その背に、罵声をさんざん浴びながら。
暫しの間を置いて、が「嵌められた」と気付いた時には――三蔵の姿は既に、二階の客室へと消えていた。

「……あの、詐欺坊主っ……!」

今更ながら、あまりにも悪どい相手のやり口に、は本気で腹を立てる。勿論、己の迂闊さ加減にも。
あまりにあまりな展開に、思わず目眩を覚えたと同時に――の胸の奥底で、何かが軋んで悲鳴を上げた。

先程まで余裕で笑っていたのは、の中に「自分は傍観者」だという認識があったからだ。
例え相手と自分に何があろうとも、こうして幾度もめぐり逢おうとも。所詮は一瞬だけの交差であり、それぞれに進んで行く道そのものは、決して同一化することはないのだと。

それが――あくまで一時的とはいえども、こうして共に行くことになろうとは。
巡る因業の皮肉さが、とてつもなく恨めしい。

「また私に、この目で見届けろ、と言うのね? 貴方は……」

我知らずこぼした呟きが、静寂の中へとにじんで消える。
聞かせるべき相手に、届かぬままに。

「……嫌な男」

後片付けを始めた店主が、遠慮がちに「閉店ですよ」とに告げた。
その声に、何とか微笑みで答えながら。は軽く頭を振り、自らの考えを打ち消しにかかる。
ちゃり。その拍子に、耳元でピアスが小さな音を立てた。

――今更ぐじぐじ悩むなんて、私の柄じゃないわね。

が踵を返したと同時に、店の照明が全て消える。
静かに更けて行く夜の気配を背に感じながら、はふと、左耳のピアスに触れた。
今の自分の誇りであり、戒めでもある己の剣に。

「昔は昔、今は今。私は私……よね。何があっても、結局は」

そんな呟きを一つ残して、は改めて歩き出す。迫る暗闇に背を向けて、胸に押し寄せる感傷を打ち払って。
今、ここに在る自分自身は、決して過去と同じではない。決して、同じであってはならない。
自分にそう言い聞かせながら、は無言で店を後にし、二階へと続く階段を昇り始める。

と、その時、

――明日の朝、悟空たち三人には、どんな顔をして会えばいいのかしら?

ふと、そんな重大な問題が、の脳裏を一瞬よぎった。








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