指 針


― 1 ―



 そこへの行きかたを、どうにも当事者は覚えていなかった。
 三蔵法師一行の率いる、一番のお子様であり最年長者であり、最も童顔であり、誰よりも残酷で無慈悲な無邪気さを併せ持つ存在―――ただし、現在の彼はほとんどを記憶と共に失っている。
「やれやれ……確か、このあたりだと思ったんですけどねえ?
悟空の話は要領を得ませんし。まあ、致し方ないのですけど」
 額には、流石に汗がうっすらと浮き出ている。
 片目にはめたモノクルが、少し光を放っているくらいだ。とりあえず、仲間達が見れば三歩ほど後ろに下がってしまうだろう……つまり、彼はどうやら「面白くない」とでも思っているのかも知れない。
 少し前、三蔵法師とその一行は相も変らぬ西への旅の途中で偶然が重なって。怪我を負い、四人がばらばらになってしまった。その間に、変わった出来事があったのだ。
「呼んだら出てきますかねえ?
 さん、さぁん?!」
 半ば、ヤケと言う話もある。
 悟空が一人で消えた時、探し続けた先に彼女はいた。
 と言う、一見すると少女にしか見えない彼女は40代だと名乗っていた。ただ、何か変と言うか不思議と言うか感じがあって。
 問題があるとすれば、そのと言う人物に直接会ったのが自分自身ではないので判断のしようがないと言う所なのだ。
「まあ、呼んだら出てくるってものでもないですか……ね?」
 きょとんとした目になってしまうのは、当然と言うものだろう。
 森の中は、半日かけて歩き回った。こう言ってはなんだが、地理だけならばすでに地元民並に把握していると言っても過言ではない。
「出てしまいましたけど……どうします?
 八戒さん……でしたか?」
 視線の先、少し開けた場所。
「嬉しいですよ、ご存知でいただいて」
 にっこりと微笑んだ顔に、笑顔も不信そうな顔も見せず。
 彼女、は静かに手を伸ばした。
「どうぞ、お入りください。何もおもてなし出来る様なものはありませんけれど」
「いえいえ、こちらから押しかけたのですから。その様な事は無用ですよ。
 すみませんねえ、手土産の一つも……とは思ったのですが。好みが判りませんでしたので」
「嫌いなものは、ありません。国によって食べ物が違う、人によって好みが違う。
 いちいち己の好みを押し付けては、相手にとっては失礼です」
 言いながら、は奥へと進んでいく。
 さほど離れていない所に、こじんまりとしているが「いかにも普通の家」がある。それが、返って不信感を募らせるのが普通だ。
「どうぞ、そちらへ。
 今、お茶などお出ししましょう。用件は、その折にお聴きします」
 の示した方向には、外で過ごすための椅子とテーブルがある。
 日差しよけのパラソルの下、寝そべる為だろうか。長いすもあって、確かに居心地はよさそうだ。
 近くには、物干し竿がある。洗濯物はかかっていないが、穏やかな時間が流れているのを感じさせている……だからこそ、おかしいと八戒は感じる。
「お待たせしました」
「先日は、仲間達がお世話になった様で……どうもありがとうございました」
 礼儀正しく、八戒はにこやかな笑みを浮かべて頭を下げる。
「警戒も解かない相手に、頭を下げられても嬉しくはありません。
 嘘はついていない様ですが、行為に対しての礼も不要です。
 玄奘三蔵殿はともかくとして、斉天大聖は……半分は義務ですから」
 が持ってきたのは、見慣れない形のお茶だった。
 普段見ているのは黒いお茶……烏龍茶であり、カップに取っ手がついているのも珍しいものだったし。一緒に持ってきた入れ物は何に使うのか判らないわ、お茶が入っているだろうポットは更に見慣れない形だった。
「八戒さんは珍しいものの方がよいだろうと思いまして……遠方の国で飲まれている『茶』と言うものです、普段召し上がっているものとは幾分違うかと思います。
 お好みで、こちらのレモンかミルク。それと、砂糖を入れて召し上がって下さい」
 まるでお店にでも来たかの様な感覚だが、それもそれで「普通すぎて」違和感を感じてしまう。
「いやあ、これはこれで……美味しいですね」
「お気に召していただいたようで、よかったです」
 風が、吹いた。
 穏やかな風だが、つい先日まで近くに恐ろしい事件がおきていたとは思えないくらい穏やかだ。
「一つ、聴いてもよろしいですか?」
「一つだけで、よろしいのでしたら」
 思わず、八戒の顔がこわばる。
 冷酷無比と言えるくらい、そっけない態度だと言えた。ただ、余裕のある大人の女性が持って見せるしぐさでしかない。
 最大の違和感……それは、見かけと中身に余りにもギャップがありすぎる。
「それは、困りましたねえ」
 困った様子の笑顔をされて、しばしの時が流れる。
「斉天大聖は、お元気そうですね」
 しばしの時がたって、切り出したのはだった。
 表情は無表情のままだったが、目が和らいだ様な気がした。少なくとも、八戒にはそう見えた。
「斉天……ああ、悟空の事ですか。
 ええ、怪我の後遺症もなく。大変元気で大騒ぎですよ」
 聴きたいことは幾らでもあろうだろうに、なんでもない様な顔をする八戒。
 まるで、言葉遊びのようだと感じるが。そう思ってから、きっとそうなのだろうと思い当たる。
「そうですか、まあ……玄奘三蔵法師殿が大丈夫ならば。斉天大聖に何かあるとも思えませんけど」
 静かなしぐさで、は茶に口をつけた。
 八戒から見て、の態度もしぐさも、全てが静かだ。でも、調和が取れているかと問われれば、そのあたりは答えようがない。
 そうだとも言えるし、そうでもないとも言えてしまうからだ。
「なぜ、貴方は悟空を斉天大聖と呼ぶのですか?
 悟空が、『あの』悟空と同じ人物である事を知っている人にしか。そう呼ぶ事はないと思うのですが……」








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